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第二十二話:王都からの討伐隊と、偉大なる王の慢心 ~人間の兵隊など欠伸一つで消し炭にしてやろう!~

 王都からの使節団を追い返してから、数週間の時間が過ぎていた。

 温室の中は、いつものように穏やかな空気に満ちている。

 最近では外の空気も少しずつ暖かさを増しており、このぽかぽかとした春の時期特有の、心地の良い風が吹いていた。

 私は手に持った木の桶から、新しく植えた野菜の苗に向かって、ゆっくりと水をまいていた。

 水属性魔法の『ウォータ』で作り出した透明な水は、植物たちの根元に吸い込まれ、土を黒々と潤していく。


 作業を続けながら、私の頭の片隅には、先日無様に逃げ帰っていった王都の役人や騎士たちの姿が思い浮かんでいた。

 彼らを力ずくで追い返した以上、やはり、王都の連中がそのまま引き下がるとは思えない。

 あの無能な王子や妹のことだ。自分たちの失敗を認めず、何かしらの理屈をつけて、また面倒なことを仕掛けてくるに違いない。

 そんな漠然とした懸念が、ここ数日、胸の奥にずっと居座っていた。

 もし今度、騎士団でもやってきたら、この静かな生活はどうなってしまうのだろう。

 土に触れ、自分の手で食べ物を育てるという、せっかく見つけた喜びを失うことにならないだろうか。


 ふと顔を上げると、少し離れたふかふかの土の上で、真っ白な毛玉が大きなあくびをしていた。

 ハクだ。

 彼は自分が一番偉いのだと言わんばかりに、一番居心地の良い場所を陣取って、のんびりと昼寝の時間を満喫している。

 その長い尻尾がパタパタと動くたびに、銀色の子猫が飛びかかろうと必死に短い足を動かしていた。


『少し風がぬるくなってきましたね。空気の通り道を調整いたしましょう』


 すぐ横で、クロが真面目な声を出した。


 彼は風属性魔法を使い、温室内の空気を外の新しい空気と入れ替える作業を黙々とこなしている。

 黒い毛並みを綺麗に整えた彼は、今日も有能な執事として、この場所を快適に保つために甲斐甲斐しく働いてくれていた。

 さらに、王都から避難してきた猫たちが、野ネズミが入ってこないようにしっかりと温室内の見回りをしてくれている。


 その光景を見ていると、私の心の中にあった小さな不安は、嘘のようにどこかへ消え去っていった。

 一人で思い悩む必要なんてない。

 ここには、信じられる仲間たちがいる。

 どんな理不尽なことが起きても、みんなで力を合わせれば、きっと乗り越えられる。

 そう思うと、自然と呼吸が楽になり、私は再び水やりの作業に戻ることができた。

 水を含んで生き生きとした葉っぱを見ていると、明日のご飯にはこの葉っぱを少し使ってサラダにしようか、などと楽しい考えが浮かんでくる。

 王都の政治のいざこざなんて、この平和な温室の中には持ち込ませたくない。

 私は心の中でそう強く念じながら、最後の苗にたっぷりと水を与えた。


 しばらくして、私がすべての苗に水をやり終え、木の桶を片付けようとしたときだった。


 屋敷の裏手の方から、ドタバタというひどく慌ただしい足音が聞こえてきた。

 それは、普段の猫たちの軽い足音とは明らかに違う。

 土を強く蹴り上げ、急いでこちらへ向かってくるような、重くて切羽詰まった音だった。


「誰かしら」


 私が桶を置いて温室のガラス扉の方へ歩いていくと、バンッと音を立てて勢いよく扉が開かれた。

 そこに立っていたのは、銀髪のエルフの青年と、彼と同じように森の奥に住む数人のエルフたちだった。

 彼らはいつも、飄々とした表情と軽やかな足取りで森の中を歩く種族だ。

 それなのに、今はひどく息を切らしており、額には大粒の汗が浮かんでいた。

 いつもの神秘的な訪問とは全く違う、ただならぬ気配が彼らの全身から漂っている。


「カトリーナ殿! 大変です!」


 エルフの青年が、大きく肩を上下させながら声を張り上げた。

 その顔には、隠しきれない焦りの色が浮かんでいる。


「みんな、どうしたの。そんなに急いで」


 私は慌てて厨房の方へ行き、魔法で冷たい水を出して木の器に入れた。

 それを彼らの前に差し出す。


