W誠治
「誠治君、ダメでしょ、そんなところでカクカク腰振っちゃー? それ柱だよ?」
……。
「あーもう。誠治君、聞いてる? ご飯を食べる前はちゃんと――ふぎゃあああああ!? そんなとこでオシッコしちゃダメえええええええ!」
大慌ての柊木ちゃんを俺は横目で見ながら、またテレビに目を戻した。
預かった犬がどうやらセージって名前らしく、それでいつものノリで君づけをして呼んでいるんだとか。
てか、ややこしいから誠治君って呼ぶの、やめてくんないかなぁ……。
セージは、オスのミニチュアダックスフンド。見ている分には、普通に可愛い。
「だいたい、誰から預かったの? この犬」
週末来てみれば、俺がよく座るソファの定位置に犬っころが鎮座しており、柊木ちゃんが孤軍奮闘しているところだった。
「城島先生から、一日だけどうしてもって頼まれて断れなくて……。ペットを飼うのはダメだけど、一日預かるくらいなら大丈夫だろうと思ってオッケーしたんだけど」
思いのほか、セージに手こずっていた。
「犬飼うのって、大変だね……」
「実家は何も飼ってなかったの?」
「飼ってたけど、お世話はお手伝いさんが全部やってたから……あたしはたまに散歩させる程度だったし」
かくいう真田家もペットは飼ってない。犬は好きなんだけど、世話が大変だからというありきたりな理由で飼ってない。ちっちゃいころ、紗菜がほしいって泣き喚いたことが一回あったけど、それでも飼うことはなかった。
セージは、柊木ちゃんがよそ見をしている隙に、柊木ちゃんが持った容器のエサをガツガツ食べはじめた。
「あああああああああ! ちゃんとお手してからじゃないとダメって言われたのにぃいいい! もう、誠治君っ」
「何?」
「こっちのほう!」
「ややこしいんだよ」
セージはというと、ご機嫌そうに尻尾を振ってドッグフードをがっついている。
この姿だけを見れば、結構ラブリーな犬なんだけど、世話する側の柊木ちゃんは、土曜日の午前中だっていうのに、もうヘトヘトになっていた。
「誠治君が言うことを聞いてくれない……」
「ややこしいから君づけやめろって」
けど、俺の幸せ計画では、将来的に犬を一匹くらい飼うつもりでいた。
……柊木ちゃん、もしかして犬より猫派?
しょぼん、としながら、柊木ちゃんは雑巾で床を拭いていた。
「もしかして、春香さん、犬はあんまり好きじゃない?」
「あたしは猫派」
どっちも好きだけど、どっちかといえば犬派の俺。
「じゃあ、将来飼うとしたら?」
「猫だよ、猫、断然猫!」
今回の件で、相当懲りているらしい。猫推しがすごい。
俺は犬を飼いたい。だから、どうにかして改宗させないまでにしても、犬もいいかな? くらいの考えになれば、俺としては嬉しい。
「まず、犬のいいところは、芸を仕込めばやってくれるところだ。――お手」
フイ、と俺を見て、短い足でちょこん、と手をのせてくれた。
……可愛い。
「あ。預かったときに、遊び道具も借りたよ。これ」
柊木ちゃんが出してくれたのは、鈴が入ったぷにぷにのボールだった。
「えい」
それを投げると、リーン、リーン、と音が鳴り、セージが反応して飛びつく。
てててて、と柊木ちゃんのところにボールを返しに来た。
「あ……ありがとう」
「今、ちょっと可愛いって思ったでしょ」
「うっ……ね、猫も猫じゃらし使えば遊べるから」
「でも興味なかったら、うざそうな顔をしてどっか行っちゃうんだよ?」
飼ったことはないけど、なんとなくのイメージだ。ツンデレっていうのはよく聞く。
対して犬はデレデレ。
そうか……柊木ちゃんは犬っぽいんだ。性格が。
俺といると、だいたい遊んで遊んで、構って構ってって感じのテンションだから。
「あたし、お掃除やお洗濯するから、誠治君お願い」
「……」
「誠治君?」
「あ、俺のほう」
だから、ややこしいんだって。
ボールを渡された俺は、しばらくセージと遊ぶことにした。
ある程度しつけられているようで、お手、お座り、伏せはできるらしい。
俺たちのコンビで、どうにか柊木ちゃんに犬もいいなって思わせたい。
「春香さん、一緒に散歩行かない?」
首輪にリードをつけながら言うと、「ちょっと待っててね」と柊木ちゃんはこの前の雪子さんになって出てきた。
「これなら、あたしだってわからないでしょ?」
