柊木家の事情1
柊木ちゃんが、実家に帰るようで二日ほど家を空けるらしい。
家の物は自由に使ってと言われたけど、柊木ちゃんの帰らない家にいるってのも変な感じがして、俺は大人しく柊木ちゃんがあの小綺麗なアパートに戻るのを待った。
メールや電話で連絡をいつものように取っていたけど、その日、かかってきた電話は柊木ちゃんじゃなかった。
『もしもし、空き巣君?』
「え、夏海ちゃん? どうして春香さんの携帯で……」
『君の番号がわからなかったから、春ちゃんの携帯借りてる。そんなことよりも、大変だよ!』
「どうかした?」
『春ちゃんが――結婚しちゃうかもしれない!』
「はぁああああああああああああああああああ!?」
なんじゃそれええええええ!?
「あ。俺と結婚ってこと?」
『ううん、全然違う』
ですよね。
「待って。どういうこと?」
『春ちゃん、実家が嫌だから出ていっているって話、知ってる?』
「え……何それ」
『知らないんなら、ウチから言うことでもないから伏せるけど……ともかく、お見合いの話が決まってて――』
柊木ちゃんは、自分の家のことや親のことをあまり話したがらなかった。
無理に聞き出さずとも、時期がくれば話してくれるだろうと俺は思っていたんだけど、思わぬ形でそれを知ることになりそうだった。
『でも、空き巣君とのことがあるから強く断ったんだけど、強制的に受けることになっちゃってて』
「春香さんは? 今どうしてるの? 近くにいる?」
『ううん。今は、軟禁状態で……。空き巣君にこのこと知らせないとって思って』
軟禁状態って、どういうことだよ。
まるで囚われの姫様だ。
電話口の夏海ちゃんも珍しく焦っているようで、『どうしよう』と何度も口走っていた。
「落ち着いて。そのお見合いっていつあるの?」
『明日!』
強制的なお見合いで結婚までさせられるもんだろうか。
待ってれば、またすぐ柊木ちゃんは俺のところに戻って――いや、拒否したら軟禁状態って普通のご家庭がやることじゃない。
「明日行くよ、そこまで。場所はわかる?」
『う、うん。話好きの使用人に訊いたからわかるよ』
柊木家って、もしかして結構なお金持ちのご家庭でいらっしゃる?
夏海ちゃんだって、お嬢様学校に通っているし。
今さらりと使用人って言ったし。
そういや、柊木ちゃんの母校を俺は知らない。夏海ちゃんと同じだったりする……?
『場所は、陽都ホテルの三二階で、時間はお昼の一二時から! ごめん、ここまでしかわからなかった』
「十分。ありがとう」
通話を終えて、携帯をしまう。
陽都ホテルっていえば、隣の県にある高級ホテルだ。
ここからなら、電車で二時間ほどかかる。
行くって言ったけど、俺が行って何ができるんだろう。
柊木ちゃんをさらう? それこそ物語のヒーローか何かみたいに?
お見合いって、親同士も来てて、なんだかんだおしゃべりするっていうアレだろう。
俺が悪役になって柊木ちゃんをさらって、そのあと――将来はどうする。
今ここにいる俺が、柊木ちゃんの両親に挨拶に行くんだぞ。
印象がいいわけない。今も高校生と先生っていうマイナス要素を引っ提げてるのに。
かといって、静観もできない。
このご時世にお見合いさせようっていう両親で、拒否すれば軟禁するっていう強引さ。
ほうっておけば、柊木ちゃんがどうなるかわからない。
眠れない夜を過ごし、俺はありったけの金を財布に詰め込んで家を出た。
バイトしてて本当によかった。
『空き巣君、お見合いをやめさせてどうするの?』
夏海ちゃんの携帯からメールが届いた。
柊木ちゃんの携帯に入っている俺のアドレスや電話番号をコピーしたらしい。
ここでやめさせたとして、結局同じことを繰り返すんじゃないだろうか。
『だからって、指くわえて見てるわけにいかないだろ』
具体的な対応策はまったく思い浮かばないけど。
夏海ちゃんにありったけの反論をする。俺と柊木ちゃんの将来は、悪いほうに転がるんだろうけど、何もしないでいれば、もっと悪いほうに転がるかもしれない。
『いいなぁ、春ちゃん。超愛されてて』
ニシシ、と夏海ちゃんの笑顔が思い浮かんだ。
『空き巣君、頑張れ! ウチは応援してるから!』
電車に乗って最寄り駅に着くと、会場となるホテルは駅に近く、すぐに見つかった。
見上げるほど高いビルに入っていき、ホテル内の案内に目を通す。
最上階の三二階には、高級レストランがあった。さぞ眺めもいいんだろう。
よかった。学校の制服で来なくて。
ホテルとあらかじめわかっていたので、今日は、親父からこっそり借りたスーツを着ている。
ぱっと見だけなら、場違い感はない。
顔を見れば、若すぎるってすぐにわかるんだろうけど。
はじまる前に柊木ちゃんを捕まえて、事情を訊こう。