「まずは水を飲んでちょうだい。ゆっくりでいいから」


 エルフの青年は手渡した器の水を一気に喉に流し込むと、ようやく呼吸を少しだけ落ち着かせた。

 他のエルフたちも同じように水を飲み、荒い息を整えている。

 クロもただ事ではないと察し、私の足元にすっと寄ってきて、彼らをじっと見つめている。

 昼寝をしていたハクも起き上がり、何事かと面倒くさそうにこちらへ歩いてきた。


「落ち着いたかしら。何があったの?」


 私が静かに問いかけると、エルフの青年は空になった器をテーブルに置き、真剣な眼差しで私を見た。


「王都の方から、ものすごい情報が飛び込んできたのです」

「王都の情報?」

「はい。我々エルフは、森の植物たちのざわめきや、風の精霊たちが運んでくる遠くの声を聞き取ることができます。それだけではありません。森の入り口で、王都の猫ネットワークの連中から直接話を聞きました。彼らは何日も寝ずに交代で走り続け、ここまで知らせに来てくれたのです」


 彼らは別々の方法で同じ情報を得て、急いでここへ駆けつけてきたのだ。

 その事実だけで、それがどれほど重大な内容なのかがひしひしと伝わってくる。


「教えてちょうだい。王都で何が起きているの」


 私が促すと、エルフの青年は深くため息をついてから、重い口を開いた。


「あの王子と女が、またとんでもない嘘をでっち上げたらしいのです。この前ここへ来た使節団の人間たちが、無様に失敗して逃げ帰ったことを隠すために……カトリーナ殿のことを、北の魔女だと騒ぎ立てているのです」

「魔女……?」

「そうです。カトリーナ殿がこの北の地で、恐ろしい魔獣や我々エルフたちと手を結び、国を乗っ取るための邪悪な呪いを作っていると。そんな根も葉もない噂を、国中の人間に言いふらしているのです」


 私は言葉を失った。

 不正にお金を隠し持っているという言いがかりの次は、魔女だなんて。

 自分たちの政治の失敗や、調査団が逃げ帰ったという不都合な事実をごまかすために、私を悪役に仕立て上げようとしているのだ。

 本当に、どこまで自分勝手で醜い人たちなのだろう。

 呆れるのを通り越して、怒りすら湧いてこないほどだ。


「それで、その噂を流してどうするつもりだというの」


 私が尋ねると、今度はエルフの青年がさらに険しい顔つきになった。


「その噂を信じた人間の王が、カトリーナ殿を国家への反逆者だと正式に認めたそうです。そして、魔女を討伐するという名目で、王立騎士団の精鋭部隊をこの北の離宮に向けて出発させました。かなりの大軍だと聞いています」


 王立騎士団の精鋭部隊。

 その言葉の重みに、私は足元がひやりと冷たくなるのを感じた。

 あの調査団の護衛としてやってきたような、ただの威張っているだけの騎士たちとは比較にならない。

 本格的な武装をし、戦うことだけを目的に訓練された専門家たちだ。

 それが、大勢でこの場所を攻め落としにやってくる。


「討伐隊……」


 私はうつむき、自分の両手を見つめた。

 手が少しだけ冷たくなっているのがわかる。

 先日、私が使節団の不当な要求をはねのけ、ハクの力で彼らを追い返した。

 それが引き金となって、事態はさらに最悪の方向へと転がってしまったのだ。


「私が、あの時強く出すぎたから……」


 ぽつりと、自分の口から弱音のような言葉がこぼれ落ちた。

 私がもっとうまく立ち回っていれば、相手の顔を立てて穏便に済ませていれば、こんな大軍が押し寄せてくることにはならなかったかもしれない。

 私が王都の連中を刺激したせいで、せっかく手に入れたこの平穏な生活が壊されようとしている。

 私だけならまだしも、いつも畑を手伝ってくれる山猫たちや、王都から逃げてきてようやく安心できる場所を見つけた猫たち、そして純粋な善意で接してくれるエルフたちまで、この争いに巻き込んでしまう。

 大切な家族や隣人たちを危険にさらしてしまうという事実に、胸の奥がぎゅっと痛くなった。


「ごめんなさい……みんな。私のせいで、こんなことになってしまって」


 私が沈んだ声で謝ると、温室の中は静まり返った。

 エルフたちも、なんと声をかけていいかわからないように黙り込んでいる。

 冷たい沈黙が場を支配しそうになった、その時だった。


 ドンッ!


