208 『ペインドラッグ』
「『ペインドラッグ』?」
聞きなれない名称に思わず今しがた聞いたばかりのその言葉をおうむ返しのように呟いてしまった。
「そうだ。非正規プレイヤーの一部が違法なツールを用いて作りだしたアンタッチャブル・アイテムだ」
「おいおい、アンタッチャブルとは大袈裟じゃないのか?」
「そうでもない。実際に運営側は『ペインドラッグ』を所持しているだけで罰則の対象とすると明言している」
そう言って隣に座っていたユージロが見せてくれたのは、『アイなき世界』の公式ホームページに記載されている禁則・罰則事項についてだった。
「うお!?本当に所持しているだけで違反になると書かれていやがる!?」
そこまで厳しく取り締まるとなると、ゲームバランスを破壊してしまうようなものなのだろうか?
「バックスなら、というか戦闘をしたことのあるプレイヤーなら分かっているとは思うが、『アイなき世界』ではプレイヤーは攻撃を受けた際、痛みの代わりに衝撃が発生するという仕様になっている」
そのため攻撃を受けてもすぐに反撃できたりするな。まあ、時には内部システムの疲労度――プレイヤー間での通称であり正式名称は不明――との兼ね合いで一時的な行動不能が起きたりもするが。
ちなみに、これと玄人向けのHP減少による状態異常についてはまた別の設定らしい。
「この『ペインドラッグ』というアイテムは、遮断されているはずの痛みを感じることができるようになる、という代物だそうだ」
……はあ?
わざわざ痛みを感じるようにするためのアイテムだと?
「そんなものを使いたがるやつがいるのか?」
「一応、感覚が鋭敏になってリアルでの動きとの違いがほぼ零になる、という副作用というかプラスに働く部分もあるらしい」
いや、リアルとの違いなんて感じた事なんてないし、そんなことを言うやつに会ったこともないぞ。まあ、『最弱ウェポンメイカー』のギルド長であるボブくらい特徴のある体格であれば、多少は感じるかもしれないが。
後は……、ああ、リアルで武道をたしなんでいる人間の中には、VRだと違和感があるという話をどこかで聞いたことがあったような気はする。
しかし、違法アイテムに手を出すほどのことなのかというと、疑問が残る。本人にとっては深刻な問題だという可能性はあるが、明らかにリスクの方が大き過ぎるからだ。
ゲームのことではあるが犯罪には変わりがなく、その責任は中の人が、リアルで求められることになるのだ。
中にはそんなことに考えが及んでいないプレイヤーたち――例えば未成年などの――もいるだろうが、今度はそんな者たちが手を出したくなるほどの性能なのか、という話になってくる。
確かにこの世の中、何が当たるのか分からないような部分はあるが、それでも『ペインドラッグ』というものはメリットに対してデメリットの方が多いように思われるのだった。
「『アイなき世界』での市場を席巻し尽くしてしまうような出来の良いアイテムだとは到底思えないな」
「確かにこれだけならば一部のマニア向けのアイテムということにしかならなかっただろうな」
マニアではなく変態向けと言ってしまっていいんじゃないのか……。
それでも違法に作られたものには変わりがないから、運営としては取り締まらざるを得ないだろうけどな。
「もったいつけるなよ。何かまだ秘密があるのか?」
「それがな、『ペインドラッグ』の使用時間内であれば……、死ねる、らしい」
「……は?死ねるというのは、死に戻るということではなく?」
「違う。痛みを感じながらHPが全損することで……、リアルではショック死する、ということらしい」
VRのゲーム内で死ぬことと連動してリアルでも死んでしまうだって?どこのSF小説の話だ。
いかん、バカバカし過ぎて頭が痛くなってきた。
「何日か前に『アイなき世界』をプレイしていて意識不明となって入院したというニュースがあったのを覚えているか?そのプレイヤーが『ペインドラッグ』を使用していたという噂がある」
「……そんな噂を真に受けるような脳みそがお花畑な人間がいるのか?まあ、ゴシップ週刊誌なら真贋問わずネタとして面白おかしく書き立てるかもしれないが。だいたい信じたからと言ってどうした?そんな自殺アイテムを手に入れようとするやつが増えるとは思えないぞ」
「それが他人に使用できるかもしれないものでもあってもか?」
「何だと!?」
「……『ペインドラッグ』の使用対象者には制限がないと言われている」
アイテムにはそれぞれ使用できる対象者が決められている。例えば恒久的な能力値上昇アイテムは所持者にしか使えない。一方で、一時的な能力値上昇アイテムであれば、パーティー内の仲間にまで使用可能である。そして回復薬などはパーティー外のプレイヤーどころかNPCに対しても使用できるようになっている、という具合だ。
そして『ペインドラッグ』は、回復薬と同じように対象に制限がない。つまり、
「殺人アイテムとなるかもしれない、ということか?」
「運営の苛烈な対応を見るに、その可能性を否定できていないと思えるな」
厳しい姿勢で臨んだ結果、可能性を示唆してしまったのか。プレイヤー側の深読みのし過ぎかもしれないが、何とも皮肉なものだな。
「そしてその『ペインドラッグ』を、帝都を中心に活動している闇ギルドなどが大量に買い求めているらしい」
嫌な予感がする。言い忘れていたが、俺たちが今いるのは古都ナウキから帝都へとつながる街道を進む幌馬車の中だ。
「もしかして、護衛の依頼というのは……」
「『ペインドラッグ』の調査をする際の護衛、ということになるな」
やっぱりか!
「そういうことは依頼をしてきた時点で言っておいてくれ!」
「こちらが説明しようとしているのを遮って、依頼を引き受けたのはお前だぞ」
う……!言われて思い返してみればそんな気もしないでもない。まとわりついてくるゼロたちを追い返すために、ちょうどいいと飛び付いたのだったか。
完全に自業自得だな……。
「すまん。内容を確認しようとしなかった俺のミスだな」
「分かってくれたのならそれでいい。しかし、危険なことは確かだ。どうする?今からでも依頼を取りやめるか?」
「いや、受けさせてくれ。ここで放り投げたことで犠牲者が出たなんてことになったら目覚めが悪い」
「そう言ってもらえると助かる。戦闘に特化していながらも闇ギルドの連中のような変則的な動きにも対処できるような人間となると、そう多くはいないからな」
まあ、それなりに多くの相手とPvPをこなしてきたからな。対人戦に限って言えば、下手な攻略プレイヤーよりも多くの白星を手にすることができる自信はある。
それでもはるかかなた帝都のある方角には、暗雲が立ち込めているよう思えたのだった。
いつものことながら、前話を書いた時点で思い描いていたのとは違った方向にお話が進みつつあります(汗)。
さてさて、これからどうなりますことやら?




