第4章 マリラ、豹変する
マリラは書類をトペンプーラに返した。ジーナとアライアとベルが情報部共謀罪の罰を待っていた。
マリラは誰も罰せぬと言った。
「相手は玄街だ。いちいち罰を与えていては、捕えた玄街間諜の情報も私の身の安全も、この先ままならぬ。ただし、今回だけだぞ。次は私を策謀の仲間に入れよ。分かったか、ゆで卵」
トペンプーラは真っ赤になったが、敬礼を返した時にはもう白くなっていた。
「私の影はもう帰したのか。ジーナ」
「まだ小部屋に軟禁してございます」
カレナードは実習服に着替え、鉛筆を握っていた。ベルが脇机に置いた夜食は手つかずだった。
「何を書いているの」
「ベルさん。何もしてないと余計な事を考えてるから、マイヨール先生の課題をやってるんです」
「そうね、今回の作戦は早く忘れる事ね」
「あなたは忘れるのですか」
「教訓として覚えておくわ。オリガさんのようにならないために」
「軍人だからですか」
「あなたは気持ちを立て直そうと課題をやってる。私は仕事をやるまでよ。感情に溺れたら死ぬこともある。ヴィザーツはタフでなくては」
ベルの眼は静かだった。
「オリガさんは暗殺者向けじゃなかった。トペンプーラから聞いたわ。彼女は情報部の動きに気づいてここを脱出しようとした。なのにマルゴが手助けを強制した。玄街の系統指示に逆らえば酷い目に遭うそうよ。彼女は葛藤が高じて、よく卒倒してたようね」
カレナードはキリアンと一緒にミーナを介抱した日を思い出した。
「なぜ彼女がスパイとわかったんですか」
「本の修復コードに癖があってね、気付いたのは艦長よ。女官長も協力して、コードが張り付いている本を全部調べたの。ガーランド・ヴィザーツにないコード配列で、修復して半年で効力が切れるの。…カレナード、オリガのことで辛いならあとで話を聞くわよ」
「大丈夫です、ベル・チャンダル。僕はV班に戻って早くレポートと発声の補習をやらなくては」
マリラの執務室へ行くと、トペンプーラが「お疲れさん」と肩を叩いた。
「女王と君が鉢合わせしないよう、パレードのあとは眠っていてもらう予定だったのにネ。ワタクシの手落ちデス。睡眠薬が足りなかったようで申し訳ない」
「僕に一服盛ったのですね。言ってくれたら部屋で大人しくレポートを書いていました」
「次はそうしましょう。しかし、君が大人しくしている可能性は低いとみました。女王の危機となれば刺客の前に身を晒し、女官長の部屋で武器を漁る。やる時はやる人のようですからネ」
「トペンプーラ!」
マリラは叱った。
「情報部副長には言っておく。次はないぞ。二度とカレナードを私の代役にするな」
「お気に召さなかったのですか」
「私に断りなく紋章人の命を危険に晒し、素人も同然の新参に情報部員の仕事を強要した。リスクが高すぎる。確かに彼はやってのけた。パレードの席で堂々とネブラスカ領国府の首脳陣と渡り合うとは大したものだ。だが、これは結果論だ。ことがうまく運んだから、今こうしていられるのだぞ」
トぺプーラは私見を述べた。
「もちろんです。ワタクシは紋章人に会った瞬間、マリラさまに通じる素養を彼に強く感じましたので、特別にイメージ変容のレッスンを施しました。彼は見事に…」
そこまで言って、彼は女王の異変に気付いた。
マリラは表情を失い、常に美しい仕草を奏でる両腕が重く垂れた。カレナードはガーランド乗船時の石の女が現れるのを見た。
マリラは冷たい声でトペンプーラの言葉を継いだ。
「私に通じる素養を感じたので、どうしたのだ。申してみよ、トペンプーラ」
女官長は情報部の男が地雷を踏んだと思った。彼は持ちこたえようとした。
「ワタクシ、余計な事を申しました。紋章人は連れ帰ります。明日また報告に参りましょう。失礼をお許しください、マリラさま」
トペンプーラは畏まった。カレナードもそれに続いた。マリラは沈黙していたが、内側では突然の怒りが荒れ狂っていた。彼女は自分でも何が気に障ったのか、はかりかねた。そのため感情は麻縄の如く乱れ、それ以上トペンプーラとカレナードの目の前にいることは出来なかった。
「下がれ。紋章人は眉が元通りになるまで私の前に現れてはならぬ!」
彼女は一瞥もくれずに執務室を出た。
女王は寝室のベッドに突っ伏した。
「私はなぜ、こんなにも乱れたのだ。トペンプーラの言葉の何が私をこうさせるのだ。分からぬ。私人の記憶さえあれば、腑に落ちる答えを見いだせるものを!
ああ、これは怒りなのか、憎しみなのか。私はもう少しで女王にあるまじき行いをするところだった。あの2人、いや、紋章人を傷めずにいられない衝動があった。ジーナ!ジーナ!」




