魔王が本気を出した日
その日、いつになく魔王は真剣な表情だった。ピリピリとした空気を纏いながら森を全速力で駆け抜ける。どうやら、それまで自分の畑に居なかったらしい。
「ちょ、どこへ行こうというのだ! というか妾を降ろせ!」
その右腕には何故かラクリィが姫抱きにされている。その表情はあまりの速度に引きつっている。
降ろせというラクリィの訴えは無視して、フィンスは何やら詠唱を始めた。いつのまにか白目の部分が真っ黒に染まり、瞳は真紅の怪しい光を放っている。フィンスの顔を見るなりラクリィは思わず口をつぐんだ。
「ちゃんとつかまってろ! 落ちたら亜空間に投げ飛ばされるからな!」
「は!? 亜空間!? 一体何を──」
やっとフィンスが口を開いたかと思えば突然そんなことを言い、目の前に巨大な魔法陣を出現させた。「一体何を」と言いながら、それをみてラクリィは察する。この魔法陣は『空間移動』のそれだ。
フィンスは速度を緩めないまま魔法陣に突っ込んでいく。そして、魔法陣を通り抜けるとそこは森ではなく見覚えのある庭園だった。
庭園に移動してもフィンスは速度を緩めない。だが代わりに走りながら大きく息を吸って、そしてとんでもない声量で叫んだ。
「サラサァッ!! 何処にいる!」
ほぼ耳元で放たれた爆音でラクリィの聴覚が麻痺する。だがフィンスはそんなこと気にも留めず、サラサからの反応を待ちながら走り続ける。
すると、作物の脇から飛び出してフィンスと並走を始める影が一つ。だがサラサではない。
「やーっと見つけたっすよフィンさん。つーか、どうしたんすか? そんな怖い顔で……」
「あァ!? ……ユマ! おいユマ、リーリエは何処だ!?」
並走してきたのはユマだった。その背には大きな荷物が一つ。何故ユマがここにいて、自分を探しているのか、フィンスはその理由を一瞬だけ考えたあと、サラサから報告された『リーリエとユマが一緒にいた』という情報を思い出した。
ユマはキョトンとしながらも「自分の家っすよー」と呑気な口調で答える。それから、自分の背にある荷物に目を向けてからこれがリーリエからフィンスへの届け物であることを伝えようとした。が、
「グエッ」
突然首根っこを掴まれてその発言は阻止される。フィンスが開いている左手でユマを掴んだのだ。
苦しむユマを余所にフィンスは二人を連れて理由も話さず庭園を駆け抜ける。
向かうのは勿論、リーリエの家だ。
「リーリエッ!」
相変わらずの爆音で叫びながらフィンスはリーリエの家の扉を蹴破った。心の何処かで家の主に怒られることを期待しつつ部屋の中へ飛び込む。
「うるさい!」
怒号が飛んできた。
だが、それは家の主ではなく小さくなった自分の姉だった。その傍らには期待していた人物が横たわっている。
キンセンカやリコリス。色とりどりの花を身体中に咲かせたその姿は、彼女自身が花束になっているようにも見える。左目は閉じているが、右目からはシオンが咲いていて、その目が閉じているかどうかはわからない。表情は安らかに見える。
そんな変わり果てたリーリエの姿が目に映ると、フィンスは抱えていた二人を落としてしまいながら絶句した。落とされた二人はたまったものではなく、状況もわからぬまま痛みに悶えた。
「リー、リエ……」
呼びかける。だが反応はない。
呼吸しているのかすら怪しく、その胸が上下する様子は見られない。置物になってしまっているかのような違和感があった。
それ以上フィンスは言葉を発することができず、その場に膝をつく。見開いたままの瞳は虚ろにリーリエの姿を映し続けていた。
「おいバカ。何のためにルゥがここにいると思ってんの。勝手に絶望してないで早くこれ飲んで」
そんなフィンスに厳しい言葉を投げかけるのはウルティ。何やら調合しつつ、脇に置いてあるいくつかの小瓶を指差して言った。
「これは……」
「魔力増強剤。あーっと、そこの二人も飲んで。多い方がいい」
「いや、待ってくれ。そもそもどういう状況なのだ!? なんでリーリエがそんな姿にッ!」
「説明するからそれ飲みながら聞いて」
ウルティの口調は淡々としている。
やっと口を開くことのできたラクリィは、初対面の少女にピシャリと冷たく言われて、仕方なくその指示に従った。不安げな瞳でリーリエを見つめながらも小瓶に手を伸ばし、蓋を開け、その中身を飲み干す。
「説明するって言ってもルゥよりもユマの方が詳しいと思うけど……リリーは新しい作物を生み出した。そうだよね?」
「そ、そうっす。それで、出来上がったものをフィンさんに届けるって話で……でも、俺がいた時はこんな姿じゃなかったっすよ!?」
「ユマが居なくなった後にこうなったんでしょ。こうなってるんだからそれが事実だよ」
尚も冷たいウルティの言葉。無表情だが、内心では怒りに満ちていることは一目瞭然だった。
沈黙が流れる。
