10.
「……このはじまりは、唄枝奏さんの勘違いではなく、やはり園上さん達なのかしらね? いえ、別々だったと表現するべきなのかもしれない」
そう言い終えると、鈴谷さんは園上さんとそして田村さん、更に崎森という男生徒だろう彼を見た。
「プライベートな話題だとは思うけど、もうあなた達の話は、インターネットで、SNS上に公開されてしまっているわ。だからこそ私も知る事ができた。だから、言ってしまうわよ。
園上さんと田村さんは、そこにいる崎森君の事を奪い合っていた。それで、園上さんは田村さんに嫌がらせをしていたのでしょう? ところがそれを知った崎森君は、園上さんを避けるようになる。園上さんは、その当然の反応を予想できなかったのね。そして、園上さんは、今度は田村さんを呪う事を考えた」
それから鈴谷さんは黒宮さんを見た。黒宮さんはそれを受けると頷く。
「その通りよ。それでそこにいる園上さんは、私の所にやって来たのね。どうか、田村鈴を呪って欲しいと」
「ちょっと!」
と、そこで堪えられなくなったのか、園上さんはそう大声を出した。
「こんな皆の前で……、崎森君の前で、そんな話をする事はないでしょう?!」
それに鈴谷さんはこう返す。
「それなら大丈夫よ。もう、とっくに崎森君は知っているから」
「なんですって?! まさか、あなた達が……」
「違うわよ。元々、知っていたの。そうよね、崎森君?」
そう言われて崎森という男生徒は、ゆっくりと頷いた。
「ああ、知っていた」
「どうして……」と、そう言いかける園上さんを無視して、鈴谷さんは続けた。
「そして、黒宮さんに頼んだ事で、園上さんの呪いは成就してしまう。田村さんは貯水池に落ちて、そしてそれから学校を休み続けるようになった。
ここでそこにいる唄枝さんは、その呪いに“田中かえる”が関与している事を疑ったのね。恐らく彼女は、その前からあった呪いの噂にも、“田中かえる”が関係していると考えていたのだと思う」
その鈴谷さんの言葉に、奏は黙ったまま頷いた。鈴谷さんは続ける。
「そして、だからこそ、田村さんにその事を確認しに行った。更にそこで田村さんは唄枝さんのその主張を認めてしまった。自分の呪いには、田中かえるが関係していると。その所為で唄枝さんは、呪いと田中かえるとあの祠との関連を完全に信じてしまった」
そこまでを聞いて、わたしは疑問の声を上げた。
「ちょっと待って。よく分からないわ。どうして奏は学校の呪いの噂に、田中かえるが関わっていると考えたの? そもそも、呪いの噂には、田中かえるには必須要素の蛙が登場していないわ。女子高生だって」
それに鈴谷さんはこう返す。
「それはね、木垣さん。唄枝さんにとっての“田中かえる”には、蛙も女子高生も必要ではなかったからよ」
わたしはその言葉に戸惑う。
「どうして?」
「実はそれについては、私も少し謝らないといけないのかもしれないの。その原因の一つは、もしかしたら、私の話なのかもしれないから」
「鈴谷さんの話?」
「そう。覚えているかしら? ずっと前に私は、荒魂を祀りこめる事で鎮め、和魂とし、人間社会にとって有益な神様に変えるという話をしたわよね? それが日本社会においての祭祀の一つの意味だと」
わたしはそれを聞いて思い出していた。確かに図書室で、鈴谷さんはそんな話をしていた。そして連想する。奏にとって“田中かえる”はもしかしたら荒ぶる魂だったのかもしれない。だから祀りこめる事で、それを和魂に変えようとしていた。ならば……
鈴谷さんは更に続けた。
