15. 赤の文書 肆
山口鴇が自宅から出て立っていたのは、檜でできた門がまえの前だった。
仁王立ちにして待っていると、重厚な門が緩々と開いてくる。
初老の黒いスーツを着た男性が門を開けて出てくると、鴇にぺこり、と頭を下げた。
「ご無沙汰しております。鴇様」
初老の男性には、白いたっぷりとした髭が綺麗に整えられていた。
「こちらこそご無沙汰しています」
鴇はぺこりと頭を下げると、そのまま門を通過して歩いていく。日本庭園が両サイドにあり、整えられている。
門からしばらく歩くと、日本家屋の玄関に、たどり着き、扉を開けると、目の前には白髪頭の皺が目立つ着物姿の老女が立っていた。
「あら、なんの御用かしら?」
鴇は頭を下げるとニコリと微笑んだ。
「おばあさま、ご無沙汰しています。挨拶もほどほどにいたしまして……さて、私の式を返してもらいますよ」
「まあ、怖い、怖い」
鴇の祖母は着物の裾で口元を隠し、ほくそ笑む。
(感じわる………)
「ナツは私にとって特別なのです。それ故に、どんな手を使っても連れ戻します。お覚悟ください」
鴇が玄関で靴を脱いで、当主の指輪を見せると、老女はふん、と息を吐く。
「あなたが山口家当主としての責務を果たすのならば、私たちもこのようなことはしませんのよ」
「本心が聞けてよかったです」
鴇はそういうと「これは命令です。ナツはどこですか?」と先刻より声を大きくして問う。
カツン、という音が聞こえた。
「書庫だよ」
先程まではいなかったのに、突然足音と共に現れた人物を見るとエンジ色の着物を着て、肩までかかる髪を髪紐で縛った20代の男性が立っていた。
「臙脂」
鴇が現れた男をそう呼ぶと、鴇の祖母はくすり、と笑った。
「あなたの口は羽のように軽いわね」
鴇は二人を残して廊下をツカツカと闊歩し、書庫へと向かう。
「おばあさま、いくら鴇を縛りつけたくても、それでは彼を囲えませんよ」
「あなたはあの子のことをまるで知らないのね」
鴇と臙脂の祖母はそそくさと廊下を歩き、鴇の後を追う。
「僕のこともまるでわかっていませんよ、おばあさま」
♢♦︎♢
書庫に着くと、魔法陣のようなものの上にナツがぐったりと横たえていた。どうやらこの魔法陣の外から出ることができないらしい。
鴇は「ナツ」と言って、ナツに近づくと、ナツがぴくりと動いた。
億劫そうに目を開いたナツは目の前の鴇を見て、安堵と共に不安な顔色を纏った。
「鴇くん、当主の指輪を置いていきなさいよ」
鴇は背後から声がしたが、眉を動かすことなく「ナツは何処だ?」と背後にいる人物に問いかける。
鴇の後ろにいた人物ーー山口小豆は「へぇ、なんでそう思うの?」と興味深そうに、大したものだと言いたげだった。
小豆は臙脂の妹で、鴇とは従姉妹である。小豆は背が低く。色白でまつ毛も長く、可憐な少女のような風貌である。
彼女も山口家の女に相応しく、随分前に陰陽師試験に合格している。
「簡単だ。ナツには捕まる恐れがある場合を考慮して、俺の術の一部を渡している。こんなあからさまな魔法陣に捕らわれるくらいならば、ナツは術を使って回避している」
鴇は目の前のナツをみた。
ナツは安堵したような表情はしない。探しきにきたことを知ったら俺を帰らすように諭すだろう。
ややもすると、ナツは………。
想像したくないことを想像しそうになり、鴇は煙のようにわいた考えを己の頭の中でかき消した。
「そこまで分かっていても、ここに来てしまうのは、何故?」
「小豆、お前が望むように、当主であることを捨てるのに、今の俺は何の躊躇いもない」
鴇は後ろにひっついて歩く小豆を鬱陶しそうに、払い除ける。
「だけど、俺が当主の指輪を置く前にやることがある」
「そんなに、あの子が大事?」
鴇は小豆をギョッとした目で見る。
小さな頃から、やたらと対抗心剥き出しで、鴇をライバル視していた小豆から、碧の名前が出るとは想定外だったからである。
「そうだね。俺にとっては、人生を賭けても手に入れたい。そんな人だよ」
パシーンという高い音が書庫の中に響き、鴇の頬はヒリヒリとした痛みと熱を帯びた。小豆が鴇の頬を殴ったからだ。
「弓削白百合がいなくなったと思ったら、今度は晴明お気に入りの子? どうして、私じゃダメなの?」
鴇は小豆の手を掴み「ごめん」と謝った。
小豆の気持ちは知っていたが、避け続けていた。鴇にとって、碧に出会ってから数年が経つが、戦慄にも似たあの衝撃を他の誰にも抱くことはなかった。
小豆の口ぶりからするに、山口家が8年前の弓削家と英家の騒動に一枚絡んでいるのは明白だ。だが、
これ以上小豆に聞くつもりもなかった。
おそらく、小豆も祖父母に拐かされていただけのようがする。
その証拠に祖父母はなかなか尻尾を見せないが、小豆は簡単にボロをだす。
いや、小豆の術など、鼻からアテになどしていないのだ。祖父母の狙いは、ナツが消滅している事実に小豆をあてがい、鴇の視野が狭くなったところで捉えるのが目的なのだろう。
敢えて小豆をあてがった。
臙脂も。
臙脂にとっても、祖父母にとっても山口の家が一番であり、個人の能力などどうでも良いのだろう。
それほど俺が当主であることが嫌なら、臙脂を当主にすれば良かっただろうに、とは思うが、臙脂は臙脂で、何を考えているのかわからない。
故に祖父母の駒としては安心できないのだろう。
「ナツは?」
小豆は魔法陣をすっ、と解くと、魔法陣の中にいたナツは消えた。
「いないわ」
暗香浮動。暗闇の中で漂う梅の香り。
この世にいないものを幻覚として少しの間映す能力。本来は愛するものを失った人物の心を癒すために生み出された能力だが、今はまるで違う。
(ナツは梅の花より、姉貴の名前と同じ桜が好きだったんだよなあ)
どうでも良いことが頭を掠めた。
(ああ……、やはりナツはいないんだなあ……)
白の文書を何故一人で取りに行かせたのだろうか、俺も行けば良かったのではないかと、考えては消えていく。
(そんなこと思ったところで、後の祭りというものだ)
鴇は怒りと焦燥感で心が離れ離れになるような感覚に襲われた。




