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あの日の恋に、名前をつけるなら  作者: 衣乃


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第六話


 週明けのホームルーム。

 担任の先生が黒板に大きく書いた文字を見て、教室の空気が少しだけ浮き立った。


『校外学習』


 その四文字を見た瞬間、あちこちから小さなざわめきが上がる。入学してまだ二週間ほどしか経っていないのに、行事の話が出るだけで、急に本格的な高校生活が始まったような気がした。


「来月、学年全体で校外学習があります。今年は自然公園で飯盒炊爨はんごうすいさんをします」


「はんごう……?」


 誰かが呟いて、教室がさらにざわつく。

 先生は慣れた様子で黒板に『飯盒炊爨』と書き、その横にふりがなを足した。


「飯盒でご飯を炊いて、班ごとにカレーを作ります。材料と道具は向こうの施設で用意しますが、当日の役割分担は班で決めておいてください。火を使うので、ふざけないこと。ここは本当に気をつけてくださいね」


 そう言いながら、当日のしおりが一番前の席から順に回ってくる。


「うわー、カレー作り体験だって!」


 後ろの席から、花音がすぐに身を乗り出してきた。


「みんなでカレー作るのとか、めっちゃ楽しそう!」


「ね!絶対楽しいやつだ」


 私も前から回ってきたプリントを受け取りながら、大きく頷いた。


 配られた紙には、集合時間や持ち物、当日の流れが書かれている。午前中に自然公園へ移動して、班ごとにカレー作り。食べたあとは片付けをして、余った時間は公園内の広場やコートで自由に過ごせるらしい。


「あ、見て。バドミントンとかテニスもできるって」


 花音がプリントの下の方を指さした。


「ほんとだ。ラケット借りられるんだ」


「運動できる服って書いてある。制服じゃないんだね」


「そっか。カレー作ったり遊んだりするもんね。汚れてもいい服ってことか」


「うわー、高校生活最初のイベントか〜!めっちゃワクワクするね」


 花音が本当に楽しそうな顔で言うので、私もつられて笑ってしまった。


 教卓の方を見ると、先生が紙の入った小さな箱を持ち上げている。


「班は六人ずつ。男女混合で、くじで決めます。今回の目的は色んな人と親睦を深めることです! まだ入学したばかりなので、普段あまり話さない人とも話してみてください」


 その言葉に、教室の空気が一気にそわそわし始めた。


 仲のいい子と同じ班になりたい人もいれば、誰と一緒になるのか不安そうにしている人もいる。まだお互いをよく知らないからこそ、班決めひとつで少し緊張してしまうのだ。


 私は後ろの席の花音と目を合わせた。


「柚ちゃんと一緒がいいよ〜」


 花音がすがるような声を出す。


「私も絶対一緒がいい!お願い神様!」


「くじだからなぁ……」


「祈ろう」


「うん、祈ろう」


 二人で小さく手を合わせていると、くじ箱が前の席から順番に回ってきた。


 自分の番になり、箱の中へ手を入れる。小さく折りたたまれた紙がいくつも指先に当たって、どれを選んでも同じはずなのに、なぜか少し迷ってしまう。


 えいっ、と一つ引いて開くと、そこには『三』と書かれていた。


 花音の方を振り返ると、彼女はすでにくじを引き終わり、待ちきれない顔でこちらを見ていた。


「私、三班だった!柚ちゃんは何班?」


「私も三班だよ!やったー!一緒だ!」


「ほんと!?」


 花音が見せてくれた紙にも、同じように『三』と書かれていた。


「やったぁ」


「よかったぁ」


 周りの迷惑にならないよう声を抑えながら、二人で小さくハイタッチをする。


 それだけで、一気に安心感が胸に広がった。



     *



「では、それぞれの班ごとに机を寄せてください。当日の飯盒担当、野菜担当、火の管理担当を決めます。みんなで話し合いながら決めてくださいね」


 先生の指示で、教室中の机が一斉にガタガタと動き始めた。


 私と花音が机を寄せていると、背の高い男子が一番にこちらへやって来る。


「俺ら三班!よろしくー!」


 明るい声を出したのは青木くんだ。


「あ、よろしく!三班の他のメンバーは誰なんだろ〜?」


 私が返すと、青木くんはすぐに振り返って後ろの席へ手招きした。


「男子は俺と、白石、佐伯だったよ。おーい、こっちこっち!」


「え、白石くんも?」


 思わず聞き返してしまった。


 窓際の方を見ると、白石くんはちょうど佐伯くんと一緒に机を持ち上げているところだった。青木くんに「こっちこっち」と手招きされ、少し面倒そうな顔をしながらもこちらへ歩いてくる。