「あの時、唄枝さんは私に田中かえるが古来よりの河童と結びついているかと質問してきたわ。それに私は、結びついているかもしれないけど、河童と蛙は実はそれほど強くは関連しないと教えて、そして初期の河童は猿の姿をしているとも言った。きっと、唄枝さんの中で、田中かえるから蛙と女子高生が切り離されたのは、この時だったのじゃないかと思う」
そう鈴谷さんが言い終えると、皆が奏に注目をした。奏はその皆の視線を受けると、ゆっくりと頷いて語り始めた。
「あたしは、アメノウズメと猿田彦の話が好きなの。天津神であるアメノウズメと、国津神である猿田彦が夫婦になって協力し合うという話が。だから、少しそれについてあの図書室で調べたのね。色々と面白かった。アメノウズメが猿女と呼ばれて、演劇の神様になっている話も面白かったし、それが神様を鎮める行為に結びいているという話も面白かった。そして、調べていくうちに“猿”というのが支配され、差別を受けていた人達を示している事も知った。
あたしの中でこの“猿”は、初期の河童と結びついて、そして田中かえるとも結びついたの。だから、田中かえるには、蛙も女子高生も関係がないと思った」
そう奏が言い終えると、鈴谷さんは語り始めた。
「唄枝さんが言った通り、実は“猿”というキーワードは、日本民俗の中で、重要な位置を占めるわ。しかも、神様と色濃く結びついた存在として。
“猿回し”は、元は被差別部落民達の間で受け継がれてきた芸能だった。そしてそれは門付き芸…… これは、春に来る神、来訪神とも関係があるとされる宗教的儀式でもあるのだけど、その一つでもあった。更に厩神にも猿が使われる。厩神というのは、馬を守護する神様の事。そのまま猿が厩に繋がれたり、猿の手が使われたり、猿の絵が使われたり。どうして猿が厩神になるのかといえば、先の猿田彦にその起源があるとする説がある。猿田彦は、天津神達がやって来た時に、案内し守護した神様。当然、その道行には馬が用いられただろうと思われる。つまり、猿田彦は馬を護った神様でもある、と解釈できるのね。
実は河童も馬に関連している。河童は牛馬を川に落とすのよ。つまり馬に災いをなす。馬に危害を加える河童が荒ぶる魂で、それを祀りこめて和魂にし、馬を守護する厩神に変える… そう考えると、確かにすっきりするわね。初期の河童が、どうして猿の姿をしているのかも、これでよく分かるように思える。飽くまで、仮説に過ぎないけど」
そこで園上さんが声を上げた。
「ちょっと待ちなさい。勝手に納得しないでよ。河童が猿だからって何だっていうの? 今回の話と、どう結びつくのよ?」
それに鈴谷さんはこう返す。
「河童の起源の一つは、水に関する特殊技能を持った部族だったのではないかとする説があるわ。そして猿も部落民の蔑称であった可能性がある。“猿婿入り”って昔話を知っている? 異類婚姻譚の一つだけど、娘を嫁にやると約束して、仕事を手伝ってもらった猿を騙して殺してしまう話。この話に出てくる猿は実は河童だという解釈もある。そして、異なった部落の人間でもあるのかもしれない」
園上さんは怒鳴った。
「だから、それが一体、どうしたのか?って聞いているの!」
それに一言、こう鈴谷さんは返した。
「唄枝さんは、被差別部落の出身なのよ」
言い終えた後で、鈴谷さんは奏を見た。
「言ってしまったけど、別に良かったわよね?」
奏はそれに頷く。
「大丈夫。あたしはまったく気にしていないから」
奏は部落の出身。もちろん、わたしもそれを知っていた。だからこそ、奏は中学生の頃から、いや、きっと小学生の頃から、ずっと皆にいじめられてきたんだ。
鈴谷さんは続ける。
