第1話 嘘告
——パチッ
「ケイタってさ」
——パチッ
「ん?」
——パチッ
「好きな人いないの?」
——パチッ
「……どうだろうな」
「また適当なこと言ってー」
「手が止まってるぞ」
「これ、詰んでる?」
「詰んでるな」
「もー! なんで飛車角落ちでこうなるかなー?」
「まずは囲いを覚えないとな」
ヒナはいつも突拍子もないことを言い出す。今日だってそうだ。放課後の教室に呼び出されたと思ったら「将棋を教えて」だもんな。
「ヒナこそ、バスケ部の彼氏とはどうなんだ?」
「そんなのとっくに別れたよ〜」
知っている。ヒナは彼氏と別れると毎回髪型が変わるからな。
「そうか。今回も早いな」
「言い方〜! そんで、ケイタはどうなの?」
「……内緒だ」
少し頬を膨らませながら俺を睨むヒナの顔は、今日も可愛いな。これまで口に出したことはないが、ガキの頃からずっとヒナが好きだ。割と態度にも出ていたと思う。ただ、仲良しの幼馴染として長く時間を共にしたせいか、ヒナは俺の恋心にだけ妙に鈍感だった。
「……」
「どうした?」
「じゃあさ、私と付き合わない?」
「へ?」
心臓が跳ねる。俺とヒナの二人しかいない、静かな教室。俺の心臓の音はもしかしたらヒナに聞こえていたかもしれない。
「好き……って言ってるの」
「マジか……」
「ケイタはどうなの!」
「……俺もヒナが好きだ。本当はずっと……初めて会った時から……」
「……!?」
「ごめんな」
「何がごめんなの?」
「いや、ヒナから言わせちゃって……」
頬が緩む。小学校二年生の時に東京から転校してきた俺と、同じ社宅に住んでいたヒナはいわゆる幼馴染ってやつだ。親同士が同じ会社に勤めているということもあり、家族ぐるみで夏は河原でバーベキュー、正月は餅つきをしたりと、年中行事まで共に過ごしてきた。
近所の可愛い女の子と何年も仲良く遊んでいれば、いつの間にか好きになってしまうのは普通だと思う……。ごめん。嘘をついた。本当は一目惚れだ。
誰にも話してはいないが、初めて出会った時、陽菜って、名前の通りの眩しい笑顔に一発でやられてしまったんだ。それからずっと、俺はヒナのことが好きだった。
それでも、好きって言えなかった。俺はいつも明るいヒナとは違って、根暗で臆病者なんだ。大好きな女の子の隣に、家族ぐるみの付き合いがある幼馴染としていられるポジション。
それで満足だった。ごめん。また嘘をついた。本当は満足なんかしていないけれど、それ以上に、この関係が壊れるのが怖かったんだ。
「全然いいよ! じゃあ今日からケイタが私の彼氏ってことで、いいのかな?」
「ああ。……嬉しいよ」
「私も!」
「俺、彼女とかできたことないから、何すればいいかわからないんだけど……」
「まずは一緒に下校をするところからだね♪」
「それは……いつも通りだな」
「いいの! とにかく帰ろう!」
「ああ」
頭金で押さえられた玉が「早く解放してくれ」と訴えてくる将棋盤と駒をロッカーにしまい、ヒナと並んで帰路に着く。いつもと同じ帰り道、いつもと同じ電車、いつもと同じように隣にいるヒナ。幼馴染という特等席の代わりに得たヒナの彼氏という席から見る景色は、俺の世界をガラッと変えた。
このまま一生下校していたい。なんて、物理法則を超えた俺の願いも虚しく、二人の家族が住む社宅の前に辿り着く。
「もう少し一緒にいたい」と言いかけて、言葉を飲み込んだ。
十年間、胸の奥にしまい込んできたはずの俺の欲望は、彼氏という椅子に座った途端に膨れ上がってしまったようだ。ある程度自制しなければ、ヒナのこと以外何も考えられなくなってしまう。なんならすでにそうなりつつある。
これからは彼氏と彼女なんだ。焦ることはない。ゆっくりでいい。
「それじゃあ」
「うん! また明日ね!」
