282 元司教の過去
村から避難先の町跡へと移動してから二日が経っていた。
ファルスさんたち村の人たちには徐々にストレスによる疲れが見え始めていた。特に狭い場所に押し込められている子どもたちには負担が大きいようで、食事で気を紛らわさせてはいるものの、少しずつ声を荒げたり、泣き声が響いたりする回数が増えてきていたのだった。
一方、その間ボクたちは『神殿』側が攻めてきた時にどう動くか――どうやって戦闘不能状態に追い込むのかということが中心になっていたけど――を、シュレイちゃんやジョナさんと一緒になってシミュレートしていた。
特にジョナさんは『移動ハウス』が気に入ったようで、
「はあー。ここは本当に快適っすねえ。できることならここで一生ごろごろしていたいっす」
などとダメ人間的なことをのたまいながら、暇があるとだらけていた。
いやまあ、周囲の警戒とかやるべきことをやっていてくれているのなら文句はないんだけどね。うちの子たちの情操教育に悪影響を及ぼさないかがちょっと心配です。
そんな彼のだらだら感と波長が合ったのか、アッシラさんもすっかり気を許していた。
「ここにいれば美味い飯も出てくるからな。日がな一日のんびりしたくなる気持ちはよく分かるぞ」
それはボクやティンクちゃん――この二日はシュレイちゃんも加わることになった――が頑張ってお料理を作っているからだよ!
そしてアッシラさんは既に、日がな一日のんびり過ごすのが基本の生活様式になっているような気がするんですけど!
放置しておくとそのうち息をするのも面倒だ、なんて言い出しそうな雰囲気すら醸し出し始めていた。
このように、こちらもあちらも危機的な状況が進行し始めていた。
子どもたちにいたっては、もって後三日、ギリギリまで辛抱させるにしても五日が限度だろうという話だった。
「困りましたね」
「ああ。困ったものだよ」
生活魔法の『湧水』を使って綺麗な水を飲料用の樽に満たしながら、ボクとファルスさんはため息を吐いていた。
村の人たちが避難しているこの地下空間は、あくまで一時的な避難場所として整備されたものだった。そのため井戸がなく、当然水道なんてものもあるはずがないので、こうして魔法を使って飲み水を確保しなくてはいけないのだ。
もっとも村の大人の大半が生活魔法を使うことができる――ファルスさんが教えていたらしい――ので、避難先でありがちな深刻な水不足という事態は避けることができていた。
ちなみにボクたちが避難に同行したこともあり、襲ってきた魔物をくまなく食材に変換することができていたので食料の方も十分に残っている。
それでは何に困っていたのか。避難してきた人たちのストレスだ。
実はつい先ほどまで村の人たちに頼まれて、これまでの冒険譚を話していたのだ。ボクとしても「気分転換になるから」と言われて深く考えずに受けてしまったのだけど、これが失敗だった。
大人たちには望郷の念を呼び起こさせてしまい、子どもたちにはまだ見ぬ外の世界への憧れを抱かせてしまったのだ。
その結果、子どもたちが大はしゃぎしてしまい、苛立った大人たちの雷が落ちてしまった。今はどちらも落ち着きを取り戻してはいるものの、避難所の大広間には気まずい雰囲気が居座り続けているのだった。
「ごめんなさい、ボクがもう少し話す内容に気を付けていれば……」
「いやいや、こちらから頼んだことなのだし、リュカリュカ殿が気にする必要はないぞ。それにとても興味深い話でもあった」
ラーメン騒動の時に魔王と知り合いになっていたこととか、トアル師匠が悪ノリした『移動ハウス』のこととか、スピリットドラゴンになったアッシラさんが一緒にいることとか、秘密にしたままのやばいネタもあったりするんだけどね。
……秘密かあ。
他に人がいない機会なんてそうあるものじゃない。今のうちにファルスさんの秘密、アッシラさんのことにこだわっていた理由を聞き出してみようか。
「ファルスさんがドラゴンにこだわっていたのは、守り神の山に近い村の出身って訳だけじゃないですよね?」
「……随分と唐突に切り込んできたな」
「今くらいしか聞く機会がないので」
彼の場合、『神殿』の本部、つまり聖地ホルリアで司教の任に就いていた。だから他の村人には聞かせられないような秘密を抱えていたとしても不思議ではないと思ったのんだよね。
「……おおよそ気が付いていたようだが、私は皆には言えないような後ろ暗いこともしてきた。
ふん!聖地などと崇められているが、一歩踏み込んだ先にあったのは他人を陥れようと網のごとく張り巡らされた権謀術数だった。
当然そんなことを平気でやれる者がまともであるはずがない。あの地にいたのは魑魅魍魎などよりもよほど恐ろしい何かだったのだよ。そしてそんな場所で生きていくには、いや、のし上っていくには自らもそうした何かに変わっていくより他はなかったのだ」
世界規模の組織だし伝統もある、その上層部や頂点ともなれば、野心や権力欲に憑りつかれた人間にとっては垂涎の舞台だろう。
「……分かっている、今から考えればそれはただの言い訳であったのだということは分かっているのだ。私が本当に向かい合うべきだったのは、権力にしがみつく愚かな他者ではなく、真を行おうとしていた自らの心の内だったのだろう」
何も言わずに続きを促す。ファルスさんは何らかの悪事に手を染めていたようだけど、ボクはその被害者でもなければ関係者でもない。ましてや裁くべき権利を持っている訳でもないのだから。
「守り神様と狂将軍のいきさつについての記述を見つけたのは、そんな亡者となり果てようとしていた時のことだ。
これだ!と思った、まさに天啓を受けた気分だった。長年に渡る過ちを正し、ドラゴンを解き放つ。守り神の山ふもとに生まれ、守り神の姿を目にしてきた私にとってふさわしい功績になるだろう、とな」
彼の言葉には自虐的な部分もあるように思う。そうした気持ちも確かにあったのだろうけれど、その根本には守り神と崇めてきたアッシラさんを重荷から解放してあげたいという想いがあったんじゃないかな。
「そしてひそかに狂将軍を倒すための準備を進めていたのだが……。どこからか対立派閥の者に嗅ぎつけられてしまったようでな。狂将軍を倒すどころか復活させようと目論んでいると喧伝されてしまい、さらに他の者たちのバレそうな悪事を全て押し付けられて一巻の終わりと相成った訳だ」
その後、親しかった神殿騎士の協力で命からがらこの地へと逃げだしたのだそうだ。
「原因こそでっち上げの冤罪だが、他の者たちとは違って私は、私だけは『神殿』から追われるだけのことをしているのだよ。……幻滅したかね?」
「うーん、幻滅はしないかな。だって、あなたはこの村で自分の罪と向かい合ってきたのでしょう」
そうでなければ他の村の人たちから頼りにされることなんてあり得ない。
神さまたちへの信仰心は残っていたとしても『神殿』には裏切られた人たちだ、そんな相手に元司教なんていう肩書きが通用するはずないのだから。