「そんなくだらない理由で、誰かを虐待する人間の頭の中がどうなっているのか、私にはまったく分からないけど、唄枝奏さんは、それでずっと虐待を受けて来た。もちろん、そこにいる木垣さんみたいに彼女に味方する人もいたし、そんな事をまったく気にしていない人達もたくさんいたはずだけどね。ただそれでも、彼女が不当に酷い扱いを受けて来た事は事実。
そして噂話の中に出てくる田中かえるが、そんな彼女を護ってくれた。彼女が一年生の頃、田中かえるが現れて、いじめっ子の一人を懲らしめたという事件が起こっているのよ。いえ、中学生の頃にも、似たような事が起こっていたのかしらね。つまり、田中かえるは唄枝さんにとって被差別部落民である自分を護ってくれる妖物。
唄枝さんの中で、それがかつての失われた信仰の神様になったとしても不思議ではないわ。更に、ここにあるこの祠は、失われた信仰の神様を祀ったもの。しかも、被差別部落民の神様である可能性が高い。
そして、その自分達の神様が、どうやら騒ぎ出している。校舎の中を田中かえるが徘徊し、呪いの噂にも、この祠が関係している。実際、田村鈴という被害者まで出てしまった。ならば、その荒ぶる魂を鎮めなくてはならない。そして、その魂を鎮められるのは、被差別部落出身の自分しかいないのではないか? 恐らく、唄枝さんはそう考えた。かつて、芸によって、被差別部落の民達が、荒ぶる魂を鎮める役割を担っていたように」
その鈴谷さんの語りを奏は黙って聞いていた。そしてその表情は、鈴谷さんの説明を肯定してもいた。鈴谷さんはまた口を開いた。
「園上さん。あなたは、弱い者いじめをしていた自分のような人間を懲らしめる為に、唄枝さんが田中かえるを祀っていたと思っていたのじゃない? だから、唄枝さんに対して怒っていたのだわ。でも、その唄枝さんの目的はまったく逆だった。むしろ、怒っている自分達の神様を鎮めようとしていたのだもの。祟りを為さないように。もっとも、あなただけじゃなく、誰一人として、唄枝さんの本当の目的を理解してはいなかったのかもしれないけどね。
――いえ、もしかしたら、三谷涼君。あなたは知っていたのかしら?」
その問いを受けて、三谷涼は随分と落ち着いた様子でこう答えた。
「唄枝先輩が、田中かえるの存在を信じていて、そしてあの祠に祀ろうかと悩んでいた事までは知っていましたよ。田中かえるが怒っているみたいだからとか、そんな事を言っていて、随分と変わった先輩だなと思っていましたが」
鈴谷さんは腕組みをするとこう言う。
「なるほど。それで君は、それを利用する事を思い付いたのかしら? それとも、その報告を受けた、あなたの大好きなお姉さんが発案者なのかしら?」
「命令をしたのは姉さんで、やり方を考えたのは僕ですね。この場合、どっちが主犯なのでしょうか?」
「さぁ? どちらでも、あまり差はないと思うけど」
わたしはそのやり取りを聞いて、軽く頭が混乱した。恐らくこれは、あの演劇部の片付けの時に起こった事件の話をしている。つまり、三谷涼と三谷楓があの事件の犯人だという事になる。しかし、一体、どうしてそんな事を? それに、どんな手段で? どうして田中かえるを利用する必要があったのだろう?
そこで駒川さんがこう口を開いた。
「あの……、三谷君が田中かえるの格好をしていたのって、その為じゃないのですか? 田中かえるの噂話を利用する為に、前もって噂話を流そうとしていた、とか」
それを聞くと、黒宮さんが声を上げる。
「それはないわね。だって、彼が校舎を徘徊し始めていた頃、まだ私は三谷楓さんに劇部員から呪いの依頼が入った事を伝えていなかったもの。てか、三谷涼君が唄枝さんや一年の劇部員を利用した件については、あなたは気にしていないのね。それもどうかと思うわよ? 恋は盲目ってやつかしら」
え?
