過去と現在の鏡写し
いつもと変わらない、穏やかな城内。
メイドたちが談笑しながら掃除をし、騎士たちが冗談を交えつつ訓練としてど突き合っている。いつもの平和な魔王城の光景だ。
そんな魔王城の城門にふらりと一人の男がやってきた。男は若く、酒が飲めるのかも怪しい年齢に見える。
茶色いツンツンとした髪に海のような青い瞳。程よく引き締まった肉体は、健康的に日焼けしている。腰には片手剣をさしていて、腕や足などに簡素な鎧のような防具をまとっている。耳は尖っておらず丸い。それは、彼が人間であるということを示していた。
しかし、メイドも騎士も彼に対して注意を向けようとはしなかったし、存在を認識しても「ああ、なんだ」と特に気にするわけでもなかった。それほどまでに彼に見慣れてしまったのだ。
だから気付くことが出来なかった。
よく見ればすぐにでも分かるようなものだったのに、誰一人として気付かず侵入を許してしまった。
彼は勇者だ。
そして、この魔王城に勇者が来ることなど日常茶飯事だ。
しかし勇者は勇者でも、彼は五十年ほど前にこの城によくやってきていた勇者だったが。
◇
カンカンカン、と鐘の音が鳴り響いた。勇者が現れたことを知らせる鐘だ。
鐘の音を聞くなりフィンスは大きく舌打ちをして、忌々しそうな表情で「まーたあのバカきやがったのか!」と叫ぶように言った。そして畑を耕す手を止めて城の方を見る。以前は屋根の上から登場したので、今回もどこから出てくるか分かったもんじゃない。どこから現れても不意打ちを食らわせられるのだけは避けようと、フィンスは警戒を強めた。
だというのに、魔王の警戒すら掻い潜ってそれは目の前まで飛来していた。
「うおおおおぉぉぉぉッ!?」
ギリギリ反応できたフィンスは、それをすれすれのところで躱す。頬に浅く赤い線が走ったが、目を潰されるよりはマシだろう。
振り返ってみれば、フィンスを襲ったそれはフィンスの後ろにあった木に突き刺さっていた。
「か──片手剣!? あいつこんなもの持ってたのか!?」
銀色に鈍く光る片手剣。勇者であれば一本や二本持ち歩いていたとしても何ら問題はない。ごく自然なことだ。
しかし相手はあの勇者である。
フィンスが何度言おうと拳一つで乗り込み、あろうことかクワを『古の剣』と信じきったあのバカである。そんな彼が片手剣を持ち歩いているなどにわかに信じ難い。
いや、そんなことはどうだっていい。それよりも、そんなことよりも、もっと大切なことがある。
この片手剣がどこから飛ばされてきたか。刺さり具合を見るに、片手剣はほぼ水平に飛ばされたように見える。ということは、勇者は城にいるのではなく既にこの庭園にいるということになる。
「────ッ」
バチィンと乾いた音が響き渡った。
右側から放たれた拳を何とか受け止めた音だ。
それはただの人間がなんの魔力も込めずに放った拳だったが、受け止めたフィンスの手はビリビリと痺れ最早肘から先の感覚はなくなっていた。受け止めた衝撃で腕が無くなったのではないかと思ってしまう程のものだった。
フィンスがこの拳を避けずに受け止めたのは単に間に合わなかったからではない。
避ければ、行き場を失った拳が地面に直撃し、畑を抉り、作物に危害を及ぼすと知っていたからだ。フィンスはそれを何年も昔に経験していた。
直感でこの拳を覚えていたのだ。
「……ッ、お前……」
「よう、この前振りだな魔王」
勇者はニヤリと笑う。だがその瞳には溢れんばかりの怒気を孕んでいた。
見た目も声も勇者のそれだ。勇者そっくりだ。しかし違う。目の前のこいつは今の勇者ではないと、フィンスは確信していた。己の奥底に眠る確かな恐怖がそれを証明していた。
そしてフィンスは恐る恐る彼の名を呼ぶ。
「ちょっと見ない間に随分と元気になったな……アンファ」
そう、勇者は勇者でも、目の前にいるのは齢七十五の五十年前に引退した勇者、アンファだったのだ。
しかしながらアンファとは一ヶ月ほど前に会ったばかりだ。そしてその頃は年相応の老人になっていた。それは確かだ。それがほんの一ヶ月でこんなに若返るなんて有り得ない。実際起こっているのだから有り得ているが、訳の分からない事象であるのは確かだ。
「なんだ? やべー神の祝福とか、遺跡に眠るやべー秘宝の呪いとかそういう類なのか? 何が起こってどうしたらそうなるんだよ……」
「それはこっちが聞きてぇ話だな。どっかの誰かさんが俺に寄越した栄養ドリンクを飲んでからこうなったんだがなぁ?」
