人間へのプレゼン
「……ちょっと人間に会ってこようと思う」
いつものように草をむしりながら、フィンスは決意した面持ちでそう言った。
その発言に誰よりも一番驚いたのはサラサで、持っていたカゴがいくつも重なったものをバサバサと落としながらフィンスを凝視して固まっていた。
「……フィン? もう一回言ってくれる?」
「人間に会ってくる」
たっぷり時間を置いた後で、サラサは自分の聞き間違いを疑ったらしい。しかし、聞き返してきたサラサに対してフィンスはハッキリと自分の決意を露わにしてもう一度同じことを言う。
「なんで!? なんのためにッ!? なんでわざわざ会いに行くの? ダメダメダメ、絶対にダメ! リーリエが許したって許さない! 絶対に行っちゃダメだよ!」
どうやら人間に会うという行為が気に食わないらしいサラサは、珍しく大きな声で捲し立てるように言う。そんなサラサの様子を見て、フィンスは「失敗した」とでも言いたげに苦い顔をした。だが、こうして猛反対されて揺らぐ意志ではなく、むしろ邪魔をされる前に早々に行ってしまった方がいいだろうと判断したフィンスは、草をむしる手を止め立ち上がり、庭園の中にある小屋(別荘とも言う)に向かって歩き出した。
「あー! 分かったよもう! 本当に仕方ないんだから!」
全く聞き入れてくれないフィンスに対して叫ぶと、サラサは歩き出したフィンスの前に飛び出して人型になった。
サラサが人型になった姿を今まで見たことがなかったリーリエはそれを見てかなり驚いたのだが、決してその驚きを声に出すことはなかった。口を挟めるような雰囲気ではなかったからだ。
珍しく怒り心頭のサラサは腕を伸ばしフィンスの胸ぐらを掴むと、聞いたこともないような低い声でこう言った。
「その代わり一人じゃ行かせない。ついてくからね。で、フィンに危害を加えるような輩は全員祟るから」
こうして、フィンスはサラサを連れて人間に会いに行くことになったのだった。
コンコン、と扉をノックすると内側から扉が開き一人の老人が現れた。最初は気怠そうな表情だった老人は、扉を叩いた者の顔を見るなりギョッとしたように目を丸くした。だが直ぐに鋭い目つきになって、一つ息を吐くと弾丸のように飛び出してこう叫んだ。
「魔王退散ッ!」
「やりやがると思った!」
老人は何のためらいもなくフィンスの顔面目掛けて拳を放った。そうなると見越していたフィンスはその拳を両手で受け止める。しかし勢いには負けてフィンスは後ろ向きに吹っ飛んだ。
その一連の流れを真横で目撃したサラサは般若のような顔つきでフィンスを殴り飛ばした老人の方へ向かう。
「ストップ! ステイ、サラサ! 無し無し! 今の無し! 今のは危害を加えたにカウントしない! するな!」
ヨロヨロと起き上がったフィンスは慌ててサラサを制止する。今ここで目の前の老人が祟られてしまってはここまできた意味がない。というか、この老人相手に何かされる度に目くじらを立てていたら身がもたないのだ。この程度のことは慣れて欲しいようである。
フィンスに必死に止められてしまったので、サラサは不満そうにしながらも動きを止める。一方で、フィンスを殴り飛ばした老人はたった今サラサに襲われようとしていたことなんて気にもとめず、ズカズカとフィンスの近くへ行く。
「魔王様が直々に引退した老いぼれの家に来るなんて聞いたことねぇんだが? 何しに来たんだ、オメェ。しかもその格好はなんだ? 人間に変装したつもりか?」
「テーマは人間の商人だったんだが……変か?」
人間に会いにいく。人間の側へ出掛ける。それなのに普段のまま出歩けるわけがない。普段の姿で人間の側を歩いているところが見つかりでもすれば、一瞬で囲まれてどんな攻撃を食らうかもわからない。正体がバレない為には変装をするのが一番だ。
