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12.

 鈴谷さんの提案した手段は、他の生徒達にとっては理解不可能な奏の行動に別の意味を与えて上書きをし、生徒達の中で理解可能な行動に変えてしまうというものだった。具体的には、奏が蛇の死体を埋葬して田中かえるの祭壇を燃やした理由を「地主からクレームが入ったので、祭壇を作った唄枝さんがその責任を取って、掃除を行った」とそう説明したのだ。

 生徒会副会長の三谷楓がそう言えば、その話に信憑性を与える事は容易だった。もちろん、全て嘘なのだが。クレームどころか、地主はそんな事が起こっていた事すら知らない可能性がある。家も離れているし、無関心らしいから。

 理解不可能なものを人々は恐れる。だからこそ奏を嫌悪したのだ。そしてだからこそ理解可能な解釈を求める。つまりは理解可能な解釈を信じ易い。その所為なのか、皆で協力してそれを広めると、簡単にそれは定着してくれた。

 「ああ、なんだ。そんな事だったのか。おかしいと思ったんだよ」

 って感じで。

 一応、「唄枝奏が田中かえるを祀っていたのは、その怒りを静めるため」という話も流したのだが、そちらはそれほど広まらなかった。ただし、人間の感覚というのは案外いい加減なもので、最近の最もインパクトのある行動が理解可能になると、それに引きずられるように、以前の奏の行動もそれほど変には思われなくなった。否、この言い方は正確じゃない。忘れられた…… 或いは、無視されたといったところだろうか。

 何にせよ、安心感を手に入れると、皆は既に飽き始めていた奏と田中かえるに関する噂をほとんどしないようになっていったのだ。人の噂も七十五日というやつだ。まだ、七十五日も経っていないけれど。

 田村さんはあれからしばらくが経って登校するようになった。園上さんとはできる限り関わらないようにしているようだけど、少なくとも喧嘩はしていない。園上さんもそれは同じで、どうやら崎森君の事もすっかり諦めたようだ。一度気持ちに決着がついてしまえば、意外と簡単に忘れられる性格なのかもしれない。

 三谷姉妹は相変わらずなようだ。三谷涼は姉にベッタリで、他の女生徒達からモテまくっている。ただし、姉の格好をして校舎を歩くのは止められたようだから、少しは姉離れしたのかもしれない。駒川さんは、三谷涼と付き合う鍵は三谷楓だと判断したらしく、どうやら長期戦を視野に入れ始めたようだ。三谷楓と仲良くなろうとしている。ただ、下心バレバレだから、流石にかなり難しそうだ。

 演劇部の中のグループ対立はやっぱり以前のままけど、少なくとも“田中かえる事件”後は、過激な行動に出る事は少なくなった。認めるのは悔しいけれど、教育目的で田中かえるを使う三谷楓の計画は、確りと成果を上げていたのだ。

 ただ、それでも奏への蔑視が完全になくなった訳じゃない。これは今回の“田中かえる事件”とは別に以前からあった奏への迫害だ。

 くだらない連中の“病気”は、いつまで経っても治らない。

 だから、いつまで経っても“田中かえる”は消えないのだろう。教育の為の妖怪でもある“田中かえる”は、現れ続けるのだ。

 

 彼女は夜の学校を歩いていた。

 ノートを教室で探しても見つからなかった。どうやら生物室に忘れたらしい、とそれでそう判断したのか彼女は生物室に向かっている。課題の提出の期限が明日だから、明日の朝ではもう間に合わない。だから彼女は恐怖感を覚えながらも、人気のない夜の学校を歩いていたのだ。

 生物室に着いて電灯を点けると、自分の席の上にノートが置かれているのを彼女は見つけた。「あった」と彼女はそう呟く。それから少し首を傾げた。見つかったのは嬉しいが、どうしてノートが生物室にあるのか納得がいっていない様子だ。ここに忘れたような記憶はないのだろう。それから気にしても仕方がないと思ったのか、彼女は机まで歩いてノートを手に取った。ところが、その時だった。

 生物室の電灯が消えたのだ。そしてその次に“ガンッ”と音がして強くドアが閉まる。彼女は驚いて、ドアに駆け寄って開けようとしたが、ドアは開かない。何かがつっかえているようだ。

 「ちょっと、ウソでしょう?」

 そう言って彼女はドアを強く引いたが、やはり開かない。ガタガタと音が鳴るだけだ。やがて、そこに蛙の鳴き声が響き始めた。

 ――ゲコゲコゲコゲコゲコッ

 「なにこれ!?」

 彼女はそう声を上げると、恐怖からかその場にうずくまった。「誰か助けて!」と、そう叫ぶ。恐らくは、生物室に田中かえるが現れたという以前に聞いた噂話を思い出している。まさか本当だとは思っていなかったようだ。やがてドアの擦りガラスの向こうに、女子高生らしきシルエットが浮かぶ。田中かえるだと彼女は思ったのだろう。

