お客様とハーブ畑
いつも通りの農作業。だが今日は珍しくそこにフィンスの姿は無い。
「フィンス様が一日中魔王としての仕事にかかりきりだなんて珍しいですね」
肥料を撒きながらリーリエは言う。
普段フィンスは魔王としての仕事は分身に片付けさせて、本体は農作業に勤しんでいる。魔王としての仕事の中でも簡単なものは部下たちに任せることができるので、分身でも十分やっていけるのだ。
しかし、それが出来ない、しかも一日中本体が仕事をしなければならないというのは余程のことである。かなり重要な仕事なのだろう。
「ああ、なんか今日はお客さんが来るらしいよー」リーリエが肥料をまいているのとは逆側の畑に水を撒きながらサラサは言った。「薬屋のウルティが来るって言ってたかなー」
そういえば、それをサラサに伝えた時、フィンスはかなり沈んだ様な、憂鬱そうな、暗い表情を浮かべていた。畑仕事が全くできず、魔王の仕事にかかりきりになってしまうことが嫌なのだろう。サラサはそんなことを思い出して、「フィンってば本当に農業中毒だよねー」と笑った。
しかしリーリエは笑わない。
それどころか、後半は話を聞いていなかったかもしれない。リーリエは目をまん丸にした状態で口をあんぐりと開け、固まってしまっていたのだから。
「あの……リーリエ?」
分かり易すぎるリーリエの驚愕の表情に戸惑いながらもサラサは声を掛ける。しかし一度では中々反応してもらえず、何度か名前を呼んだ。するとようやくリーリエがパチリと瞬きをして、開いていた口を閉じた。そして一度深呼吸をすると、
「サラサ様。今、誰が来るとおっしゃいましたか?」
思わず姿勢を正してしまいそうになるような真顔になってサラサに詰め寄った。怖い。正直に言って怖い。
だが、ここで黙り込んでしまえば余計に詰め寄られるだけなので、サラサは息を吐いて落ち着いてから「薬屋のウルティだよ」と答えた。
「ウルティ……薬屋の……」
「そう、薬屋の。知ってる?」
「知ってるも何も!」
声のボリュームが一気に大きくなったリーリエを見て、サラサは己の失言を悟ったが遅かった。ついてしまった火は簡単には消えない。
「ウルティ様といえばこの世界で最高の薬屋と称される方です! これまでも、そしてこれからも彼女以上の薬屋は現れないだろうと言われるほどの方で、ウルティ様に作れない薬は無いとすら言われる程です。どんな毒だろうと、どんな万能薬だろうと、不老不死や若返りの秘薬だろうと作れてしまうと言われているんです。だから才能に溢れすぎて、ウルティ様を巡って世界大戦が起こったっておかしくないというか、一度大戦が起こりかけたのは記憶に新しいですよね。私は一度もお見かけしたことは有りませんけれど、妖艶なその美貌だけでも国が傾くなんて話も聞きますし、何年も変わらずお美しいままな為に不老不死だなんて説もありますね……と、ここまではこの世界で生きている以上知っていて当然の基礎知識です」
「そ、ソウダネ……」
物凄く早口で言われてしまったので全てをしっかりと聞き取れたわけでは無いが、至極真面目な顔で語り尽くすリーリエを見ていると、これ以上はウルティに関して何も言わないほうがよさそうだ、とサラサは判断した。サラサはウルティという薬屋について、特に何も知らなかったのだから妥当な判断だろう。そんな有名人とは思ってもみなかった。
傾国の美女だとか、世界大戦の火種だとかさらりと怖い情報がいくつか聞こえてきたような気がするが、それも触れずにいるべきだろう。今からサラサが騒いだところで、来ることは確定しているのだ。あとはフィンスが魔王としてどうにかするだろう。
「ああ……ウルティ様が訪れるだなんて、やっぱりフィンス様はすごい方だったんですね……。ただの農家と思っておりましたが、闇を統べる魔王というのは伊達ではなかった……」
雇い主である魔王をさり気無くボロクソに言っているのもスルーしておこう。農業に勤しむフィンスに慣れてしまいすぎて魔王としての扱いができなくなってきたのはフィンス自身のせいだ。本人としては、魔王になるつもりなんてこれっぽっちもなかったので、それはそれでいい傾向なのかもしれないが。
「ふーん……ウルティってそんな扱いされてるんだ」
そんな、うっとりとした表情のリーリエの横でつまらなさそうに言う声があった。
光の加減で深緑にも見える黒い髪を二本の大きな三つ編みにして、前髪は眉の辺りで切り揃えている少女。頭からは黒いツノが生えていて、それが彼女が人間でないことを証明している。
瞳の色は赤い。両目とも赤いが、左右で微妙に色が違っている。右がカーマインレッドで、左がワインレッドだ。三白眼気味で、吊り上がった目尻は悪役の様な印象もあるが、成長すればかなりの美人になるかもしれないという期待も持たせる。
「えっと……」
どこか、物凄く誰かに似ているような気がするのだが、それが誰なのかは思い出せない。それに、思い出したところで彼女が何者なのか二人は知らない。
