進路希望調査
ある日の昼休憩。
いつものように、周囲を警戒しながら俺は世界史準備室へ入った。
午前中は、職員室には行ってないので、柊木ちゃんと会うのは今日はじめて。
いつもはお疲れ様~と労ってくれる柊木ちゃんが、機嫌悪そうにむくれている。
「どうかした?」
机の上には、二人分の弁当が置いてあり、柊木ちゃんの隣には俺の席がスタンバイされていた。
「さっき、坂井先生の机を漁ったんだけど」
坂井先生ってのは、俺の担任。
「へえ。って人のデスク漁んなよ!」
「坂井先生授業だったし、職員室はちょうどガラガラだったの」
「それが理由!?」
「気になったことがあったので、柊木先生は、少々調べさせてもらいました」
正義は我にあり、という堂々たる言い草だった。
柊木ちゃんに、誰か社会人のマナーとかそういうやつを教えてあげてほしい。
生徒指導の先生は、まず同僚を指導してあげるべきだと思います。
けど、俺の担任のデスクで調べたいこと……?
「それで、先生は、何を調べたかったの?」
「先生じゃなくて、二人のときは春香さんでしょー?」
ブスブス、と柊木ちゃんが俺の頬に指を差してくる。ぷんすこ怒っている柊木ちゃんはやっぱり可愛い。
「あたしがご機嫌斜めな理由、誠治君、わからない?」
自分でご機嫌斜めと言いながら、弁当を俺に食べさせることを忘れない柊木ちゃんであった。
今日もあーんされて食べさせてもらうのは、おなじみの唐揚。美味しい。
「俺、なんかしたっけ?」
「あんなことしておいて? ちょっとそれ酷いと思う」
「酷いこと? 俺そんなことしてないって」
柊木ちゃんを悲しませる行動はギルティ。俺の心に誓った掟だ。
俺が大丈夫だろうと思っている行動が、実はアウトだった、とか?
「あ。クラスの女子としゃべっているのが気に食わなかったとか?」
しゃべるというか、授業のことで「次移動教室らしいよ」「ああ、ありがとう」くらいの会話だけど。
「女子校生程度に、柊木先生はヤキモチ焼きませんからっ」
威勢よく言ったあとで、「……たぶんね」と小声でつぶやいた。
「それに、高二の女子が誠治君を養えるわけないでしょ? ほら。大卒で教員免許を持っているあたしのほうが何倍もすごい」
「争点そこになるのかよ」
その女子高生程度に柊木ちゃんは社会的肩書を持ち出してムキになっている。
「むきーッ」
口でも言った!
なんか、怒りの矛先が別のところに……。
「大丈夫大丈夫。春香さんには、春香さんのいいところがいっぱいあるから」
「う~~……。そうやってごまかしても……」
よしよし、と頭を撫でてあげると、どんどん表情がふにゃふにゃになっていく。
「柊木春香は、誠治君に怒ってるんだから……」
その顔じゃ全然説得力がない。
「春香さん、そろそろ教えてくれない? なんで怒ってるの?」
柊木ちゃんは、ごそごそ、と荷物を漁ると、一枚のプリントを手にした。
それを、ビターン!! と一流デュエリストのように場に召喚した。
『進路調査書 二年B組 真田誠治』
俺がこの前、担任に提出した進路希望を書いたプリントだった。
「??」
疑問符をたくさん頭の上に浮かべる俺に構わず、柊木ちゃんはターンを開始した。
「これを見ても、まだとぼけるつもり?」
お怒りモードの柊木ちゃんが、第一志望、第二志望の欄をズビシッと指さした。
第一志望は地元の国立大学、第二志望は私立大学。ちなみに、俺は第二志望に書いている私立大学に四年間通った。
「とぼけるって……とぼけるも何も、普通じゃない? むしろ、ちゃんと書いたほうだと思うよ? 二年の夏にもなってないこの時期に、具体的に志望校書けるなんて」
「そうじゃないよ! なんで大学なんて行こうとするの」
「なんでって……一応、学歴社会だから? 特にやりたいことも見つからないし」
「大学なんて行ったって、大して意味ないよ。あたしが保証する」
「何を保証してんだ。まあ確かに、行ったところで授業は真面目に出ずに結局バイトばっかりしてたし」
「授業に出ずにバイトばっかり……?」
「あ。――――っていう話をよく聞く」
ぼんやり思っていたことをつい口走っちまった。
俺がそろーりと顔をうかがうと、納得したらしくうんうん、と柊木ちゃんはうなずいている。
「そうだよ。大学は、怖いところなんだよ。リア充だけが楽しめるように作られている魔境なの。悪い女もいるし、誠治君が行くようなところじゃないよ」
リア充が楽しめるっていう部分には同意。
どうにも柊木ちゃんは、大学の怖い話をして、俺に大学進学の悪印象を持たせたいらしい。
「卒業したって、大卒の肩書がもらえるだけなんだから」
「リアルな話やめい」
俺が大学に行くと、柊木ちゃんは嫌なのか?
「あ、わかった。俺が目の届かないところに行っちゃうから、心配してるんだ?」
「うーん。全然」
「しないのかよ」
「甲斐性のない小娘なんかに負けないもん。料理も結構上手だし」
「じゃ、何? 何に怒ってるの?」
「養ってあげるって言ったのになんで進学するの!? 誠治君はヒモでいいんだよ!?」
怒るポイント普通逆だろ!
ヒモで働かない彼氏がいれば嘆いていいし怒っていいよ。
俺、ちゃんとしてるのに。なんか怒られた。
「そおゆーときは、主夫って書いちゃえ♪」
けしけし、とプリントの文字を消していく柊木ちゃん。
シャーペンを持つと、でかでかと『主夫♡』と書いた。
「俺が担任に怒られるわ!」
第二志望が『家事手伝い』
「ニートの別称じゃねえか!」
第三志望が『高等遊民』
「戦前のニートの呼び方じゃねえか!」
んもう! と柊木ちゃんがツッコミを入れまくる俺にうんざりしたのか、机を叩く。
「正直にヒモって書かないだけマシだと思ってよ!」
「逆ギレ!?」
「誠治君はしょうがないんだから……」
けしけし、と書いたものを全部消した。
「これなら文句ないでしょ?」と何かを書き直す。
『お婿さん』
「ヤバさが増したわ!」
女子が嫁って書くなら、可愛げがあるけど、男子がそれやるとかなり痛いヤツに思われてしまう。
プリントを奪った俺は、元の志望校を書いておく。
むう、と不満げにそれを見ている柊木ちゃん。
「これは、高等テクだよ。本心は別にあるけど表向きは進学って書いておけば、担任は何も言わない」
「え……誠治君、天才!」
やれやれ。納得してくれた。
「真田くん? 今後、こういう先生を悲しませることはしないでください。いいですか?」
「はい。わかりました」
急に先生口調になったので俺も合わせると、柊木ちゃんが目をつむって唇をちょんと突き出す。
「ん……」
「いや、ここ、学校で……」
「……早く」
開いていたカーテンを閉めて、俺は柊木ちゃんにキスをする。
「学校ではこれが最後だから」
「え。どうしてそんなに厳しいの……?」
エスカレートするからだよ。たぶん。
「もう一回」
「いや、だから……」
「ん♡」
こんな具合で、俺は柊木ちゃんに溺愛され続けるのであった。