「そういや、元々変装用に買ったんだっけ」
行こ行こ、と俺と手を繋いで二人と一匹は家をあとにする。
短い足でちょこちょこ、と歩く姿は、ラブリーの化身そのものだった。
「ほら。世話はかかるかもしれないけど、可愛いでしょ?」
「かもね?」
俺が来るまでに結構苦労してたから、それがマイナスポイントになっているらしい。
「ワンワン!」
急に吠えるとセージがぐいぐいと俺を引っ張るように走り出した。
「おいおい、どこ行くんだ」
てててて、と走って自動販売機の前までやってきた。
「ワン!」
「へっ!? 犬!? な、何!?」
紗菜が自販機でジュースを買おうとしているところだった。
「あ、兄さん! 何してるのよ」
「見ての通り、犬の散歩」
「どこのどなたのワンコよ」
「あ……ええっと……ちょっと知り合いになった雪子さんの飼い犬なんだ」
ぐい、っと俺が親指で指さすと、ようやく追いついた柊木ちゃんがゼェハァと息を切らしていた。
「誰よ……」
「OLさんで、普段はメーカーで営業事務をされているそうだ」
適当に雪子さんの設定を語る。
ハッハッハ、と息遣いの荒いセージが、紗菜の足にむかって腰を振りはじめた。
「ちょ、ちょっと! 兄さんっ、何とかしてぇ~!?」
「人の妹に何発情してんだ、このワンコめ」
ぐいっと引っ張っても一歩たりとも動こうとしない。
性欲からくる力がハンパねえ。
後ろから抱っこして、ようやく紗菜から離すことができた。
「ガルルルルルル」
めちゃくちゃ睨まれた。
柊木ちゃんがさっきのことを注意した。
「誠治君? 腰振っちゃダメでしょー? 今日の朝から何回もそんなことして」
おおおおおおおい! 名前出すんじゃねえええええええ!
「兄さんのバカぁあああああああ! 何、朝から腰振るって!? 何回したのっ!?」
「紗菜、俺のことじゃなくてこの犬のことで――」
「うるさぁああああい! 年増好きの変態兄さん! もう、最低っ! 童貞卒業おめでとうございますっ!」
買ったばかりの缶ジュースが飛んできて俺の顔面にクリティカルヒット。
「いだ!? 何すんだ、人の話をちゃんと聞――」
「朝からそのOLさんといやらしいことしてたんでしょ! もう知らないっ!」
走って紗菜が行ってしまった。
……うわあ。家に帰りづれえええええええ……。
抱えていたセージを下ろして、フォローのメールを送ると、柊木ちゃんがずーんとヘコんでいた。
「と、年増…………そ、そんなに年上に見えるのかな、この変装……」
紗菜みたいな高一からすれば、二〇代前半も後半も年増に思えるかもしれない。
そのことを言えばさらにショックを受けそうだ。
「柊木春香の実年齢より上に見えるってことは、変装は大成功ってことだよ!」
「た、確かに……!」
物は言いようだなって思いました。
次は柊木ちゃんにリードを渡して、散歩をしてもらう。
「どう?」
「……けど、誠治君が言いたいことはなんとなくわかる、かな……?」
「可愛いでしょ? 尻尾を振って歩く姿」
「う、うん……」
犬派に改宗させられる余地が出てきた。
「まあ、どっちかといえば犬だけど、猫も好きだから飼うってなればどっちでもいいような気もするけど」
「そうなんだけどね……」
返事にキレがない柊木ちゃん。
「どうかした?」
うつむきがちで、もぞもぞ、と聞こえない音量で何かを言っていた。
「え、何?」
「あの……犬を飼うか猫を飼うかって……け、結婚するか同棲してからの話だと思うよ、誠治君っ!」
そう言い残して、今度は柊木ちゃんが走り去ってしまった。
「まだ、早すぎる話題だった、と……?」
「ワウ」
俺の足元でセージが短く吠えた。
柊木ちゃんちに戻ると、すでに主は帰っていた。
「……一緒に散歩させるのは、二人の仲良し感があって、とてもいいなって思ったよ? ワンコの可愛さもわかったし」
柊木ちゃんの考えはどうやらプラスになったらしい。
「け、けど、何を飼うのかを決めるのは、あたしたちにはまだ早いからね? 同棲とか、結婚してから考えることだから……。それを決めちゃうと……二年後、五年後、一〇年後の妄想が楽しすぎて、何も手につかなくなっちゃうから……」
恥ずかしそうにそんなことを言われれば、俺もお手上げだ。
一番可愛いのは、柊木ちゃんなんだなぁーと改めて思った。