ロビーをうろうろしながら愛しの女神を探すけど、時間が迫っているのに、いっこうに姿が見えない。
必ずここを通るはずだけど、一二時を過ぎてしまった。
まさかとは思うけど、VIP用の特別な通路やエレベーターがあったりして……。
たとえば、地下駐車場から最上階近くまで一気にいけるエレベーター、とか……。
あり得る。
大慌てでエレベーターに乗り込み、最上階の三二階へ。
エレベーターを降りてすぐのレストランに入り、店員に席まで案内された。
あちこち見回していると、柊木ちゃんを見つけた。
今日は、大人っぽいイブニングドレスを着ていて、肩が出ていて、胸元が少し開いている。セクシーで似合うのは似合っているけど、柊木ちゃんの好みではないような気がする。
今は、ぎこちない笑顔を浮かべていた。
隣には、柊木ちゃんパパとママらしき人。むかいには、今日のお見合い相手とその両親がいた。
相手の男は、三〇代前半くらいで、お坊ちゃんがそのまま年取ったって感じの人だった。
事情を詳しく訊くために、まずは俺がここにいるってことを柊木ちゃんにどうにかして伝えないと。
けど、携帯は持ってないだろうし……どうすれば……。
柊木ちゃんのテーブルに店員が近づいていくのが見えて、閃いた。
す、と手を挙げる。
「赤、ボトルでください」
「かしこまりました」
銘柄は、安いのもあれなので、少し高めのものを選んだ。
注文し慣れているように見えたおかげか、スーツのおかげか、それともアラサーの雰囲気が滲んでいるからか、俺の年を気にすることなくウェイターは下がり、注文通り、ワインをボトルで持ってきた。
案外、堂々としているとバレないもんらしい。
このワインは俺が飲むわけじゃない。
一旦トイレに入り、店のウェイターっぽく見えるように服装を整える。
髪型もそれっぽく変える。
ボトルの底を手に持って、澄まし顔で柊木ちゃんのテーブルまで近づいた。
コース料理だろうと踏んでいたけど、ビンゴ。しかもちょうど肉料理で、赤ワインのタイミングだ。
しかつめらしい顔つきで、自分で買ったワインを「一九九六年物のボルドー産の赤です」とそれっぽいことを言っておく。
大学時代のバイト先で覚えた知識が、こんなところで役に立つとは夢にも思わなかった。
ウェイターらしい態度でグラスに注いでいき、柊木ちゃんのグラスに注ぐ。
両親同士は談笑しているけど、柊木ちゃんはうつむきがちで、全然俺のほうを見ないし気づいてくれない。
コン、とグラスのふちをボトルで叩いた。
よおーく聞こえるように謝った。
「失礼いたしました」
ちらっとこっちを見て、目が合う。
「あ――っ」
「ワインよりも、ビールのほうがお好みでしたか?」
「はい……」
うる、うる、と瞳に涙を溜めていく柊木ちゃん。
「お化粧室は、あちらでございますので、是非お使いください」
伝われーーーー。
俺の念が通じたのか、こくこく、と柊木ちゃんが何度もうなずいた。
よし。
俺はバレないうちに、小さく一礼してテーブルを離れた。
柊木ちゃんが席を立ち、トイレのほうへむかう。
俺もあとを急いで追いかけた。
「誠治君」
中には入らず、出入口で待っていた柊木ちゃんが、俺を見るなり抱きついてきた。
「ふみぃいい……誠治君……誠治君……っ」
変な泣き方で、俺の胸の中でグスグスと柊木ちゃんは鼻を鳴らす。
「ちょ――!? どうどう。ここ、人目があるから――」
ていっても、ホテルの中だ。どこにでも人目はある。
ぱっと目についた非常用階段を見つけ、人けのないそっちへ柊木ちゃんの手を引いていった。
「ここで、バイトしてるの……?」
ぎゅっと俺を抱きしめたまま、柊木ちゃんが尋ねた。
「そんなわけないでしょ。夏海ちゃんに今日のことを聞いて、それで。……大丈夫? 辛くない?」
「来てくれてありがとう。あと心配かけてごめんね、あたしは大丈夫だから。ちょっと強引に今回お見合いを受けさせられてただけだから。もちろん、相手の人には悪いけど、断るよ」
「そっか。よかった……」
でも、強引すぎやしないだろうか。
俺のことは置いておいて、柊木ちゃんなら、見合いなんてさせなくても嫁の貰い手はたくさんいるだろうに。
「助けに来てくれたの?」
「そういうわけじゃないけど……いや、そうだけど……」
「もお、どっち?」
俺のよく知る柊木ちゃんの笑顔だった。
今度は、俺が頭を撫でられた。
「あたしは大丈夫だよ。話は盛り上がらないし、このあと散歩とかあって超退屈でつまんないだろうけど、どうにか愛想笑いで耐えるよ」
「意外と大丈夫そうだね」
普段の調子に俺は胸を撫で下ろした。
「ううん。誠治君が来てくれたからだよ?」
にこっと笑って、柊木ちゃんは俺のほっぺにキスをした。