 石のテーブルの上に、真っ白な生き物が勢いよく飛び乗る音が響いた。


『おい、カトリーナ! 何をジメジメと暗い顔をしているのだ!』


 ハクだった。

 彼はテーブルの中心で四本の足をしっかりと踏ん張り、背中の毛をバチバチと音を立てるほどに逆立てていた。

 その金色の目は爛々と輝き、信じられないほど偉そうな態度で私を見下ろしている。


『人間の使者を追い返したくらいで何を気にする必要がある! 相手が勝手に嘘を並べて攻めてくるのなら、それごと叩き潰せばよいだけの話ではないか!』


 ハクの大きな声が、温室の中に響き渡る。


『我を誰だと思っている! 最強にして至高の王だぞ! 人間の兵隊が何百人束になってこようが、我の欠伸一つでまとめて消し炭にしてやろう!』


 彼は前足を大きく振り上げ、まるで世の中のすべてが自分の思い通りになると言わんばかりに胸を張った。


『お前は我の優秀な料理番だ! あんな草食いの鎧連中など我に任せて、お前はただ、我のために一番美味い肉を焼いて待っていればよいのだ! それがお前の仕事だろうが!』


 あまりにも自信満々で、そして自分の食欲しか頭にないようなその横柄な物言いに、私はポカンとしてしまった。

 大軍が迫っているというこの非常時に、自分のご飯の心配をしているのだ。

 彼の頭の中には、負けるかもしれないという考えなど一ミリも存在していない。

 ただひたすらに、自分が一番強くて偉いと信じて疑わない、猫特有の堂々とした振る舞い。


 そのあまりに彼らしい態度を見ているうちに、私の中で張り詰めていた重苦しい空気が、プシュッと音を立てて抜けていくのを感じた。


「ふふっ……あはははっ!」


 私はこらえきれず、大きな声で笑い出してしまった。


『な、何がおかしいのだ! 我は至極真っ当なことを言っているだけだぞ!』

「ごめんなさい、ハク。でも、あなたがそんなに偉そうにしているのを見たら、なんだか悩んでいる自分がすごく馬鹿らしく思えてきて」


 私が目尻に浮かんだ涙を拭いながら笑っていると、足元にいたクロも小さく喉を鳴らした。


『ハク様の仰る通りです、カトリーナ様。人間の兵隊がどれほど集まろうと、この離宮には手出しさせません。執事である私が、この場所を泥や血で汚すような真似を許すはずがありませんから』


 クロがとても涼しい顔で言い切る。

 彼の言葉には、圧倒的な実力に裏打ちされた静かな自信が満ちていた。

 彼ら二人の規格外の魔法があれば、人間の騎士団など本当に恐れるに足りないのかもしれない。


『私たちも手伝うニャ! あいつらの食料袋を全部破いてやるニャ!』


 温室の入り口で見張りをしていた避難猫の一匹が、しっぽをピンと立てて叫んだ。


『夜に眠れないように、ずっと周りで鳴いてやるニャ!』


 他の猫たちも次々と賛同の声を上げる。

 彼らは戦う力を持たない小さな猫だが、自分たちにできる方法でこの場所を守ろうとしてくれているのだ。


 さらに、テーブルの横に立っていたエルフの青年も、胸に右手を当てて深くお辞儀をした。


「我々エルフも、森の恩人であるカトリーナ殿と、聖獣様の庇護者であるあなた方を全力でお守りします。我らの持つ森の魔法は、人間たちを容易に惑わすことができるでしょう。彼らに森の恐ろしさを教えてやります」


 みんなが口々に、私を守ると言ってくれている。

 誰一人として、私を責めたり、逃げ出そうとしたりする者はいない。

 こんなにも心強くて、温かい仲間たちが私の周りにはたくさんいるのだ。

 王都の人間たちがいくら嘘を重ねても、私の周りにあるこの真実は絶対に揺るがない。


 私は深く息を吸い込み、先ほどまでの弱気な自分を頭の中から完全に追い出した。

 もう、迷うことはない。


「みんな、ありがとう」


 私は全員の顔をしっかりと見渡して、真っ直ぐな声で言った。


「私が間違っていたわ。逃げたり、悲しんだりしている場合じゃない。ここは私たちが一から作り上げた、私たちだけの大切な場所なんだもの。理不尽な暴力になんて、絶対に奪わせない」


 私は両手で軽く自分の頬を叩き、気合を入れた。

 私には強力な攻撃魔法はないけれど、みんなを支えることはできる。


「相手が大軍で来るなら、私たちは最高の連携で迎え撃ちましょう。誰も怪我をせず、そしてあいつらが二度とここへ来たいと思わないように、徹底的におもてなしをしてやるのよ」


 私の言葉を聞いて、ハクは満足そうに鼻を鳴らした。


『うむ! その意気だ。さあ、そうと決まればまずは腹ごしらえだ。カトリーナ、すぐに極上の肉を準備しろ!』

「はいはい、王様。今日はみんなで、一番美味しいご飯を食べましょうね」


 初夏の日差しが差し込む温室の中で、私たちは来るべき戦いに向けて、確かな結束を固めていた。

 もう、誰も恐れることはない。

 私たちの大切な日常を守るための、大いなる迎撃の準備が、今ここから始まるのだった。


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