 「もう、誰もいじめたりしないから、許して!」

 そう彼女は叫んだ。

 しかし、その彼女の叫びにその女子高生のシルエットはこう返すのだった。

 「どうしたの? 何を騒いでいるの?」

 それからドアが開く。すると、そこには鈴谷凜子さんの姿が見えた。そのタイミングで、蛙の鳴き声は止んだ。

 「こんな棒がつっかえていたわよ。だからドアが開かなかったのね」

 鈴谷さんは、棒を見せながらそう言った。それを見ると、彼女は戸惑いながらもこう返す。

 「突然、ドアが閉まって、その後で蛙の鳴き声が聞こえて来て」

 鈴谷さんはそれに頷く。

 「ええ、私にも聞こえていたわ。でも、きっと誰かの悪戯よ。この棒もね。悪趣味な人がいたものだわ」

 その言葉を聞いてしばらくが過ぎると、彼女はようやく現実感と落ち着きを取り戻したのか、ゆっくりと頷くと「助けてくれて、ありがとう」とそうお礼を言って生物室を出て行った。まだちょっと怯えているらしく、速歩きで廊下を去って行ったようだ。速いテンポの足音が聞こえてくる。やがて、彼女が完全に去ったのを確認すると、鈴谷さんは生物室の中に足を踏み入れ、口を開いた。

 「木垣さん。何処かにいるのでしょう? やっぱり準備室かしら? そうじゃなくちゃ、こんなにタイミング良く蛙の声を消せるはずがないものね」

 そこで再び蛙の声が。

 ――ゲコゲコゲコゲコゲコッ

 「悪ふざけは止めて」

 やや怒った声で鈴谷さんはそう言った。わたしは蛙の声を止めると、観念して生物準備室のドアを開けた。生物準備室は、生物室と直接つながっているのだ。顔を出す。

 「わたしが、こんな事をするってよく分かったわね」

 「黒宮さんから聞いていたのよ。あなたを呪おうとした相手が誰なのか、あなたから尋ねられたって」

 「それにしたって、どうしてそれが今日だと分かったの? まさか、ずっと監視していた訳でもないのでしょう?」

 「それは簡単。あなたが生物かなんかの課題が出る日に合せるだろうと予想したからよ。罠を仕掛けるには、準備室がある部屋がやり易いものね。

 彼女が生物室に入ったところでドアにつっかえ棒をして、彼女を閉じ込めた上で蛙の声を響かせる。その音に紛れて、気付かれないように生物準備室のドアを開けて中に入り、ガラス戸から生物室の様子を確認する。充分に懲らしめたと分かったら、彼女がドアから離れたタイミングでさっきのつっかえ棒を外して、急いで何処かに隠れる。後は蛙の声を消して、彼女が逃げるのを待つだけ。そんな計画だったのじゃないの?」

 わたしはそれを聞くと笑った。

 「流石、鈴谷さん。ご名答」

 そのわたしの言葉に、鈴谷さんは大きなため息を漏らした。

 「やっぱり、“田中かえる”を一番初めに利用したのは、あなただったのね、木垣さん。まさかあんな事が起こった後でも、やるとは思っていなかったわ」

 その鈴谷さんの言葉に、わたしは軽く首を傾げた。

 「どうしてわたしが、“田中かえる”を利用していたと思ったの?」

 鈴谷さんは淡々と答える。

 「もちろん、唄枝奏さんが“田中かえる”の存在を信じていたからよ。あなたは“田中かえる”を利用して、唄枝さんをいじめる生徒を排除していた。恐らくは、中学の頃から何度かやっているのじゃない? 自分を護ろうとする“田中かえる”の行動を観て、唄枝さんはその存在を信じるに至った。しかも自分を護ってくれるそれは、部落の神様だとも考えてしまった」

 「そうね。でもそれは前も聞いたわ。わたしが犯人とは断定できないじゃない」

 「まだ、あるわよ。あなたはこれと同様の手段を、園上さんを追い払う手段としても使ったでしょう? 唄枝さんが彼女から責められていた時、生物室には崎森君も田村さんもいなかったはずよ。いたのは、あなただけ。誰かの悪戯の仕掛けが、そんなタイミングで運良く発動するはずがない。あなたがこの生物室に仕掛けたスピーカーから蛙の声を流したと考えるしかない。リモコンでスイッチを押してね」

 それを聞くとわたしは頭を掻いた。

 「やっぱり、あの話をしたのは失敗だったかしら?」

 「一応言っておくと、あなたがあの話をするのを躊躇しているのを見て、私はあなたが犯人だと初めて疑ったのよ」

 それを聞くとわたしは彼女にこう尋ねた。

 「それで、バッチリ犯行現場を押さえた鈴谷さんは、これからわたしをどうする気でいるの?」

 「どうもしないわよ。ただ約束して。もうこんな事は二度とやらないって」

 「どうして? 倫理に反するから?」

 「違うわ。あまりにリスクが大き過ぎるからよ。もしバレたら、今までに起こった田中かえるの事件で発生した噂話が、全てあなたに向かって襲いかかって来るわよ」

 それを聞くとわたしは腰に手を当てた。微笑みながら言う。

 「ふむ。優しいわね、鈴谷さん。でも、わたしは止めない。奏を苦しめる連中を放ってなんておけないもの」

 それに鈴谷さんはこう返した。

 「やっぱり、今回も唄枝さんの為にやっていたのね。あなたを呪おうとしていた彼女は、同時に唄枝さんを呪おうとしていたのでしょう。いえ、むしろ彼女がメインで、あなたを呪おうとしていたのは、あなたが彼女に絶対的に味方をするからなのかしら?

