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来たるべき破滅のために  作者: Barkley
第四章 勃興
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まだ存在しない国

 会議が終わったその日の夜、テレビ局は一斉に同じ映像を流した。


 三人の首脳が横並びで立ち、背後に三つの国旗があり、そのさらに奥に、会議のためだけに作られたはずの幾何学的な紋章が浮かんでいる。どの局も、最初は会見の中身よりその構図を繰り返した。編集の側が意図したかどうかは関係ない。映像というものは、言葉より先に印象を固定する。三つの国旗が別々にではなく、最初から一枚の画として記憶される。その時点で、政治は半分終わっている。


 日本では、最初に反応したのは市場だった。


 翌営業日、海運、造船、重電、半導体材料、港湾物流、食料備蓄、燃料備蓄、通信暗号、衛星関連、そういう銘柄だけが妙に買われた。投資家たちは理想など信じない。だからこそ、彼らの反応はしばしば政治の本音を先取りする。政府間協議が一時的なものなら、資金はそこまで素直に動かない。だが今回は違った。三カ国が単なる共同声明で終わらず、長期的な構造再編へ入るかもしれないと市場が嗅ぎつけたのである。


 テレビでは「期待感」と言い換えられた。新聞では「地域安全保障関連銘柄が堅調」と書かれた。だが官僚たちはもっと正確に理解していた。市場は、三カ国連合の成立を支持したのではない。成立を前提に儲ける側へ、既に金を移し始めたのだ。


 霞が関では、その朝から空気が少し変わっていた。


 会議前まで、「東アジア安全保障・産業協調首脳会議」は、また四谷が大げさな看板を立てただけの政治行事だと見ていた官庁も少なくなかった。防衛や通商はともかく、財務、国交、総務、農水、厚労、そのあたりは、どうせいつものように勇ましいことを言い、実務は後から現実に合わせて冷やすのだろうと高を括っていた。


 会議後、その認識は保てなくなった。


 常設の政策調整機構。一体的な戦略空間。統合的運用。共同備蓄。港湾優先使用。危機時の相互代替生産。


 共同声明に入ったその語の一つ一つが、文官たちには具体的な事務へ見えたからだ。政治家や軍人は言葉を打ち上げる。だが言葉が実務へ落ちてきた瞬間、文官たちは敏感になる。何が起きるか。会議体の新設。予算の付け替え。法解釈の変更。通達の文言修正。権限移譲。規格統一。人事交流。つまり、自分たちの机の上が変わる。


 経産省の若い課長補佐は、共同声明の日本語版と韓国語版と繁体字版を並べて見比べていた。


「『一体的な戦略空間』って、これ誰が入れたんだ」


 隣の上司は、げんなりした顔で答えた。


「知らんが、少なくとも防衛じゃない。あいつらならもっと露骨に書く。たぶん神代のところだろ」


「これ、通商協定じゃ済みませんよ」


「済まないから入れたんだろう」


 答えは簡潔で、そして正しかった。


 言葉が危険なのは、それが曖昧だからではない。実務へ変換できる程度には具体的で、しかしまだ抵抗を起こすほど露骨ではないときだ。その点で、今回の共同声明はかなり出来が良かった。あるいは悪かった。


 一方、日本国内の世論は、賛成と反対に綺麗には割れなかった。


 賛成する者は、積極的な理想に惹かれたわけではない。南半球の戦争、米英の不調、海上秩序の崩れ、資源輸送の不安定化。そういうものを見せられたあとでは、単独国家のまま生き残れると信じる方が、むしろ想像力を必要としたからである。国民の多くは、完全な統合までは考えていなかった。だが日韓台の枠組み強化くらいは仕方ない、あるいはその方が現実的だ、という程度の納得は広がっていた。


 反対派は別の理屈で動いた。


 主権の切り売りだ、と怒る保守派。

 軍事国家化の加速だ、と叫ぶ左派。

 歴史問題を棚上げして統合を急ぐのか、と非難する市民運動。

 韓国も台湾も信用できるはずがない、と言う高齢者層。

 逆に、日本が韓国と台湾を飲み込むつもりではないかと警戒する隣国世論。


 どれも当然の反応だった。国家の再編に対して、最初から理路整然と賛成する大衆などいない。人はまず、自分の慣れた国号と紙幣と国旗とパスポートにしがみつく。問題は、そのしがみつきが、現実を止めるほど強いかどうかだけだった。


 そしてそれは、強くなかった。


 なぜなら、誰もまだ「統合します」とは言っていないからである。


 反対は、対象が明確なほど強くなる。だが四谷はそこを避けていた。連合とは言わない。統一とも言わない。新国家建設ともまだ言わない。ただ、政策調整を強化し、備蓄を共有し、戦略空間を一体化し、訓練と補給を共通化し、港湾と工場の使い方を擦り合わせる。大衆がそれを全部把握するころには、もう事実上かなり進んでいる。そういう順番だった。


 韓国では、反応はもっと神経質だった。


 維新軍政府の支持基盤の一部は、東アジア再編にむしろ熱狂した。英米の秩序が裂け、日本が軍事国家へ戻り、韓国がその共同創設者になる。そういう物語を好む若い将校や学生は確実にいた。特にユギオ動乱を支持した層の中には、国家の拡大や歴史の加速そのものへ酔う者が少なくなかった。既存の韓国社会を徹底的に作り替えるつもりなら、日本との接近すらも手段として飲み込める。そういう危険な世代が育っていた。


