31.思い出と覚悟
鴇を見送った後、太陰が洗い物を手伝ってくれた。
太常と騰蛇は先に休むと言って、碧の部屋にそそくさと行ってしまったので、二人は他愛のない会話をしたりしていた。
碧は会話の中でチラチラ太陰を横目で見ると「今日は母の命日なんですよ」と、言って彼女の反応を試みた。
「そうなんだね」
「母の亡くなってからの9年間は、母に会いたいと思っていました」
「……」
「だから、私が見過ごすことなどないのです」
「……」
「お母さんなんでしょう?」
水道から流れる水の音がやけに耳についた。
そうだ、と言ってしまって良いのだろうか。太陰は躊躇って言葉を探していた。
「いいです。答えないで。私、そうだと信じたいので、勝手にそう思います」
碧はそう言って、自分の中で考えをまとめてしまった。
こちらの世界に来たばかりなら、ブラックコーヒーなんて飲める代物ではない。
太常だって、砂糖をわんさかいれるもの。
それに、見習いの話だって、私が初めて晴明様にお会いした時の状況と同じだった。
あの時の会話はお母さんと私だけだもの。
そもそも、あんな難解な分子生物学の話を最も容易く理解するなど、現代人でもそうはいない。
学んだことがある人以外で、すんなり話についていくことなどできない。
現代人でも難しいのに、ましてや何千年前の式神が、現代の教育を受けていない者が、するりと受け入れられる話ではない。
それに何より、やすらぎや、安心感が初めて会う人とはまるで違う。
親子だからわかる。感覚だから証明できないけど、こらは正しいって私の本能が言っている。
普通ならあり得ないことだけれど、普通の人間なら起こり得ないことが起きるのが陰陽師だもの。
碧は気まづそうにする太陰を見た後「泊まりますか?」と、促したが、太陰は首を横に振って応える。
「宿を用意しております。上の二人も連れて行きます。色々とありがとうございました」
「また、お越しください」
碧は太陰の手をぎゅっと握って「必ず」と言った後、名残惜しそうに手を離した。
陰陽師でも、『死人は復活しない』ということは絶対。
けれど、それ以外なら違うから。
『晴明さまは無駄なことをしない』
今は答えられないなら、無理して聞く必要なんかないもの。晴明様にどんな思惑があるかなんかわからない。
けれど、また会えた。
今はそれだけでいい。また会えるなら、それが良い。
碧は家の外まで見送った後、静かに家の中に入ると、ハルがお菓子を食べながら、立っていた。
「誰かいたの?」
碧は少しだけ、めんどくさそうに、フーと息を吐く。
「ほら、いつもの」
「ああ。晴明さんのとこの式神ね」
碧は首を縦に降り、洗面所で手を洗うと、リビングのソファに疲れ切ったのかどさりと身を委ねて横になった。
「見つかった?」
「まあね。若葉さんに頼んでみた。あの人目を輝かせながら、ノートに書き留めてたよ」
碧は想像して、ははっと苦笑いをした。
あの人の趣味はBL小説を書くことだからなあ。
「でも、なんで? 召喚師の仕事は今はしてなさそうで、趣味に全フリだった」
「でも、やってくれるよ」
「なんでわかるんだよ」
「まあ……なんとなく」
あなたより付き合い長いからね、と心の中で呟いて、碧は瞼をゆっくり閉じた。
晴明さまは無駄なことはしない、かあ。
碧はソファから身体を起こすと、大きく伸びをした。
「なあ、碧、予言師や召喚師とかに聞きまくらないとキナリを倒せないなら、碧がそこまでする必要ないんじゃないのか」
「私より優秀な人がいるのに、なんで私がやるのってこと?」
ハルは言いにくそうに碧から目を離すと、碧はソファから立ち上がり、深く息を吐いた。
「私より優秀な人なんて沢山いるよ。それで? それが私がキナリを撃つのを諦める理由にはなるのかな?」
ゆっくりと歩きながら、ハルに近づく。私のことが心配?
それもあるかもしれないけれど、そんなことより、最もらしい理由を並べて私を信じてくれない方が悲しい。
「自分より優秀な人がいたら、簡単に夢や目標を諦めちゃうの? そんなんじゃ、私のような凡人は死ぬまで何も得られない。凡人は諦めが悪くて粘り強くなかったら、天才には勝てないんだよ」
「自分で自分を信じてあげなきゃ誰が信じるのよ。勝手に限界決めて、今までの努力と時間を無視するのは、自分で自分を馬鹿にしていることになる。私はそんな人間になりたくないから、自分を信じている」
「……」
「だからさ、大丈夫なんだよ。自分ならできると信じてるから、大丈夫。ハル、だから、ハルも覚悟を決めなさい」
碧はそう言って、照れくさそうに笑った。
不安なんてものはずっと背中に付き纏っているし、こんなに努力しても意味ないんじゃないか、そう思ってばかりだ。
けれど、私は人生の半分以上をかけて研鑽してきた。覚悟を決めるだけなんだから。
碧はハルの背中をバシッと叩いて気合いを入れる。
「天才は新たな歴史を作るけれど、努力し続けた凡人も天才を打ち破る力があるのよ」
ハルは泣きそうな顔で「ごめん」と謝るので、碧は「良いよ。キミはまだ9歳だからね」と言ってリビングを後にした。
ハルは式になってまだ9年だから、しゃあない。
碧の後をひょこひょこついてくるハルは、しょんぼりとしていた。洗面所に着いた時、碧に声をかけられた。
「いつまで着いてくるの?」
「え?」
「お風呂に入るの」
碧がジトリとハルを睨みつけていた。




