五 大人たちの事情
辿り着いた郊外の一軒家の駐車場で車から降りる。家と呼称したがそのたたずまいから邸宅だとか屋敷だと言った方が正確かもしれない。
「いつ来てもでっかい家ですよね」
「こら、余計なことを言わない」
軽口を叩く部下を窘めてから彼女は玄関へと向かった。その距離が数十歩では到底及ばないことに、心の中でため息を吐きながら。
通されたのはいつもの応接室だった。
品の良い調度品がこれまた品良く適度に置かれ、大き目の窓からは小さいながらも手入れの行き届いた庭を堪能できるようになっていた。気忙しく走り回っている日常とはまるで別世界の空間だ。
毎度のことながら、どうして自分は仕事で訪れているのかと考え込んでしまう。
同時にワーカホリック的な現状では例えプライベートで訪れたとしても堪能することはできないのではないか、そんな風にも思えてしまった。
「待たせてしまったかな」
どこからともなく響いてきた声が思考の海へと沈んでいた意識を掬い上げる。
さらにその声に呼応したかのように壁の一画が開き、先にある部屋と繋がったのだった。否、繋がったように見えるだけだ。
二つの部屋は強化ガラスによって歴然と隔たれていたのだから。
部下ともども座っていた数人掛けのソファから立ち上がり、開いた壁に向かって進む。
その先、ガラスに隔てられた向こう側には、杖を手にしながらもしっかりと己が二本の足で立つ老齢の男性と、彼に付き従うように立っているロボットがいたのだった。
「ご無沙汰しております」
頭を下げると「ああ、久しぶりだね」と柔和な声が耳に届いてきた。顔を上げると、声に違わない優しい笑みが浮かんでいた。
その顔だけを見ると、ほんの数年前まで彼が辣腕で恐れられた経済界の重鎮だったことに気が付く者はいないのではないかと思ってしまう。
まあ、彼のことを知る者から言わせると、「その好々爺然とした顔の裏では何を考えているのか分からない」ということになるのだが。
そんな相手とガラス越しとはいえ至近距離で言葉を交わす機会を与えられた自分たちは、やはり幸運なのだろう。
丁寧に磨き上げられたガラスには指紋汚れ一つなく、その存在を限りなく零に近づけていた。
ふと、以前連れてきた部下の一人が粗忽にもこのガラスに激突したことがあったことを思い出した。
「今、君が何を考えているのかを当ててあげようか?」
いたずらを思い付いた少年のような瞳で老人が問うてくる。
「以前君が連れてきたこのガラスに頭を打ち付けてしまった彼の事だ。どうかな?」
そしてこちらが反応するよりも先に解答を口にしてしまう。これが外れているのであれば会話なりなんなりの主導権を取り返すことができるというものなのだが、老練な彼は見事に正解を的中させてきたのだった。
「……当たりです。参考までにどうしてそうお思いになったのかをお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、やはり自覚がなかったのだね。君、ほんの少しだけど笑っていたのだよ」
慌てて頬に手を添えてみるもそれらしき情報を読み取ることはできない。
「……これでもポーカーフェイスは得意な方なのですけれど。社内では『氷の仮面』だなんてあだ名されるくらいです」
決して名誉とは言い難いそれを口にすることで真実であることを暗に告げる。
とりあえずぶんぶんと頭を縦に振っている部下は後でしめることにしよう。
「はっはっは。これでも海千山千の老獪で妖怪なジジイやババアどもとやり合ってきたんだ。いくら君が才女だと呼ばれていても、私を騙し眩ますにはまだまだ年季が足りないよ。
それと、実を言うと私も同じことを思い出していたのだよ。あれはなかなか愉快な出来事だった。あの時の彼は息災かな?」
「はい。今では彼も立場ができてしまいましたので、気軽に私の供として連れ出すことはできなくなっていますが、元気に……、それなりに元気にはしております」
さすがに昨日社内で見かけたあの姿をストレートに元気と称することは躊躇われてしまった。
ほとんど不眠不休状態だったのだろう、頬はこけ、目の下には隈ができており、よろめくようにして歩くその様は映像作品に登場するゾンビのようだった。
案外ゾンビのモーションに彼らの動きを採用すると、良い物ができるかもしれない。
「立場ができるとそうそう替えが効かなくなってしまうものだが、くれぐれも人材を使い潰すようなことがないように注意したまえよ。もちろん、君たち自身がそうならないようにもだ」
その言葉は人生の先輩でもあり、同時に経営の先達としてのもののようにも感じられ、二人は素直に頭を下げたのだった。
「いかんなあ。年を取るとつい説教じみたことを口にしてしまう。あちらで飛び回っている反動かね?」
「その可能性はないとは言い切れませんね。あちらが思い通りに動く分、リアルでストレスに感じてしまうのかもしれません。例の衝動にも影響しているようであれば、少し加減した方がいいかもしれません」
「ふうむ……。特にそちらへの悪影響は出ていないと思うが……。そうじゃな?」
と老人が背後のロボットを振り返る。
「ハイ。ぷれいカイシイコウ、ゴシュジンサマノ ハカイ・サツジンショウドウ、ツウショウ『びーすと』ノ ハッセイカイスウ オヨビ シンドハ イズレモ ゲンショウシテイマス」
甲高く単調なそれは声というよりも音に近いように感じられてしまう。尋ねられた事象に即応対することができるだけの知能は搭載しているのに、その外見や音声に関してはレトロ志向を超えてもはや骨董品レベルのものであった。
しかしこれも理由があってのことだ。
『突発性殺人衝動』、この家の主である老人が抱える心の病だ。文字通り理由もなく突如として人を殺したくなるというものだ。
自身の中に巣くうそれに彼が気付いたのは二十歳になるかどうかという年頃の時の事だった。以来、それを上回る強固な意志でそれを押し留めてきたのだが、寄る年波のためか近年ではそれを押さえることが難しくなってきてしまっていた。
つまり彼の衝動による殺人対象から外れるために、この家のロボットたちはいかにもな姿をしているという訳だ。
同様に二つの部屋を仕切る強化ガラスは客人の安全を守るためであり、主人を犯罪者にしないための防御装置なのであった。
「ほらな。まあ、その分あちらで私にやられてしまった人たちには申し訳なく思うがね」
「それに関してはこちらの仕様でもありますので問題ありません。それに、節度を持ったプレイを心がけて頂けていることは分かっておりますから」
「人を殺しているのに節度も何もあったものではないと思うが……。いや、それを享受している私が言うべきことではないか。苦労をしているのは君たちの方だしなあ」
長年衝動に苦しんできたこともあって、彼は架空の世界であっても人を殺すということには嫌悪感を持ち続けていた。
例えそうすることでよってしかリアルの精神を保てないのだとしても。
そしてそれが分かっているからこそ、彼女たちもそれに付随する苦労を背負おうとしているのだった。
そう、こうした運命に抗おうとする人々がいる限り『アイなき世界』からPKのシステムが消えることはない。
秘密の裏事情でした。
最後の台詞回しがわざとらしい? はい。ちょっと大仰に書いてみました。
今回登場した彼だけではなく、様々な機関などと連携しながら色々な疾患の緩和に向けてのテストや実験が日夜行われています。
実は他にも色々と(ピンポーン)おや?誰か来たようだ……。