何故この城にいるのか、何故この庭園にいるのか。いつここに来たのか、どうやってここに来たのか。そもそも誰なのか、客人なのか。二人は全く知らない。
「ルゥって呼んで。フィンみたいに様って呼ばれるのは好きじゃないからルゥでいい。あと安心して。ここに来てることはフィンが知ってる」
どうやら二人の戸惑いを悟ったらしい彼女は外見の年齢とは不釣り合いなほどハキハキとした口調でそう言った。
まだまだ疑問は解消されていない。しかし、フィンスを愛称で呼ぶくらいだ。フィンスの知り合いと考えて大丈夫だろう。二人はそうして考えるのをやめた。
「それでは……えっと、ルゥさんは──」
「却下」
「えぇ……ルゥ……ちゃん?」
「合格」
ニンマリとご満悦な表情。
様がダメならさん付けか……と考えていたのにそれすら拒否とは中々呼び方に厳しい。敬われるのが余程嫌いなのだと伺い知れる。むしろ、呼び捨てでなくちゃん付けを許してもらえたところに安堵するべきだろうか。
メイドであるリーリエにとってお客様をちゃん付けするなど言語道断だが、お客様自身がそれを望んでいるのなら仕方あるまい。ここはグッと我慢だ。
「こほん。それでは、ルゥちゃんはどのようなご用件でこちらにいらっしゃったのでしょうか? 必要とあらばお手伝いさせていただきますが」
フィンスにことわって庭園に来ているのだから、ここで作物を育てていることは重々承知だろう。というか、目の前に既に畑が広がっている。となれば、目的は畑と考えて良いだろうが、目の前の少女が農作業をするとはとても思えない。畑の作り方だとか、フィンスにしか分からないような用件ではないだろう。
リーリエはそこまで考えてルゥに提案をしたのだった。するとリーリエの予想を超えて、ルゥはとても嬉しそうに「本当っ!?」と年相応の笑顔を見せた。
「この畑を案内して欲しいの。ウルティは薬の材料が欲しくてきたから」
なるほど。とリーリエは心の中で納得する。段々関係性が見えてきた。
ルゥはウルティの弟子か子どものような存在なのだろう。そして、ウルティがフィンスと大人の話をしている間に、ルゥにお使いを頼んだのだろう。特に何が欲しい、と明確な作物の名前を挙げないことから、材料になりそうなものは手当たり次第に持って行く可能性もある。となれば、真っ先に案内してあげるべきは庭園の中に最近つくられたハーブ畑だろうか。
「ねぇ、二人はなんていうの?」
早速ハーブ畑へ向かって案内を始めると、ルゥはそう二人に問い掛けた。訊かれて初めて気づいたが、二人はルゥに名前を聞いておきながら自分たちは名乗っていない。
「申し訳ございません」これはかなり失礼なことをしてしまった、とリーリエは非礼を詫びた。そして「申し遅れました。私はここに仕えております、メイドのリーリエと申します。それから、こちらは庭園の管理を専門に行うサラサです」と簡単に自己紹介をした。
「ふんふん、リーリエにサラサね。じゃあリリーとサラって呼ぶ」
どうやらルゥは人を愛称で呼ぶのが好きなようだ。リーリエもサラサも、今まで愛称で呼ばれるようなことがほとんどなかった為、なんだかくすぐったい気持ちにさせられた。
「ああ、着きました。目の前にあります畑が全てハーブを育てているものです。左から順に、スノウミント、ライムグラス、ツユシソ、ブラックパセリ、それからパールマジョラムでございます」
庭園の隅に位置したその畑には、背丈の低い青々とした葉が広がっていた。よく見れば葉の形が少しずつ違っていて、それがリーリエの言った五種類のハーブなのだということがわかる。仄かにスーッとした独特の香りが心地良い。ここにいるだけでリラックス効果が期待できそうだ。
ルゥはと言えばリーリエの話をあまりちゃんと聞いていなくて(聞いていたかもしれないが)、ハーブ畑に着くなり畑の前でしゃがんでハーブにそっと手を伸ばして葉に触れながらハーブの状態を観察していた。それから、「うーん、流石は我が弟」なんて呟く。
「……ん? 今、何と……」
「んぇ? ああ、想像を超えて良いハーブが出来てるな、と……」
「いえ、そうではなくて」
リーリエが何に引っかかっているのか全く分からないルゥは、首を傾げつつ自分の発言を思い返す。しかし、無意識のうちに呟いていたのか自分が何を言ったか分かっていないようだ。だから、代わりにサラサが言う。
「我が弟って、言わなかった?」
「あぁ! なんだ、それか。言った言った。フィンは弟だもん」
さらりと言ってのけるルゥ。だけど二人にとってはさらっと聞ける内容じゃあない。どう考えたって、目の前の幼い少女が五十年魔王を務める男の姉だとは思わない。言われてみれば確かに顔立ち等は似ているが、それにしたって、だからって。
「はああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
二人は堪えきれず、二人分の絶叫が庭園中に響き渡った。