この日のヒナの顔を、俺は一生忘れられないだろう。
◇
「ケイタ」
「ん?」
「キモいよ」
「え?」
「顔が」
「エリカ。人の容姿を侮辱するのは良くないぞ」
「そういうことじゃない! ニヤニヤしててキモいって言ってるの!」
いかん。妹の前で締まりのない顔をしてしまっていたか。気をつけないとな。あまりだらしない顔をしていては、ヒナに嫌われてしまう。
「黙って食え。ボケっとしていると親父に唐揚げを全部取られるぞ」
「え!?」
「ガハハハ! 食卓は戦場だ! 母さんの作ってくれた食事に集中しない奴はこうやって唐揚げを失っていくのだ!」
「ひどい! 返せ! 私の唐揚げだ!」
「ガハハハ!」
「もう、お父さんったら。意地悪しないであげて。エリカには今揚げたてのヤツがあるわよ」
「さすがお母さん! お父さんは冷めた唐揚げでも食べてなさい!」
「ぐぬぬぬ」
上場企業の部長という肩書を持っているが、家の中ではただの陽気なおっさんである親父。二つも年上の兄貴に無礼を働く妹のエリカ。料理がうまくて優しいお母さん。
親父が妹と俺をからかって、妹が拗ねて、お母さんがオヤジを叱るのを俺が笑って見ている。いつもの晩飯の風景だ。俺とヒナが付き合ったからって全てが変わるわけではない。
——ピコン
——ピコン
——ピコン
ん?
32件の通知。
普段はクラスの目立つ奴らばかりが話しているので、流し見程度にしかチェックしていないグループチャットが、やけに今日は盛り上がっている。まだまだトークは増えているようだが、何があったのだろうか。
『冗談だって』
『ガキかよ』
[ブチギレる猫のスタンプ]
『なにやってんの』
『やばっ!』
いつもはあまりグループチャットで発言しない奴らも何かを呟いている。
『冗談じゃん』
『これマジなん?』
『ケイタw』
俺? 何かしたか?
スクロールを早める。
……
……
……
『ニヤケすぎだろ』
『めっちゃ本気にしてるwww』
『俺もヒナが好きだっ![キリッとした顔]』
……。
トークを遡ってみると一本の動画が貼られていた。
題名は……。
『嘘告に浮かれるケイタ氏 〜 俺もヒナが好きだっ!』
律儀にサブタイトルまでつけられた俺が主役のショートムービーは、グループを大いに盛り上げていた。
……。
頭の中が真っ白になった。さっきまで親父がバカやる姿を見て笑っていたはずの俺の表情が今どうなっているのかなんて考える余裕すらなかった。
「ケイタどうしたの? 今度は顔色が悪いよ?」
「いや、なんでも。ごちそうさまでした」
ごめん。エリカ。感じの悪い返事をしてしまった。だけど、限界だった。これ以上喋ると、声と一緒に涙が溢れ出してしまうことがわかっていたから。明日謝るから許してくれ。
とにかく、食器を片して部屋で泣こう。俺は高校二年生。もうすぐ十七歳になる。家族の前で涙を見せるわけにはいかない。
——ピコン
——ピコン
——ピコン
グループの通知が増え続ける。さっき見た感じだと、別にみんながみんな俺のことをバカにしているわけではなかったと思う。それはありがたいが、俺は誰が俺をバカにしているのか、擁護しているのかなんてことを考える余裕すらなかった。
涙で前が見えないんだ。声を殺しているが、目も口も開いているかどうかすらわからない。とにかくこの症状が治らなければ何も始まらない。
ヒナ……嘘だったのか……。
◇
「う……うぅ……」
……。
ようやく涙が止まった。生きてきてあまり泣いたことの無かった俺の十六年分の涙が全て出てきたみたいだ。人間の半分は水でできているというが、どうやらそれは排出可能な物だったらしい。部屋の隅にあるゴミ箱から、ティッシュの山が雪崩を起こしていた。麓に民家があれば大惨事だろうな。
そんなバカなことを考える余裕も、少しは出てきた。くだらないことを考えがちな自分の性格がここで活きてくるとは。親父のDNAに感謝だな。
