36. 拒絶
AIを使って戦うことはわかった。話し合いは2時間ほど続いたが、土御門杏が帰宅するというので、お開きになった。
碧はやっと終わったという安堵感から、ふぅ、と息を吐いて、帰り支度を整えていた。
「送るよ」
しゃがんでいた碧の頭上から、鴇が声をかけたので、碧は上を見た。すると体勢が崩れ、体がぐらついき、碧の後頭部が床に激突するというところで、鴇が抱き止めた。
だが、あまりに急なことだったので、鴇が碧を押し倒したような形となってしまった。
気まずい。
碧はそう思った。この体制が意味するものがなんなのか、碧にだってわかる。けれども、鴇の真っ白な肌や、薄くて柔らかそうな髪の毛をじっと見ていた。
「ありがとう」
かろうじて碧の口からその言葉が出たものの、後頭部からジンジンと鴇の手のひらの熱を感じ、顔には鴇の双眼からも熱が注がれていた。
近づくでもなく、遠のくでもないその距離に、碧の心臓はドクドクとうるさいくらいドラムロールを叩いている。
「ごめん、変な格好になった」
鴇は自身の上肢を起こそうと床に手をつき、力をこめる。
鴇の視線が碧からそれた。だからだろう。なんとなく、鴇を呼び止めたかった。
けれど甘い言葉が出てこなかった。
「変って?」
「え?」
「弓削白百合とした時みたいな姿だから?」
口にした瞬間からわかっていた。その言葉はいってはいけない。
けれど、ミス桜庭が弓削白百合だと言った桜の言葉がずっと引っかかっていた。
聞きたくないから席を立った。けれど、一番引っかかっていたから、鴇を煽るようなことしてしまった。
鴇は碧からふいっと視線を逸らし、二人の間には何とも言えない重苦しい沈黙が流れた。
鴇が何にも言わず立ち上がったので、碧もすぐに立ち上がった。
知っていた。
ミス桜庭とそういう事をしているのは知っていた。彼女からも牽制されていたし、屋上での姿も見ていた。
鴇の好意を知っていたけれど、友達の枠を超えるような情を拒絶していたのは私。だから、もし、鴇の口から肯定されても仕方がないってわかっている。
別に鴇が誰と過ごそうが止める権利も口出す権利もない。わかっている。
だけど、なんで弓削白百合なの? 敵側なの? そう思ったら、鴇のことが信じられなくなった。
碧は荷物をまとめ、カバンのファスナーを閉めた。碧の心も同じように閉じられていくかのように。
鴇が碧のカバンを持ち上げようと身体をかがめたが、碧がその手を拒否して、自分で鞄を持ち上げた。
「送らなくて良いから」
碧が、小さな声でそう言うと、肩に荷物をかけ、崩れたポニーテールの高さを手早く調整した。
「おじゃましました」
「………碧」
鴇が傷ついた顔を見せ、そっと碧の手に触れようとした時、碧の身体から、ハルが出てきて、鴇の手が碧に触れぬよう、すっと間に入った。
「望んでない」
碧はサクサクと足早に歩き、鴇と距離をとっていく中、ハルが鴇に冷たく言った。
ハルが碧の後ろに早足でたどり着いたが、鴇はその姿をただみるだけで、その場にへなへなと崩れ落ちた。
桜との会話なのだろう「気をつけてね」という桜の声に「おじゃましました」といつもと変わらぬ声色で返答する碧の声の後、冷たい金属音のガチャンと扉が閉まる音が聞こえてきた。
⭐︎⭐︎⭐︎
廊下で項垂れている。
碧は10年前の母親の死を悔いていて、敵を討つことだけに人生の大半を捧げてきた女だ。
碧の一番はずっと母親で、それ以外にはない。碧は一度開いた心を閉ざしたら二度と心を開いてくれないとわかっていた。
それなのに。
鴇の身体をツンツンとつついてくる人がいて鴇がゆっくり顔を上げた。
「あきらめちゃう?」
自分とよく似た顔の女がそこにはいた。
お前にも責任あるだろう、と言ってやりたくなったが、そもそも身から出た錆なので鴇は何にも言わず口をつぐむ。
いや、もしミス桜庭についてこっそり後で聞いたとして、俺の口から碧に言えなかっただろう。
黙っていて、キナリの討伐がスタートしてから、耳に入ったら、それこそ取り返しがつかなかった。
だから、これで良かった。
それも織り込み済みで、桜はあの場で暴露したんだろう。
そう思うと少し腹が立った。
「ねえ、どうなの?」
またツンツンとしてくる姉に、鴇は「十年間も片思いしてるんだから、今更諦める選択はない」と言い切った。
桜がにっと笑って「重っ」と揶揄った。
失った信用を取り戻すのは時間がかかる。だけど、やるしかないんだ。




