横川から高崎へ向かう日曜の普通列車で、「そろそろ旅行終わっちゃうね」と笑う彼女が愛しすぎて、まだ高崎に着かないでほしいと本気で思った
横川で釜めしを食べ終えて、少しだけ駅のまわりを歩いたあと、俺たちは高崎方面へ向かう普通列車に乗ることにした。
軽井沢へ戻るより、このまま高崎へ出て帰るほうが流れとしてきれいだったし、何より、旅の終わりが少しずつ近づいてくる感じまで含めて、今日の続きに思えた。
日曜日の午後の横川駅は、平日とは違うゆるやかな賑わいがあった。
家族連れ、観光帰りらしい人たち、写真を撮っている人、少し疲れた顔でベンチに座る人。みんなそれぞれの帰る途中を持っているみたいで、その空気の中に立っていると、自分たちもちゃんと旅の終盤にいるんだと実感する。
「ほんとに帰る方向って感じするね」
ホームで列車を待ちながら、澪がそう言った。
「日曜の午後って感じもする」
俺が返すと、澪は少しだけ笑う。
「わかる。楽しかったあとに、ちょっとだけさみしくなる時間」
その言い方が、今の気分にぴったりだった。
やがて普通列車が入ってくる。
観光帰りの人が多いせいか、車内は思っていたより少しだけ人が多かった。それでも、二人で並んで座れる席はなんとか見つかる。
「座れた……」
澪が小さく息をつく。
「よかったな」
「うん。立ちっぱなしだったら、たぶんちょっと眠くなってた」
そう言って、澪は窓の外を見た。
列車がゆっくり動き出す。
横川のホームが少しずつ遠ざかっていく。今日ここで見たもの、食べたもの、話したことが、窓の外の景色と一緒に後ろへ流れていくみたいだった。
最初のうちは、どちらも少しだけ静かだった。
疲れているわけではない。でも、朝からずっと濃かった時間のあとだから、言葉より先に余韻のほうが大きい。
日曜の午後の列車には、独特の落ち着きがある。
子どもの声が少し遠くで聞こえたり、誰かの買ったお土産の袋が揺れたり、車内アナウンスが静かに流れたり。その全部が、楽しい一日が終わりに向かっている空気をつくっていた。
「今日、いっぱい食べたね」
澪がぽつりと言う。
「たしかに」
「朝食バイキング食べて、横川で釜めし食べて」
「しかもどっちも全力だった」
そう言うと、澪は少しだけ笑った。
「だっておいしかったし」
「知ってる」
「見てたもんね」
その返しに、思わず笑ってしまう。
「おいしそうに食べるから」
「あなたが見てくるから、ちょっとだけ意識した」
「ちょっとだけ?」
「……半分くらい」
澪はそう言って、少しだけいたずらっぽく笑った。
その笑い方が、今日何度も見たものなのに、まだちゃんと胸に残る。
列車はゆっくりと進んでいく。窓の外の景色は、山の気配を少しずつ後ろへ置いて、町の色を増やしていく。
観光地のきらきらした感じから、生活のある風景へ変わっていくその流れが、旅の終わりをやさしく現実に近づけていた。
「ねえ」
澪が小さく呼ぶ。
「うん?」
「そろそろ旅行終わっちゃうね」
その言葉は、明るく言ったつもりなのかもしれない。でも、少しだけ寂しさが混じっているのがわかった。
「……そうだな」
「昨日の朝、上野で会ったばっかりな気がするのに」
「わかる」
「なのに、もう帰る方向の電車乗ってるの、ちょっと不思議」
澪はそう言って、窓の外を見たまま少しだけ目を細めた。
「楽しいと早いね」
その一言が、静かに胸へ落ちる。
本当にそうだった。
昨日の待ち合わせから、新幹線に乗って、軽井沢を歩いて、旅館に泊まって、朝を迎えて、横川まで来て、鉄道文化むらに行って、釜めしを食べて。
ひとつひとつはちゃんと濃かったのに、全体で見るとあっという間だった。
「早かった」
俺がそう言うと、澪は小さくうなずいた。
「うん。でも、すごくちゃんと覚えてる」
「何を?」
「いっぱい」
澪は少しだけこちらを向く。
「上野で会ったときのことも、新幹線のことも、旧軽井沢歩いたことも、旅館の部屋も、朝ごはんも、横川で釜めし食べたことも」
そこまで言ってから、少しだけ照れたように笑う。
「あと、いっぱい可愛いって言われたことも」
その最後の一言に、思わず息がゆるむ。
「そこ入るんだ」
「入るよ」
澪は少しだけ得意そうに言う。
「かなり大事」
「そんなに?」
「そんなに」
その返事がまっすぐで、胸の奥がまたあたたかくなる。日曜の午後の車内は、どこかやさしかった。
少し混んではいるけれど、騒がしいわけじゃない。みんなそれぞれ、遊び疲れたあとの静かな時間を過ごしている感じがある。