時間は……午前二時。丑三つ時だな。そういえば、昔は怖かったんだよな。この時間帯に目が覚めるの。小学校五年生の時に、ヒナから『丑の刻参り』っていう怖い話を聞いてから、しばらくは夜中に一人でトイレに行けず、エリカを起こしてついてきてもらっていたことを思い出してしまった。
……。
恐る恐るスマホを確認する。
219件
三桁は初めて見たな……。
グループチャットを開くと、動画を投稿したレオンたちと、それを非難するマサヒロたちがヒートアップしている……。
困った。別に俺たちのクラスは仲の悪いクラスじゃない。飯を食う時も体育の時間も、目立つやつとおとなしいやつで多少グループが分かれるくらいで、学校行事の打ち上げなんかは全員誘われる。
レオンたちもバカなだけで、悪気があってやったとは言い切れない。庇ってくれるのはありがたいが、なぜマサヒロがここまでヒートアップしているのかもよくわからなかった。
とにかく、俺たちは明日からも学校で顔を合わせるんだ。こんな状態じゃあ、教室に入りにくいじゃないか。
『ごめん! 寝てた!』
深夜二時だぞ。他人のことで盛り上がっていないで早く寝てくれ。明日も学校があるんだから。ムービーの主人公が顔を出すと、グループチャットで傍観を決めていた奴らも盛り上がりを見せる。
『ケイタ、大丈夫?』
『全然気にしてないよ! 見事に引っかかってしまったのは恥ずかしいけどな!』
『だから言ったろ、冗談だって! ケイタはこんなことでキレたりしないっしょ』
そう。別に俺は怒ってはいない。ただ悲しいだけだ。
[怒った猫のスタンプ]
『可愛い猫だな』
[怒った猫のスタンプ]
[泣いている猫のスタンプ]
[落ち込む猫のスタンプ]
ミレイちゃんがスタンプを連打している。
『まぁ、俺は気にしていないから、寝よう。明日も学校だ』
[眠る猫のスタンプ]
『ケイタが大丈夫って言ってるんだからこの話は終わりな!』
[呆れた猫のスタンプ]
『ケイタ! 元気出せよー!』
『おやすみ』
よかった。とりあえずみんな寝たみたいだ。俺が我慢すれば、場がおさまるんだから、それが一番良い。
——ピコン
よく見れば、グループチャットだけじゃなくて個別でも連絡が来ている。
『大丈夫か?』
『大丈夫。なんか庇ってくれていたのに、悪いな!』
『いや、お前が大丈夫ならいいんだけどさ』
『ありがとなーマサヒロー』
『なんかあったら言えよ。おやすみ』
『ありがとー。おやすみ』
特に普段から一緒にいるわけでもないのに……マサヒロは良いやつだったんだな。特にグループに所属もせず、いつも一人で勉強ばかりしているガリ勉のマサヒロの意外な一面を見た。
『ケイタ、大丈夫?』
『全然平気だよ!』
[心配する猫のスタンプ]
『ミレイちゃん、可愛い猫のスタンプだね』
『あげる』
『え?』
“Mirei UuouU から、迷い猫と踊るウサギのスタンプがプレゼントされました“
[踊るウサギのスタンプ]
『ありがとう! 可愛いウサギだね』
『おやすみケイタ。また明日学校でね』
せっかくもらったスタンプだし、俺も使ってみよう。
[手を振る猫のスタンプ]
なかなか使い勝手のいい猫だ。ミレイちゃんも、教室ではほとんど話さないのに……。ありがたいな。
しかし、可愛い猫だな。
他にも何人かからメッセージは来ていたので、それを返しているうちに、時計は深夜三時を回っていた。
……。
ヒナからのメッセージは、朝まで待っても来なかった。
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仕事終わりに読者様へコメントを返す事を楽しみに生きているので、作者にエネルギーを分けてもらえたら嬉しいです♪