ということでフィンスは今、自分のイメージに沿った人間の変装をしているのだった。
薄茶色のローブを着てフードをしっかり被り、商品が詰まっていそうな巨大なリュックを背負う。勿論、二本のツノと尖った耳は変化の術で消している。ぱっと見は本当にただの人間だ。
「どうせ変装するなら顔も変えておけよ。オメェの顔、魔王だってバレバレなの知らねぇのか」
本気で気づいていないようだったので、老人は呆れたように言った。そう言われてみればそうだった。格好は変えたが、顔はノータッチだ。フードでやや影になっているものの、特に顔を隠しているわけではない。化粧などをしているわけでもないので、顔を見たらバレバレだった。今までバレなかったのが幸運である。
「まぁ、とりあえず入れや」と老人はフィンスに背を向けると家の中へ入っていった。外でだらだらと長話をした結果、他の人間に目撃されて騒ぎになってはたまったものではない。その意図を理解した上でフィンスとサラサも家の中へ入っていく。
「で」ずっと不機嫌なサラサは、家の中に入るとより一層不機嫌そうな声で言う。「誰、この爺さん」
人の家に来ておいて随分な言い方である。しかし、この場にはそんなことを気にする者など一人としていないので、サラサのそんな態度はスルーして会話を続ける。
「なんだよ、オメェ俺のこと何にも言ってねぇで連れてきたのかよ。まあ、俺もそっちの可愛い子が誰なのか全然しらねぇけどよ」
「あー、そういやぁ忘れてたわ。悪い悪い。サラサ、こいつはアンファだ。二ヶ月に一回野菜を送ってる相手だ。で、アンファ。こっちはサラサ。俺の友人で、畑仕事を手伝ってもらってる。ゴースト族だ」
言われて初めて思い出したフィンスはさらっと二人の紹介をした。
そう、この老人こそが素手でフィンスを泣かせた伝説とも言える元勇者、アンファだ。事前にアンファの現役時代の話を聞いていれば、先程の出会い頭の暴挙にも頷けるものがあるだろう。
「それにしてもアンファ。お前また老けたな」
リビングのソファーに向かい合うように座ると、フィンスは思い出したように言った。相変わらず不機嫌そうな顔でアンファを睨み続けるサラサは、フィンスの後ろに立ったまま二人の会話を静かに聞いている。
フィンスに突然己の老いを指摘されたアンファは「ったりめぇよぉ!」と豪快に笑い飛ばした。自分が老いているという事実を忌避せず受け止めているのだ。
「オメェの野菜を貰い続けて五十年だ。どっかの誰かさんみたいに不老不死じゃなければジジイにもなるさ。知ってるか? 俺、そろそろオメェと会った時と同じくらいの歳になる孫がいるんだぜ?」
アンファが勇者だったのが二十五歳の時。そこから五十年という月日が流れ、彼は今七十五歳。孫がいたところでなんら不思議ではない。だがその感覚が無いフィンスにとっては、とても新鮮な事実だったし、とてつもなく久し振りに時の流れを実感したのだった。
「じゃあ、そうだな」笑いながら自分の老いたエピソードを語るアンファに対し、フィンスは一つの提案をすることにした。「そんなアンファにオススメのものがあるんだ」
言いながら巨大なリュックから取り出したのは薄緑色の液体が入った小瓶だった。しかもそれが三十本。次から次へと出していくので何事かと思ったが、見た目は全て同じもののようだ。
「これは俺も毎日飲んでる栄養ドリンクだ」
「栄養ドリンク」
「ああ、農業ってのは負荷の大きい肉体労働だからな。いくら不老不死とはいえ、たまにはガタも来る。それを補う為に俺は一日一本、毎日こいつを飲んでる」
効き目は保証するぞ、とフィンスは得意げに言った。
へぇ、と言いながらアンファは小瓶を一つ手にとって繁々と見た。それから何のためらいもなく蓋をあけると、中身を一気に飲み干した。
