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フィオナ・アルヴェインとセドリック・クロフォードの婚約が決まったのは、二人がまだ十歳にもなっていない頃だった。アルヴェイン伯爵家とクロフォード侯爵家には以前から交流があり、領地もそれほど離れていなかったため、婚約が決まるより前から互いの屋敷を訪れる機会があった。将来夫婦になるのだと聞かされても、幼いフィオナには婚約というものがよく分からない。セドリックについても、将来の夫というより、会うたびに自分を怒らせて楽しんでいる一つ年上の少年という認識の方が強かった。
最初の頃から、セドリックはフィオナへ意地悪をするのが好きだった。侯爵邸の庭園で二人だけのお茶を用意してもらった日には、フィオナが最後に食べようと残していた焼き菓子を横から取ってしまった。白い皿の中央に残していた一番大きなものを、紅茶を飲んでいる隙に奪われたのだから、フィオナが目を丸くするのも当然だった。
「それ、私が食べようと思っていたのですけれど」
「知っている。さっきから一つだけ残していただろう」
「知っていたのに取ったのですか?」
「大事そうに残しているから、どんな味なのか気になった」
悪びれた様子もなく焼き菓子を食べるセドリックを見て、幼いフィオナは椅子から立ち上がった。謝ってくれるものだと思っていたのに、彼は空になった皿を指差して楽しそうに笑うばかりだったので、とうとう我慢できずに追いかけた。庭園の小道を逃げるセドリックを夢中で追い、芝生へ入ったところで二人揃って転び、服を土だらけにして庭師から叱られたところまでが、その日の思い出として残っている。
翌日に顔を合わせたセドリックは、昨日フィオナから奪ったものと同じ焼き菓子を箱に詰めて持ってきた。素直に謝ればいいものを、「これだけあれば一つくらい俺が食べても怒らないだろう」と余計なことまで言ったため、結局また口論になった。それでもフィオナは菓子を受け取り、午後には二人で庭へ遊びに出たのだから、当時の彼女にとってセドリックの意地悪は、本気で彼を嫌いになるようなものではなかった。
それからも似たようなことは何度もあった。読んでいた本を取り上げられれば、背の高いセドリックが頭上へ掲げた本を取り返そうと必死に手を伸ばした。お気に入りのリボンが見当たらず屋敷中を探した末、セドリックの上着のポケットから見つかったこともある。侍女に綺麗に整えてもらった髪へ触れられ、せっかく結んだ部分を崩された日には、夕食まで口を利かなかった。
フィオナが本気で泣けば、セドリックもさすがに慌てた。自分から謝るのが恥ずかしいのか、翌日に花や菓子を持って現れ、何でもないような顔で差し出してくる。フィオナも彼が謝ろうとしていることくらいは分かっていたので、仕方なく受け取って仲直りした。そんなことを繰り返しているうちに、セドリックがフィオナを怒らせ、フィオナが彼を追いかける光景は、二人の間では珍しくなくなっていた。
けれど、十七歳になったフィオナは、幼い頃と同じようには受け流せなくなっていた。二人きりで遊んでいた子供ではなくなり、社交界へ出れば伯爵令嬢と侯爵令息として振る舞うことを求められる。周囲には常に人の目があり、婚約者同士である二人がどのような関係を築いているのかも見られているのに、セドリックだけは昔と何も変わらない距離感でフィオナへ接していた。
春のある日、二人は同じ夜会へ出席することになっていた。フィオナはその日のために淡い青色のドレスを仕立て、銀糸で刺繍された花に合わせて小さな真珠の髪飾りも選んでいた。夕暮れ時にクロフォード侯爵邸を訪れると、高い窓から差し込む橙色の光が玄関広間の床へ長く伸びており、階段から下りてきたセドリックの金色の髪にも柔らかな光が落ちていた。
「随分と地味なドレスだな。今日は夜会だぞ」
「分かっています。この日のために仕立ててもらったのですから」
「そうなのか? お前なら、もう少し濃い色の方が似合うと思うけどな」
「私は気に入っています。ですから、このままで結構です」
褒めてもらうために選んだわけではない。それでも顔を合わせて最初に言われた言葉がそれだったので、フィオナは馬車へ乗り込んでから何度か自分のドレスへ目を落としてしまった。出かける前に鏡を見たときにはよく似合っていると思えたはずなのに、隣に座る婚約者から地味だと言われただけで、自分の選択に自信が持てなくなっていることが悔しかった。
夜会の会場へ到着すると、大広間では既に多くの招待客が談笑していた。天井から吊るされたシャンデリアの光が磨かれた床へ反射し、色とりどりのドレスや宝石が人の動きに合わせて輝いている。知り合いの令嬢から青色がよく似合っていると褒められ、フィオナは笑顔で礼を返したものの、その横にいたセドリックは特に何も言わなかった。
それだけなら、フィオナも気にしなかっただろう。ところが友人たちと談笑していたセドリックは、少し離れた場所にいたフィオナをわざわざ呼び寄せ、十二歳の頃に起こした失敗について話し始めた。ダンスの練習中に自分のドレスの裾を踏み、教師まで巻き込んで転んでしまった出来事で、フィオナにとっては今でも思い出すと恥ずかしくなる記憶だった。
「そのときのフィオナが面白くてな。自分が転んだことより、誰かに見られていなかったかを真っ先に気にしていたんだ」
「セドリック、その話はここでする必要がありますか?」
「五年も前の話だろう。今なら笑えるじゃないか」
「あなたが笑えるからといって、私まで同じとは限りません」
「またそんなに真面目に考えて。お前は昔から恥ずかしがり屋だったからな」
周囲にいた青年たちから控えめな笑いが漏れた。フィオナはその場で怒りを表に出せば、今度は「昔の失敗を未だに気にして怒った」という話まで加えられそうな気がして、口元に薄い笑みを作ったまま話が終わるのを待った。セドリックはフィオナの不快感に気づいていないらしく、その後も友人たちとの会話を楽しんでいた。
帰りの馬車では、車輪が石畳を踏む音が狭い車内へ規則的に響いていた。窓の向こうを街灯の明かりが流れていき、向かい側に座るセドリックの顔を時折照らしている。フィオナはしばらく黙っていたものの、今ここで言わなければ同じことをされると思い、膝の上で重ねていた手を解いて彼へ向き直った。
「先ほどのような話を、人前でするのはやめてください」
「転んだ話か? まだ気にしていたのか」
「私にとっては恥ずかしい思い出です。あなたが面白いと思っていても、皆様の前で話してほしくありません」
「分かったよ。次から気をつける。それにしても、昔ならあれくらいで怒らなかっただろう?」
「昔と今は違います。私たちはいつまでも子供ではないのです」
セドリックは少し困ったような表情を浮かべたあと、分かったともう一度答えた。フィオナもそれ以上責めるつもりはなく、窓の外へ視線を戻した。長く付き合ってきた婚約者なのだから、一度きちんと伝えれば理解してくれるだろうという期待が、まだこの頃には残っていた。
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『婚約を失った元伯爵令嬢のこれからの暮らしのすゝめ』
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