まるで何でもない事のようにサラッとそれを黒宮さんが言ったから、反応が遅れてしまったが、今、彼女はとんでもない事を言ったような気がする。わたしは口を開く。
「待ってよ。黒宮さんは、三谷楓さんにそんな事を言っちゃってたの?」
それを聞きながら、わたしは思い出していた。わたしは一度、黒宮さんから「呪われてみない?」とそう訊かれている。あの時は、冗談の類だと思っていたが、実はあれって……
「そうよぉ。だって私、呪いなんて使えないもの。犯罪なんてしたくないし。なら、その呪いの依頼をこなす手段は一つしかない。呪いの対象者に、“呪われて”とお願いして協力してもらう事。園上さんの田村さんに対する呪いだって、だからこそ成就したのだもの」
わたしはそれを聞いて、軽く眩暈を覚えた。滅茶苦茶だ。つまり、田村さんが呪われたのは自作自演だった事になる。いや、この場合、自作自演というのも変だけど、つまりは彼女は、呪われた振りをしていただけなのだ。
「なんですってぇ!?」
黒宮さんが言い終えるなり、園上さんはそう怒鳴った。黒宮さんを睨みつけながら、彼女はこう続ける。
「あなた、やって良い事と悪い事の区別がつかないの?!」
「それはお互い様なのじゃない? 恋敵をいじめて排除しようとして裏目って自爆、更に逆恨みで呪おうとするなんて、もう、びっくりするくらいの醜さだったわよ。
しかもあなたの依頼内容は、他の人には知られないように田村さんを呪うというもの。田村さんが呪われたと分かった時点で、その犯人として自分が疑われるからって。ま、結局、後で田村さんが呪われていたという噂は広まってしまったのだけど。でも、はっきり言って虫がよすぎるのよ。それを聞いた時、私はちゃんと言ったわよね? どんな結果になっても知らないわよって。あなたが逆に呪われる事になるかもよって。私は手段を選ばないとも言ったわ」
園上さんはそれに何も返さなかった。悔しそうに黒宮さんをじっと睨んでいる。それを見て、わたしはこう黒宮さんに尋ねた。
「田村さんを貯水池に落とすようにしたのは、どうしてなの?」
「危険が少ない上に、分かり易い“呪い”の発現方法を考えてそれにしたのよ。空のペットボトルをいくつかカバンに入れて浮き輪替わりにすれば、服を着たままでも溺れる心配はない。もちろんそのシーンを、園上さんにも見せて納得させたわ。呪いをかけたから、この時間に田村さんは貯水池に落ちるはずだって言って来てもらったのね。
因みに、偶然なのだけど、私はこの呪いは“田中かえる”の手を借りていると、そう彼女に言った。ほら、あの貯水池の中って蛙がたくさんいるでしょう? それで思い付いたのだけど」
なるほど、とそれを聞いてわたしは思う。だから、あれほどまでに園上さんは、田中かえるを恐れていたのだ。田中かえるは実際に、呪いの効果を発揮している上に、逆に呪われるかもと黒宮さんから脅されていたから。それからわたしは、こう田村さんに訊いた。
「田村さん。どうしてあなたは、その黒宮さんからの誘いを受けたの?」
それを受けると、おどおどとしながら彼女は語り始めた。
「それは、もちろん、怖かったからよ。わたしに嫌がらせを続けていた人が、今度はわたしを呪おうとしていると知ったのよ? 正直言って、不安で堪らなかったわ。危険を感じない方がおかしい。
そして、身を護る一番の手段は、そのまま大人しく呪われてしまう事だって黒宮さんから言われたの。そうすれば、それ以上は何もされないだろうって。わたしは納得した。実際、確かにその通りになったし。呪われた振りをしたら、もうそれ以上は、園上さんはわたしに何もして来なくなった。だけど、それから先をわたしは考えていなかった……」
「あ、なるほど。園上さんが怖くて、登校できなくなったのか」
そう声を上げたのは、黒宮さんだった。気付いてなかったというような口調。正直、彼女は頭が切れるのかどうかよく分からない。次に声を上げたのは奏だった。
「もしかして、そこにあたしが訪ねて行ったの? それで、田中かえるを祀ろうと思っていると言ってしまって……」
その言葉に、田村さんはゆっくりと頷いた。
「そう。唄枝さんの話を聞いて、わたしは田中かえるを利用して、園上を懲らしめる事を思い付いたの。徹底的に反省させれば、わたしも安心して学校に行けると思って」