「分かってる」 


「今行く」


 白石くんと佐伯くんが、それぞれ自分の机を運んで近づいてくる。


 少し遅れて、黒瀬さんも静かに机を運んできた。


「あ、黒瀬さんも三班なの?嬉しい!ここ空いてるよ」


 私が隣の場所を指すと、黒瀬さんは一瞬だけ目を丸くして、それからふっと微笑んだ。


「ありがとう」


 (……黒瀬さん、やっぱ美人だなー)


 彼女は入学当初から、一人で静かに本を読んでいることが多くて『一匹狼の美人』という印象だった。真っ黒でサラサラの髪に、どこか上品な雰囲気があって、密かに話してみたいと思っていたのだ。


 六つの机を合わせると、一気に『班』らしくなる。

 けれど、まだ全員が話し慣れているわけではないから、最初は少しだけ手探りの間が空いた。


 その気まずさをあっさり破ったのは、やはり青木くんだった。


「係決める前にさ、とりあえず自己紹介しとかない? まだ入学して二週間だし、ちゃんと話したことない人もいるっしょ」


「たしかに。顔と名字はなんとなく分かるけど」


 佐伯くんが穏やかに同意する。


「じゃあ俺から。青木陸あおき りくです。部活は陸上部に入った!よろしくな」


 青木くんがハキハキと言うと、私もすぐに続いた。

「私は早川柚葉はやかわ ゆずはです!趣味はドラマとか映画を見ることで、部活は帰宅部になる予定です。気軽に柚葉って呼んでね!よろしく!」


「じゃあ次は私だね。藤井花音ふじい かのんです。私は軽音部で、キーボード担当です!よろしくねー」


 順番に名前を言うと、青木くんが私と花音を交互に見た。


「早川さんと藤井さんは仲良いよね。いつも一緒にいるイメージ」


「うん。私たち、中学からの同級生なんだ」


「なるほどね」


 青木くんは納得したように頷き、隣に座る白石くんを肘で軽くつついた。


「じゃあ次、白石いけよ」


「……白石柊です。部活は入ってない。よろしく」


 白石くんは短くそう言うと、少し居心地が悪そうに視線を落とした。


 すかさず青木くんが笑いながらフォローを入れる。


「こいつ、見た目こんなだけどただの人見知りなんで! よろしくな。じゃあ次、佐伯」


佐伯航さえき わたるです。俺はサッカー部! 趣味もサッカー観戦かな。よろしく!」


「最後は黒瀬さんだね」


 青木くんが振ると、全員の視線が黒瀬さんに集まった。


「……黒瀬澪くろせ みおです。私は被服部に入ってます。クラスにまだ仲良い人があまりいないので、これを機に仲良くして欲しいなって思います……。よろしくお願いします」 


 落ち着いた、とても綺麗な声だった。少しはにかむように笑う姿に、私はたまらず身を乗り出した。


「うわーー黒瀬さんかわいい!!絶対仲良くしようね!」


「ふふっ、ありがとう。よろしくね」


 黒瀬さんがまた、美人な微笑みを見せてくれる。


「オッケー。これで一応、全員知ってる仲ってことで」 


 青木くんが明るく手を叩く。


 その一言のおかげで、さっきまでのよそよそしい空気が嘘のように軽くなっていた。


「じゃあ、係決めよっか」


 花音がペンを片手にプリントを引き寄せると、役割は思っていたよりもあっさり決まった。


 飯盒担当は、白石くんと青木くん。 


 野菜担当は、私と黒瀬さん。


 火担当は、花音と佐伯くん。


 花音がきれいな字で六人の名前を書き込むと、青木くんがプリントを覗き込んで、満足そうに頷いた。


「よし。三班の係決まったぞー! もう準備万端じゃん」 


「まだ名前書いただけだけどね」


 花音がすぐに的確なツッコミを入れる。


「外で作るカレーとか絶対うまいよな。俺、飯盒でご飯炊いたことないけど」


「そうだよ、絶対美味しいよ!本当に楽しみ!」


 私が全力で頷くと、青木くんは嬉しそうに目を輝かせた。


「だろ? 飯盒で炊いたご飯にカレーとか、最高じゃん!」


 係が決まったあとは、自然とプリントの他の欄に目がいった。持ち物、集合時間、バスの座席、自由時間に使える施設。文字を追っているだけなのに、少しずつ当日の景色が頭に浮かんでくる。


