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灰街区(はいがいく)

第一章


灰街区はいがいく


首輪都市メスラディアの東端。


そこに近づくほど、空気は色を失っていく。

ネオンは減り、音は濁り、代わりに“生き物の匂い”だけが濃くなる。


ここが灰街区。


所属を失った者たちが流れ着き、

勝者になれなかった者たちが沈んでいく場所。


「……ここが地下か」


ユウトは錆びた階段を降りながら呟いた。


足元の鉄板は軋み、どこか遠くで歓声のようなものが響いている。

歓声なのか、悲鳴なのか、その境目は曖昧だった。


「遅い」


背後から声がした。


ノアだった。


灰色のパーカー、無造作な短髪。

首には黒い首輪が巻かれている。


だがタグ部分は削られていた。


所属不明。


どこにも属していないという証明だけが、そこに残っている。


「ここ、嫌い」


「慣れろよ」


「慣れる必要ある?」


「あるだろ。戦う場所だ」


ノアは鼻で笑った。


「アンタさ、ほんとにズレてる」


二人は地下への通路を抜ける。


その瞬間、音が爆ぜた。


歓声。


怒号。


金属がぶつかる音。


そして――歓喜。


そこは円形の闘技場だった。


観客席は鉄骨で組まれ、下層には即席の賭け札が飛び交っている。

空気は熱いのに、どこか冷たい。


ここでは勝敗だけが価値だった。


「次の試合、出場者入場!!」


拡声器の声が響く。


ユウトは周囲を見渡す。


どの視線にも共通点がある。


“誰が負けるか”を探す目だ。


そしてその目は、戦っている存在にも向けられている。


ステージ中央。


少女型のレディアが、鎖に繋がれたまま戦っていた。


首輪は光っている。


所属刻印しょぞくこくいん


そこには、勝者の名前が刻まれている。


負ければ書き換わる。


それがこの世界のルールだった。


「……あれが普通か」


ユウトの声は低かった。


「普通じゃない」


ノアが即答する。


「でも、ここでは普通」


「勝った側の所有物になる。そういう契約だから」


ノアは淡々と続けた。


「レディア本人の意思なんて、ほとんど関係ない。勝者が命令すれば従うし、売ることもできる。酷い扱いする奴もいる」


ユウトは眉を寄せた。


「……物じゃないだろ」


「アンタはそう思うんでしょ」


ノアは肩をすくめる。


「だからズレてるって言ってんの。でも、そのズレ方――嫌いじゃない」


ユウトは答えなかった。


ただ、ステージの少女から目を逸らせなかった。


もし自分が勝ったとしても、誰かを“所有する”なんてできるのか。


そんな考えが、胸の奥に重く沈んでいた。


その矛盾が、この街のすべてを壊れたまま成立させていた。


歓声がさらに大きくなる。


勝負が決まった。


倒れたレディアの首輪に、別の名前が刻まれる。


少女型のレディアは震える指で首輪に触れた。

悔しそうに唇を噛みながらも、逆らうことはできない。


刻印が変わった瞬間、彼女の拘束鎖も自動的に解除される。

だが自由になったわけではない。


新しい所属者の元へ歩くよう、首輪が命令しているのだ。


虚ろな目のまま立ち上がる姿に、ユウトは言葉を失った。


その瞬間、観客は沸いた。


「やったぞ!」


「所属移った!!」


「新しい勝者だ!!」


ユウトは拳を握る。


勝利のはずなのに、胸が冷える。


奪うことが歓声になる世界。


その異常さを、今さら理解している自分がいた。


「……ユウト」


ノアが呼ぶ。


「目的忘れてない?」


ユウトは視線を戻す。


「ああ」


短く答える。


ルナ。


白冠協会。


神代シオン。


あの笑顔。


あの声。


全部がここから始まっている。


「力をつける」


ユウトは言った。


「ここで」


ノアは少しだけ目を細める。


「いい顔になってきたじゃん」


「何だそれ」


「さあ」


軽く笑って、彼女は先に歩き出す。


その背中を見ながら、ユウトは思う。


この街では、優しさは武器にならない。


必要なのは勝つ力。


そして――失わない力。


だがそのどちらも、今の自分にはまだ足りていない。


闘技場の奥へ進むほど、空気は濃くなる。


誰かの叫び。


誰かの勝利。


誰かの喪失。


その全部が混ざり合いながら、この街を形作っていた。


そしてユウトはまだ知らない。


ここでの出会いが、ルナへ続く道をさらに歪めていくことを。

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