 だが、一般の国民は違った。


 彼らはもっと実際的だった。日本との関係改善そのものには利点があると分かる。だが「近づきすぎる」のは嫌だ。主導権を握られるのも嫌だ。歴史が消えるような話はもっと嫌だ。韓国のテレビ討論では、そういう感情が何度も顔を出した。反日感情が消えていないのは当然だし、それを消す必要も四谷は感じていなかった。感情が残っていても、制度は進められる。むしろ感情を完全に和解へ持ち込もうとするほうが時間の無駄だった。


 ソウルの維新軍政府は、その矛盾をよく理解していた。


「友好を売るな。必要を売れ」


 ある宣伝担当の高官は、そう言って広報方針を決めた。


 日本との連合を夢の共同体として宣伝するな。

 共同防空圏、共同備蓄、共同輸送網、共同開発、それらを韓国の生存に必要な措置として説明しろ。

 歴史的和解などと余計なことは言うな。

 生き残るためにやる。それだけを言え。


 その冷たさが、かえって効いた。国民は理想より必要の方を信じやすい。


 台湾の反応はさらに複雑だった。


 改新政府の支持層は、大陸中国への対抗という文脈で日本接近を支持しやすかった。だが同時に、日本中心の秩序へ組み込まれることへの警戒も消えない。台湾は長く、自分たちこそ中国の正統だという歪んだ誇りで生きてきた。その誇りは、たとえ改新政府になっても、そう簡単には消えない。まして「三カ国連合」となれば、自分たちがその第三の一角へ押し込まれるような不快感も出る。


 そこで台北の広報は、別の説明を用意した。


 これは従属ではない。

 中華民国が東アジア秩序の共同設計者として復帰するのだ。

 孫文以来の革命的正統が、大陸の共産政権ではなく、東アジアの新たな統合秩序の中で再び生きるのだ。


 理屈としてはかなり無理があった。だが国家が自尊心を守る論理など、たいてい無理がある。その無理を通すのが政治だった。


 こうした表の反応とは別に、軍と官僚機構の内部では、もっと露骨な接近が始まっていた。


 会議から三日後、博多港の一角に、仮設の「三国共同海運調整室」が置かれた。名称は臨時連絡所でしかない。だが実際に中へ入ると、既に三カ国の制服と背広が同じ壁面地図を見ていた。コンテナの流れ、燃料備蓄、代替港湾、護衛優先順位、戦時保険の補填、重要物資の配分。誰の港か、誰の船かという感覚が、少しずつ薄れていく。


 防衛分野でも同じだった。


 航空宇宙自衛軍、韓国空軍、中華民国空軍の間で、対EDF想定の共同研究班が正式発足した。表向きは情報交換だが、実際にはもっと踏み込んでいた。脅威ライブラリの共有、レーダー特性の擦り合わせ、電磁波環境の相互計測、長距離迎撃の教範比較、早期警戒機の運用思想の統一。こういうものは、一度始めると後戻りしにくい。なぜなら、相手の体系を知れば知るほど、自分の防衛計画の一部に相手が入り込むからだ。


 陸でも海でも、同じことが起きた。


 統合の前段階とは、要するに、独立して存在していたはずの危機管理計画が、いつの間にか他国の表計算を前提に作られ始めることだ。そうなると、まだ国家は成立していなくても、実務上は既に半分つながっている。


 四谷は、その全体を見下ろしていた。


 六月会議の一週間後、彼は内部向けの短い指示文を回した。


 『新国家形成は、宣言ではなく依存の固定化によって進めよ』

 『国民には理念を多く語るな。必要と危機を語れ』

 『各省各軍は、三国を別個の協力相手としてではなく、一個の統合準備空間として扱うこと』

 『連合という語はまだ使うな。だが連合でしか説明できない実務を先に積み上げよ』


 それを読んだ神代は、珍しく笑った。


「相変わらず嫌な書き方をしますね」


「嫌だから効く」と四谷は答えた。


 彼はこの段階でも、なお壮大な演説より帳簿と輸送計画を信じていた。人は歴史に酔う。だが歴史を実際に動かすのは、たいてい港湾使用許可証と燃料配分表である。四谷はそのことを理解していた。だから彼の構想は、少しずつ真実味を持ち始めていた。


 最初は妄想だった。

 次に軍政の誇大なスローガンだった。

 その次に福岡で語られた危険な将来像になった。

 そして六月会議のあと、それはとうとう事務になった。


 事務になったものは強い。


 人は妄想に笑い、スローガンに反発し、将来像に不安を抱く。だが事務は黙って日常へ染み込む。気づいたときには、もうそこにある。


 夏が近づくにつれ、三カ国の新聞には、似たような小さな記事が増えた。


 共同備蓄の試験運用。

 港湾の優先枠設定。

 共同訓練の拡大。

 部品規格の共通化。

 士官交流の増員。

 半導体関連技術者の安全移送計画。

 非常時の相互受け入れ協定。


 どれも一面にはならない。だが数が増えると、社会はそれを「既にあるもの」として処理し始める。


 国民たちは、まだ新国家の成立を信じてはいなかった。

 信じてはいないが、三カ国が単なる隣国ではなくなりつつあることだけは、薄々感じ始めていた。


 日本の若い官僚は、韓国の港湾処理能力を自国の補給計画へ入れた。

 韓国の将校は、日本の精製能力を自軍の作戦継続日数へ織り込んだ。

 台湾の技術者は、日本と韓国の工場を、自分たちの後背として計算し始めた。


 そして一度そうなれば、政治は後からついてくる。


 六月の会議は、条約を結ばなかった。

 国号も定めなかった。

 国旗も作らなかった。


 だがその代わりに、もっと厄介なものを残した。

 三つの国が、まだ成立していない一つのものとして、互いを見始める癖である。


 それはまだ愛着ではない。

 忠誠でもない。

 ただの習慣だった。

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