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この『アイなき世界』で僕らは  作者: 京 高
16 新米冒険者たちの話し
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255 きらい

「あ、もうこんな時間だ」


 脳内でピピピと電子音を響かせた次の瞬間には、視界の片隅に現在の時刻が表示されていた。いつの間にか普段私たちがログアウトするための目安としている時間を超えてしまっていたらしい。

 クエストを一件終わらせた後にこの一連のごたごたに巻き込まれてしまったので、それなりの時間となるのは当然のことだといえた。


 これ以上はさすがに明日のリアルでの生活に差し支えてしまう。早々にログアウトすべきだ。

 すべきなのだが……、それを阻む者がいた。


「かあさん、新しい私のお(うち)は?」


 スゥである。収納ボックスの中から私たちの話を聞いていたのだろう、楽しみを先延ばしにされたような切ない声で訴えかけてきたのだ。

 それにしてもどこで覚えてくるのか、微かに上目遣いのその表情はこちらの庇護欲をくすぐるどころか爆発させてしまいそうなほど強力なものだった。


 現に彼女とはほぼ初対面である『わんダー・テイみゃー』の幹部の皆様方およびメガテンが「はうっ!」という呻き声を上げて、座り込んでしまっている。

 一様に胸を押さえていたのは何かに撃ち抜かれてしまったからだろう。

 見慣れた私でも思わず「何でも言うことを聞いてあげる!」と叫び出しそうになるのだからさもありなん。


 しかしながら甘やかすだけが愛情ではない。

 時に毅然とした態度でダメなものはダメだと伝えなくてはいけないのだ。


「ごめんね。ほら、予定外のことが起きちゃったから時間がもうないのよ。明日!明日には絶対買いに行こう!そうだ!せっかくだから色々と見比べてみるのもいいわね!うん、そうしましょうか!」


 まあ、言っていることはただの言い訳と必死な懐柔策に過ぎなかったりするのだけれど。

 スゥはそんな私に唇を尖らせて、


「かあさん、嫌い」


 プイッとそっぽを向いて一言そう言ったかと思うと、収納ボックスの中へと入って行ってしまった。


「す、スゥ!?ごめんね!?謝るから出てきてもう一度ちゃんと話をしようか!?」


 慌てて呼びかけてみたが一向に返事がない。後にはテイムモンスター専用の収納ボックスへと縋り付く私に困惑顔の仲間たち、そして状況について行けずに呆然としているその他の人たちだけ――そういうには多少多いようではあったが――だった。


「ど、どどどどどどうしよう!?スゥが!うちの子が反抗期に!?」

「はいはい、落ち着いて。楽しみを先延ばしにされて拗ねちゃっただけだよ、きっと」


 慌てふためく私の頭をポフポフと叩きながら、ルタがのんびりした口調で言う。「他人事だと思って!」という台詞が喉元まで出かかったが、それはただの八つ当たりだと焦燥と一緒に飲み下す。


「相変わらず、ファア姉はシリウスのことになると我を忘れるよな。ルタ姉の言う通り、今はちょっといじけているだけさ。だから落ち着けって」


 いつの間に変身したのか、人型となった雷どんにまでたしなめられてしまった。


「ウサギ系の種族は基本的に寂しがりやで人懐っこいから、明日になればいつも通り顔を見せるようになっているはずだぜ」

「まあ、バトルラビットだけはウサギとは思えないほど好戦的だけどな」


 と、三つの首で口々に喋り始める。種族は違えど広義には同じ魔物同士ということでその生態には詳しいようだ。


 ちなみにバトルラビットというのは「ウサギの姿をした悪魔」とか「得体のしれない何かがウサギに憑りついたもの」などと称される凶悪な魔物である。

 特に一カ所に定住せずに放浪しているタイプのものが厄介で、魔物だろうが動物だろうが人間だろうが関係なく見つけたそばから襲いかかっていくというはた迷惑な習性をしている。


 中にはとんでもないほどのレベルに育っているものもいて、『赤目隻眼の兎魔崩躯(とまほうく)』と名付けられた個体などはフィールドを徘徊しているエリアボスを瞬殺し、さらにはヒドゥンダンジョンのボスすらも倒してしまうほどにまで成長してしまっているのだとか。


「とにかく、今日のところは一旦ログアウトして、後のことは明日考えることにしよう」


 結局その日はスゥと仲直りができないまま、仲間たちに促されてログアウトすることになったのだった。




 そして翌日は散々な日となった。

 普段であれば端末の方に遊びに来てはリアルでも癒しを提供してくれていた我が麗しのシリウスが、一度も顔を見せてくれなかったのだ。

 当然呼びかけてみても反応は一切なし。この世の絶望を味わうことになってしまった。


 しかし、人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄の如しとはよく言ったもので、この日の私はよほど青い顔をしていたのか周囲の人間が気を遣ってくれて――そのため余計に原因について語ることができなくなってしまうという弊害はあったが――、すんなりと帰宅することができたのだった。


 せっかくの機会なのでさっそくにも『アイなき世界』へと向かいたいところだったのだが、リアルでの生活を無碍にする訳にはいかない。

 特に今シリウスに会ってしまえばそのまま離れたくなくなってしまうのは目に見えている。

 そこまで自覚しているのなら自制しろよ、と内心でセルフ突っ込みを入れるが、それはそれこれはこれというやつである。

 リアルでの体調悪化により強制ログアウトなんてことが起きないように、長丁場になっても耐えられる体力を回復しておかねば。


 買い込んできた食材でがっつりとしたスタミナ系の料理を作り、半ば義務感で喉の奥へと押し込んでいく。明らかに偏った食事内容はサプリメントでフォロー。

 明日は落ち着いて美味しく食事ができますようにと祈りながら手早く片付けを済ませていく。


 シャワーを浴びて汚れと(こご)って淀んだ心の(おり)を洗い流す。

 優しいあの子のことだ、私が沈んだ表情をしているのを見ればきっと自分を責めてしまうだろう。だから表に出すのは反省の気持ちだけ。後悔や負の感情は全て心の奥底にある堅牢な檻(タルタロス)へと放り込んで、厳重に鍵をかけておかなくては。


 準備は整った。後はシリウスに会うだけだ。大丈夫、きっと上手くいく。また笑いあえる関係へと戻ることができるはず。

 ほんの少しの不安を抱えながら、私は『アイなき世界』へとログインしていくのだった。


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