ピタリと空気が止まった。それから少し間をあけてフィンスが小さく「え?」と漏らす。
「いやいやいやいやいや! 確かにそういう薬も作るような奴だけどアンファに渡したのはそういうんじゃねぇし! ただの栄養ドリンクだったし飲んだ俺も特に変化なかったし!」
「でも実際に若返ってんだろ! 俺が! 二十五本飲んでこれだから一本につき二歳か? 孫と同じ年齢ぐらいになっちまったじゃねーかどうしてくれんだ!や
「仮に栄養ドリンクが原因だとしても作ったバカの責任だっつーの! つーか途中で気付けよ! 一本につき二歳若返ったんなら五本目くらいで気付いてんだろ!」
ガッチリと組み合ったまま二人は言い合いを始める。アンファの目からは先程までの怒気は無くなっていたが、それでも文句を放つ口が止まる気配はなかった。無理もない。五十歳も若返ってしまったのだから。
「ラチがあかねぇから呼べよその薬屋! どう考えても栄養ドリンクの作り方間違ってんだろ! 間違って霊薬作ってんじゃねぇよ!」
「そこは俺も同感だな! よくよく考えたらあいつ、ヤバいタイプの栄養ドリンク作って自分で飲んでめちゃくちゃ若返って幼女になってんだった……否定ができねぇ……」
「やっぱり失敗してんじゃねぇか!」
もちろん五日完徹しても元気でいられる栄養ドリンクを作って若返って幼女になったウルティの話である。
流石にウルティが飲んだ方の栄養ドリンクをアンファも飲んだわけではないのだが、それの効果の薄いものを飲んだだけの話だ。同じ症状が出てしまってもなんら不思議ではない。
フィンスが同じものを飲んで特に何も起こらなかったのは、フィンスが五十年前から不老不死だからである。
「ったく、どうしてくれるんだよ本当に……こんなの王族に見つかったらどうなるか分かったもんじゃねえ……あいつらめちゃくちゃ不老不死の霊薬探してんだぞ? 知ってるか?」
「あー……追い回されたことがあるって聞いたことがあるな……」
ただの人間にとって不老不死とは永遠のテーマなのである。それを作物のために達成した魔王がいると知った時、彼らは一体どんな顔をするのだろうか。
アンファ曰く、魔王が不老不死だと知っている王族は、魔王の血に不老不死の秘訣があるんじゃないかと日々研究を続けているのだとか。だから執拗なまでに勇者を送り込んでいるとかそうじゃないとか。
それは傍迷惑な話だ、と二人で笑い合った後で真面目な顔に戻る。今はアホな王族よりも若返ってしまったアンファの方が重要だ。
「フィンス様ー、あの勇者様が……あれ?」
どうしたものか、と組み合った状態の二人にかけられる声。
リーリエはフィンスと組み合うアンファの姿を見るなり困惑の表情を浮かべた。そして、自分の後ろにいるもう一人の勇者と交互に見て頭の上にいくつもの疑問符を浮かべる。
「勇者様がおふたり……?」
「いや、あれは俺のじーちゃん。おい、じーちゃん! 飛び出てったと思ったらここで何してんだよ! 俺の身にもなってくれ」
普段とは打って変わって妙に冷静な勇者はそう言うと、アンファにそう声をかけた。その直後、フィンスの力が急に抜けてアンファは支えを失いバランスを崩す。だけどこんなことどうでもよかった。
「え? じーちゃん……?」
「そうだよ。それ俺のじーちゃん。俺、じーちゃんの孫。つーか、じーちゃんに栄養ドリンク渡したのってお前かよ。元気になりすぎなのどうするんだよ。ただでさえ元気すぎるじーちゃんなのに」
「いや待て、待て待て待て待て。俺の処理が追いつかない。待ってくれ。栄養ドリンクの話は一旦忘れてくれ。なんつった? お前のじーちゃんがアンファで? アンファの孫がお前?」
「そうだよ。俺とじーちゃんそっくりなんだから疑いようもないだろ?」
「はああああぁぁぁぁッ!?」
確かに、拳を振るわれるまではアンファのことを勇者だと思っていた。今でもどっちがどっちだか分からなくなりそうなほどに二人は瓜二つだ。しかし二人が祖父と孫の関係だという事実がどうしても飲み込めなくて、たった今発覚した事実にフィンスはただただ驚愕するしかなかった。
「しゃーねぇ、今日のとこは孫に免じて帰ってやるか。オメェのアホ面も拝めたことだしな。クックック、今までまともに会わせなかった甲斐があったってもんだ」
あんぐりと大口を開けたまま固まっているフィンスを見てアンファは期限をよくしたようだ。くつくつと笑うと、迎えに来た勇者と共に去っていった。
祖父も祖父なら孫も孫だ。血が繋がるとはこういうものなんだなと、後に正気を取り戻したフィンスは語ったという。