 でも、だからこそ、私はこう言うわ。唄枝さんの為を思うのなら、もうこんな事は止めなさい、と」

 「どうして?」

 「彼女が、あなたがやっている事に気が付いているからよ。しかも、悲しんでいる。彼女はあなたに、こんな手段は執って欲しくなかったのでしょうよ」

 それを聞いてわたしは初めて動揺した。

 「どんな証拠があって、あなたはそんな事を言っているの?」

 「証拠はないわ。でも、根拠ならあるわよ。唄枝さんが、あの祠で“田中かえる”を祀るのを止めた本当の理由は、あなたが“田中かえる”の正体だと悟ったからだわ。園上さんに蛙の声を聞かせて追い払ったのがあなただと察した彼女は、そこで今まで自分を護ってくれていたのが、神様なんかじゃなくて、あなただと気が付いたのでしょう。なら、あの祠は何の関係もない事になる。だから、田中かえるを祀るのを止めたのよ」

 その鈴谷さんの説明を聞いて、わたしは思い出した。確かに奏は、わたしに向けて「勘違いをしていた」とそんな事を言っていた。彼女の言う事は正しいのかもしれない。鈴谷さんは続ける。

 「もちろん、彼女はあなたに感謝したでしょう。でも、同時に悲しくも思った。彼女の言葉をよく思い出してね。彼女は天津神と国津神が協力しているように思えるアメノウズメと猿田彦の婚姻譚を好きだと言った。彼女にとっての理想は飽くまでそれ。あなたのように排除してしまう事ではないわ。

 だから多分、彼女は悲しむと同時にあなたに対して怒っていたのだと思う」

 その言葉にわたしは驚いてしまった。

 “奏がわたしに対して怒っていた?”

 「どうして、そんな事が言える……」と、わたしはそう言いかけて思い至る。そういえば、あの子はわたしに何も相談せず、勝手に一人で蛇の死体を埋葬してしまった。そればかりか、まるで自棄になったように祭壇を燃やすなんて異常な行動にも出た。やはりわたしには何も相談せず。あれは……、

 「そう。田中かえるの祭壇を燃やしたのは、優しいあの人の精一杯のあなたへの抗議だったのだと思うわよ。あなたにはほとんど届かなかったみたいだけど。

 唄枝さんはほとんど怒る事がない。だから、ずっと一緒にいるあなたにも彼女の怒りの表現を理解できなかったのでしょうね」

 それを受けるとわたしは思う。

 “奏が怒っていた? 本当に?”

 わたしは軽く焦燥している自分を自覚した。あの子は、わたしが皆に混ざっていじめていた時でさえ、一度も怒った事がなかった。なのに、こんな事で怒るの? どうしよう? どうすれば怒りが治まる?

 そんなわたしの様子を見てか、鈴谷さんはこんな事を言った。

 「安心しなさいな。恐らく、唄枝さんは既にあなたの事を許しているわ。祠の前に皆を集めて“田中かえる”について話した時の事を覚えている? 

 私は唄枝さんに田中かえるを祀るのを止めた理由を質問したわよね。あの時、彼女はあなたの事を庇う為に嘘を言った。私はそれを受けて、彼女があなたを許していると判断したのよ。だから、彼女の嘘を手伝う為に、私は護摩焚きの話をした」

 でも。

 わたしは言う。

 「――でも、わたしはまた“田中かえる”を使ってしまった!」

 「ええ、そうね。だから、もう二度とこんな事は止めなさい。彼女が怒るようなら、私からも説得してあげるから。それに、唄枝さんを護るのなら、もっと他に上手い手段があるでしょうし」

 それから鈴谷さんは、子供のようになって狼狽えるわたしの頭に撫でるように手をやった。そしてそれからこんな事を言う。

 「でも、気掛かりな事もある。これでまた“田中かえる”が騒ぎ出してしまうかもしれない。

 今度沸いた“田中かえる”は、果たしてこの閉ざされた人間社会の中で、どんな作用をするのかしら?」

 

 ――ゲコゲコゲコゲコゲコッ

 

 その時、わたしは何処か遠くで、蛙の鳴き声を聞いた気がした。

参考文献:

『宿神思想と被差別部落 著者:水本 正人 明石書店』


 参考文献を読んで、「もしかしたら厩神は、初期の猿型の河童を祀りこめたものかもしれない」なんて事を思いつきまして。でもって、ここ最近、京極夏彦さんが例のシリーズの新刊を出さないので、「なら、自分で書いてやれ」と考え、それを題材に似たような雰囲気のあるそれっぽいもんを書いてみました。

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