ぷはッと息を吐いて小瓶をテーブルに置く。黙って一連の流れを見つめていたフィンスと目が合うと、アンファはニヤリと笑って言った。「めちゃくちゃ美味えじゃねぇか、コイツ」
「だろ!?」フィンスは心の底から嬉しそうに顔を輝かせて、立ち上がりながら大きな声で言う。大体この手の栄養ドリンクは味が独特すぎて好みが分かれることが多いのだが、フィンスの持ってきたこの栄養ドリンクは違う。ホシクズと蜂蜜を使用し、スッキリとした甘さの味がするのだ。
「いやー、よかった。知り合いの薬屋と最近一緒に作ってみたんだよ。アンファなら気に入ってくれるかもしれないと思ってな」
「売るつもりか?」
「まあ、ゆくゆくはそのつもりらしい。まずは一ヶ月アンファに試してもらって、人間でも無事飲めることが証明されたら徐々に広めていくって言ってたな」
「俺は実験台かよ」
「お前ほど丈夫な人間を知らないんだよ。自分の丈夫さを恨んでくれ」
魔王が薬屋と一緒に作った栄養ドリンクを、元勇者の老人が何のためらいもなく飲むというどうしようもなく危険な香りがする構図が爆誕したが、誰も突っ込まない。誰も危険視しない。彼らには少し、危機感というものを知っておいた方がいいのかもしれない。逆に考えれば、アンファはフィンスの作るものに対してそれだけの信頼を寄せているということになるし、本人たちがいいならそれでいいわけなのだが。
「で、オメェは今日、俺にこの栄養ドリンクを売るために来たのか?」
その後しばらく雑談した後で、ふと気付いたのかアンファが尋ねた。するとフィンスは「あッ」と低い素の声をあげる。どうやら目的を忘れていたらしい。
「違うんだ、本当はこの栄養ドリンクを報酬がわりにして、折り入って頼みたいことがあったんだよ」
「はぁん? コイツを送り続けてくれるってんなら別に聞いてやってもいいぜ?」
どうやらアンファは栄養ドリンクを気に入ったらしい。頼み事の内容を聞く前から承諾してしまっている。その思いもよらない快諾っぷりにフィンスが「え……本当に?」と、困惑してしまっている。
しかしまあ、快く承諾してくれるのだからお願いしないわけにはいかない。フィンスは気を取り直して、『頼み事』について話す事にした。
「アンファなら大体のものを調べられると思って頼みたいんだ。人間が食う作物で、『コメ』ってものがあるか?」
そう、フィンスはユマから聞いた『コメ』についての手掛かりが欲しかったのだ。
先日リーリエが世界の全ての作物に聞いてくれたのだが、今のところ何の回答も来ていない。このまま答えを待ち続けていても、もしかしたら何の収穫も得られない可能性が出てきた為、別アプローチをかけることにしたのだ。フィンスが調べて何も見つからないのなら、人間という全く別の視点から探してもらおう、と。
「なんだ、それ。食い物なのか?」
「ああ、美味いらしい。宅配屋が昔よく食べてたって言っててな」
「宅配屋って……あの犬っころか。俺は今のところ聞いたこともねぇなぁ」
「そうか……」
もしかしたら人間は食べているかもしれないという淡い期待を抱いていたのだが、残念なことに打ち砕かれてしまった。期待を裏切られて、流石のフィンスも落胆の色を隠せない。
あからさまに落ち込むフィンスを励ます訳ではないが、アンファは「だがまぁ、」と続けた。
「美味いってんなら探さないわけにはいかねぇな。調べとくぜ」
見つかれば俺も食えるんだろう? とアンファはニヤリと笑った。
あとは適当な雑談をして、フィンスはサラサを連れてアンファの自宅を後にした。
テーブルに残された二十九本の栄養ドリンクをどこに仕舞おうか考えていると「あ」と失念していたことを思い出した。
「そういや、孫の紹介しようと思って忘れてたな……」
ま、今度でもいいか。と結論づけて、アンファは栄養ドリンクたちの収納場所を探すのだった。