「お待たせウルティ。頼まれてきたもの全部採ってきたよ」
「ああ、ありがとうサラ」
気まずい空気の中、沈黙を破ってやってきたのはサラサだった。背負ったカゴには大量の作物が入れられている。それをカゴごとウルティに渡すと、ウルティはニヤリと妖しく笑った。
「いい? 今からリーリエを助ける。一度しか言わないからちゃんと聞いて」
凛とした声でウルティは言う。幼女の姿だが、かつての傾国の美女の姿が重なって見えるような、そんな気がした。
「リリーは大量に魔力を消費してこうなってるの。このまま放置すればリリーは魔力を完全に失って消滅する。今は消える直前、ほんの一粒燃え滓が残ってるようなものだと思ってくれていいよ。で、その状態でルゥがリリーの状態を止めた。だからこれ以上リリーの状態が悪くなることはない。だけど、何もしなきゃ良くもならない。消費しすぎた魔力は、こうなったらもう自然には回復しないからね。
それで、今からルゥはサラに持ってきてもらった材料を使って薬を作る。効果は他人の魔力を吸収できるようにするのが目標。ちゃんとした効果の薬が出来たらリリーに飲ませる。そうしたらフィンたちはありったけの魔力をリリーに注いで。リリーから生えた花が全部消えるぐらいまで注ぎ続けて。もし途中で魔力が足りなくなった時のために回復薬を作っておくから」
すらすらと流れるようにウルティはこれからするべき事を説明した。その手は既に調薬を行なっており、何種類ものハーブが乳鉢の中で混ぜられ、鍋に入れられ、グツグツと煮込まれている。
「なるほど、分かった」落ち着きを取り戻したフィンスは静かにそう言うと、立ち上がってどこからともなくチョークを取り出した。「つまり、魔力をリーリエに注ぎ続けられればいいんだな?」
言うが早いか、フィンスはチョークを使って床に魔法陣を描き始める。どうやらウルティが考えたものよりも良い方法を思い付いたらしい。
「絶対にリリーは助ける」
「当たり前だ。何が起ころうとも助けるさ」
フィンスとウルティが睨み合い、しっかりと頷く。フィンスが魔法陣を描き終えるのと、ウルティが薬を作り終えるのはほぼ同時だった。
リーリエを魔法陣の中央に寝かせると、サラサが薬を操ってリーリエの体内へ流し込んでいく。やや乱暴な方法だが、リーリエが自力で物を飲み込めない以上、こうするしかなかったのである。
「始めるぞ……『反転する理想郷』!」
薬を飲ませ終えると、フィンスが魔法陣に触れながら唱える。すると魔法陣が真っ黒な光を放ち、フィンスたちの魔力を奪い始めた。
どうしても、『魔力を送る』という行為には多少のロスが出る。自分で魔力を精製して相手に送り、注ぐ。その行為で魔力を消費したり、全てを注ぎきれずこぼれてしまったりする分が出てしまうのだ。フィンスはそれを無駄と考え、であれば自分から送らずとも勝手に吸収されてしまえばいいのだと結論付けたのである。そして、それを実現するのがこの魔法陣だ。
この魔法陣はフィンスが止めるまで対象者から魔力を奪い続け、魔法陣の中心の居る者へ奪った魔力を与え続けるものだ。
「さあ、気合い入れて回復薬飲んでけよ。じゃないと自分が死ぬ羽目になるからな」
ニヤリと笑うフィンス。だが少し苦しそうである。
こうして五人による戦いとも言える救命作業が始まった。フィンス、ラクリィ、ユマがひたすらに魔力を奪われ続け、ウルティがその三人のために薬を量産し続ける。サラサが薬のための材料を運び、時には三人に薬を強制的に飲ませた。
この作業の無茶に気付いたのは、始めてから一時間程経過してからだった。
「……ッ、入れてるそばからリーリエの魔力が減ってねえか?」
「やっぱり妾の気のせいじゃなかったのだな……」
いくら回復するとはいえ、魔力を持っていかれれば精神的にも疲弊する。多少の苦痛だって伴うのだ。それに終わりが見えないとなると滅入ってしまうものがある。だからといって投げ出すわけにもいかないのだが。
とはいえ、魔力を入れてるそばから減っているのは事実である。そして割と問題でもある。
「あー……ルゥの薬の効果、やっぱり魔力を注ぎ始めると切れちゃうんだねぇ……えーっとね、リリーはまた消え始めてる。で、それを魔力を注いでギリギリ引き止めてるって感じだよ」
困ったねぇ、とウルティは言った。割とどころかかなりの問題である。
つまり、魔力の供給が断たれればリーリエはすぐに消滅してしまうということなのだから。
「それって全然ダメなんじゃねーか! もう一回止めるのは出来ないのか?」
「うーん……多分無理、だね。ちょっと考える時間ちょうだい。それまでフィンは耐えてて」
「無茶を言いやがる……ッ!」
思わず口角が上がってしまう。いや、笑ってでもいなければやってられないのだ。
フィンスは回復薬を一つ一気飲みすると、魔法陣に仕掛けた魔術の威力を上げた。