その空気の中で、澪は少しだけこちらへ寄ってきた。肩が触れるか触れないかくらいの距離。
「……疲れた?」
聞くと、澪は首を横に振る。
「疲れてない」
「ほんとに?」
「うん。ちょっと眠いかもだけど」
「日曜の午後の電車だしな」
「それ」
澪は少しだけ笑った。
「なんか、このままうとうとしそう」
「寝てもいいよ」
そう言うと、澪は少しだけこちらを見る。
「ほんとに?」
「うん」
「でも、寝たらもったいない気もする」
その言い方が、今の時間を大事にしたい気持ちそのままで、胸の奥がやわらかくなる。
「じゃあ、寝ない程度に寄りかかってれば」
そう言うと、澪は少しだけ目を細めた。
「それ、かなり都合いい」
「だろ」
「じゃあそうする」
そう言って、今度は本当に肩を軽く預けてくる。
その重みが、日曜の午後の静かな車内の中で、妙に愛しかった。
しばらく、二人で窓の外を眺める。
流れていく景色は、もう完全に帰る途中のものだった。でも、それが嫌なわけじゃない。
楽しかった時間のあとにしか味わえない、少しだけさみしくて、でも満たされている空気がある。
「ねえ」
澪が肩を預けたまま言う。
「うん?」
「今回の旅行で、いちばん印象に残ってるのって何?」
その質問に、少しだけ考える。
軽井沢の景色も、旅館の夜も、今朝の朝食も、横川での時間も、どれもちゃんと残っている。
でも、今この流れで答えるなら、たぶんいちばん正直なのはこれだった。
「澪がずっと可愛かったこと」
そう言うと、肩に触れていた澪の体がぴたりと止まる。
数秒遅れて、小さく抗議の声が返ってくる。
「……それ、ずるい」
「本当だから」
「質問の答えになってるようで、なってない」
「なってるよ」
「なってない」
そう言いながらも、澪の声はちゃんと照れていた。
「じゃあ澪は?」
聞き返すと、澪は少しだけ考えるふりをした。
「……いっぱいある」
「ずるいな」
「だってほんとにいっぱいあるし」
澪はそう言って、少しだけこちらを見上げる。
「でも、ひとつ選ぶなら」
「うん」
「旅館の朝かも」
その答えに、胸の奥がやわらかく揺れる。
「朝?」
「うん」
「なんで」
澪は少しだけ恥ずかしそうに笑った。
「起きたとき、すぐ隣にいたのがうれしかったから」
その一言が、今日のどんな景色よりも強く残る。
「……それは、俺も同じ」
そう返すと、澪はまた少しだけ肩の力を抜いた。
「そっか」
「うん」
「じゃあ、またどこか行って、またそういう朝したいね」
その言葉に、未来の輪郭がふっと見える。
今回の旅行だけじゃなくて、この先もまた一緒に出かける前提で話してくれることが、たまらなくうれしかった。
「したい」
そう答えると、澪はやわらかく笑った。
「よかった」
列車は高崎へ近づいていく。
駅名表示を見れば、もう終点までそう遠くないことがわかる。高崎問屋町の文字が見えてきて、本当に終わりが近いのだと実感する。
「ほんとにもうすぐだね」
澪が少しだけ名残惜しそうに言う。
「うん」
「高崎着いたら、一気に現実戻る感じしそう」
「それはあるかもな」
「やだなあ」
その言い方が子どもみたいで、でも今はその素直さが愛しかった。
「じゃあ、高崎着くまではまだ旅行ってことで」
そう言うと、澪は少しだけ目を丸くして、それからうれしそうに笑った。
「いいね、それ」
「だろ」
「じゃあ今、まだ旅行中」
「まだ終わってない」
その確認みたいなやり取りだけで、少しだけ寂しさがやわらぐ。
澪は肩を預けたまま、小さく息をついた。
「……終わる前に、もう一回くらい言って」
「何を?」
わかっているのに聞くと、澪は少しだけ頬を赤くした。
「可愛いって」
そのお願いが、旅の終わり際にするにはあまりにも澪らしくて、思わず笑ってしまう。
「今日もずっと可愛いよ」
そう言うと、澪は目を細めた。
「……うん」
「日曜の帰りの電車で、ちょっとさみしそうにしてるところも可愛い」
続けると、澪は照れたように笑って、でもうれしそうに肩を寄せてくる。
「それなら、最後まで機嫌よくいられそう」
その言葉に、俺も少しだけ笑った。
列車はそのまま、高崎問屋町のあたりへ近づいていく。
旅の終わりはもうすぐそこまで来ていたけれど、まだほんの少しだけ、この時間は続いていた。
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作者の都合上、8月31日までの間、投稿できなくなる可能性があります。ごめんなさい。