「あ、ここ見て。芝生広場、バドミントン、テニスコートって書いてある」


 花音がプリントの下の方を指さす。


「ほんとだ。けっこういろいろあるんだね」 


「自然公園っていうから、ひたすら山歩きみたいなの想像してた」


 佐伯くんが言うと、青木くんが笑った。


「俺も。めっちゃ長い階段とか登らされるやつかと思ってたわ」 


「それはそれで校外学習っぽいけどね」 


「バス、片道一時間くらいだって」


 佐伯くんが持ち物欄の下を見ながら言った。 


「一時間?けっこうあるね」


「バスの中って、何するんだろ」


 私が呟くと、青木くんが待ってましたという顔をした。


「みんなで遊ばない?」


「いいねー!何して遊ぶ? トランプとか?」


 私が即座に食いつくと、花音が「あ、私持ってるよ」と手を挙げた。


「ほんと!?花音ー!ありがとう!じゃあトランプお願いします!」


「お菓子とかもいっぱい持っていって、お菓子パーティーもしようよ!あ、火あるしポップコーンの素とかも持って行こうかな!」 


「柚ちゃん、食い意地張りすぎ(笑)。いいね、私もお菓子いっぱい持っていくね!」


「俺もいっぱい持ってく!」


 佐伯くんも楽しそうに同意する。白石くんは口数こそ少ないけれど、私たちのやり取りを聞いて少しだけ口角を上げていた。


 そんな話をしているうちに、六人の間にあった遠慮みたいなものが、いつの間にかすっかり薄くなっていた。



     *



 先生が三班の机の近くまで来て、花音のプリントを覗き込む。


「決まりましたか?」


「はい。飯盒担当が白石くんと青木くん、野菜担当が早川さんと黒瀬さん、火担当が私と佐伯くんです」


 花音がきれいに書かれたプリントを見せると、先生は満足そうに頷いた。


「いいですね。火の扱いだけは本当に気をつけてくださいね」 


「はいっ!」


 青木くんがなぜか誰よりもいい返事をした。


「青木くん、返事はいいですね」


「返事『だけ』みたいに言わないでくださいよー」

 青木くんの返しに、教室の何人かがクスッと笑う。先生も少し笑って、次の班へ移っていった。


 やがて机を戻す時間になり、六人はそれぞれ椅子を引いて立ち上がった。


「柚ちゃん、校外学習楽しみだね」


 花音がワクワクした顔で言う。


「ね。めっちゃ楽しそう」


 私も心から頷いた。


 今日初めてまともにみんなと話したけれど、同じ班になって、カレーやバスやお菓子の話でたくさん笑い合って、少しだけ仲良くなれた気がする。それだけで、とても幸せな気分だった。


 自分の席に戻ってから、私はもう一度プリントを開いた。


 三班。

 飯盒担当、白石柊、青木陸。


 野菜担当、早川柚葉、黒瀬澪。


 火担当、藤井花音、佐伯航。


 並んだ文字で見ると、さっき決めただけの予定が、急に本当のことみたいに感じられて胸が弾む。


「カレー、うまくできるかなぁ」


 私が小さく呟くと、前の席の花音がくるっと振り返って笑った。


 チャイムが鳴り、教室のざわめきが少しずつ授業の空気に変わっていく。


 私はプリントをファイルにしまいながら、黒板に残った三班の名前をもう一度だけ見た。


 早川柚葉。

 藤井花音。

 黒瀬澪。

 白石柊。

 青木陸。

 佐伯航。


 いつか遠い未来で思い返すことになる春の一日が、こんなふうに何気なく始まっていくことを、私はまだ知らなかった。


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