プールサイドの女神
六月も半ばを過ぎて、陸上や球技やらをやっていた体育は、水泳に切り替わった。
うちの学校の水泳の授業は、男女合同で行われるため、男子がそわそわするのも仕方のないことだった。
きゃっほーい! 女子の水着だー! みたいな、そんなことをいうヒャッハー野郎はうちのクラスにはおらず、女子がプールサイドに登場すると、チラ見を繰り返すムッツリ集団なのだった。
一人を除いては。
「おい、藤本、ガン見しすぎ。あとで女子に『藤本キモッ』って陰口叩かれんぞ?」
俺が肩に置いた手を藤本は振り払った。
「先のことはわかんねえ。ただ今言えるのは、オレは今、この瞬間を生きてる。ただそれだけだ」
「何カッコつけてんだ」
「うるせえ、海パンマン」
「おまえもだろ。気持ちはわかるけど、その血走った目はどうにかなんねーのかよ」
「プール入ったせいだから」
「まだ浸かってもねえだろ」
とはいえ、俺も女子の水着は気になる。
浮気心とか、そういうんじゃなくって、やっぱりどうしても目がいってしまう。
ううん……高校生、最高だな……。
中身が純粋な高校生じゃない俺は、もう、エロい目でしか見られない。
体育教師の指示に従って軽い体操をしていると、女子がざわついた。
「あ、先生ー!」「ええ~? また撮るのー?」「先生も入るのー?」
更衣室のほうから、柊木ちゃんが出てきてプールサイドにやってきたところだった。
「あたしは入らないよ? 先生、泳げないから、ちょっと見学にね」
てへへ、と笑う柊木ちゃんの手には、ハンディカメラが握られていた。
またかよっ!
見学する人のスタンスじゃないんですけど!
「大丈夫、大丈夫、女子はみんな可愛いからー! 最悪顔にモザイクかけるから安心して」
逆にいかがわしさ増すわ!
「頑張ってねぇー!」
柊木ちゃんが笑顔で男子たち――ていうか俺に手を振った。
男子のそわそわ度がピークに達した。
「柊木ちゃんがそう言うなら、まあ、本気ってやつ? ……見せてやりましょうかね」
「オレを撮りにきたな……?」
「年一でしか使えない、僕の本気をここで使う――」
それとなく、みんなが目を細めたり、腹筋に力を入れてみたり、キメ顔を作ったりと柊木ちゃんをバリバリに意識しはじめた。
いや、ごめんけど、柊木ちゃんのエールは俺あてっぽいぞ。
「先生、脚ほそーい!」「ほんと美脚!」「色も白いー!」
女子たちの賛辞が上がると、男子全員が柊木ちゃんに目がむいた。
「そ、そんなことないよー?」
柊木ちゃんは、笑顔で謙遜している。
プールサイドに出るからか、普段履いているストッキングは脱いでいて、生足だった。
膝丈よりも長いスカートはたくし上げて、横で余った裾を結んでいる。
いつもは見えない膝が見えて、少しだけ白い太ももがのぞいていた。
「なんだよ、あれ。清楚の化身?」
「湖の妖精だろ」
「いいえ、水を司る精霊です」
「後光が差して見えるのって、オレだけ?」
「水着よりもむしろエロスを感じる……」
校舎内で見かける服装が、プールサイドバージョンに変化していて、いつも以上に柊木ちゃんが魅力的に見える。
プールサイドの柊木ちゃんも可愛い。
いやー、どうもどうも。あの人、俺の彼女なんですよー。
ああでもない、こうでもない、とプールサイドに現れた柊木ちゃんの正体について議論がはじまる。
まあまあ、と俺はみんなを制止する。
「あのお方は、水辺の女神様だ」
「「「「ああぁ~……」」」」
満場一致で納得すると、ぱんぱん、と男子たちが柏手を打って柊木ちゃんに頭を下げる。
拝むな、拝むな!
けど、相変わらず男女問わず人気が高いな、柊木ちゃん。
準備体操が終わって、プールに入る。
球技は苦手だけど、水泳は割と得意なほうなので、前のサッカーのときよりはいいところが見せられそうだ。
俺だって大好きな人にいいところのひとつやふたつ、見せたい。
さっそく二五メートルをクロールや平泳ぎで泳ぐ。
「クロール早いーっ! ペンギンみたいー!」
と、柊木ちゃんがよくわからない例え方で褒めてくれる。
プールサイドで順番待ちをしていると、藤本が声をかけてきた。
「真田ぁ、真田ぁ……!」
「どうした、ふじも――と……」
ようく見ると藤本が前かがみだった。
「今日、オレはもしかしたら死ぬかもしれん」
「社会的にな?」
まあね……女子がプールサイドを小走りすると、人によってはちょっと揺れる……。
「種を残せ、と頭の中で声が聞こえて……!」
「それただの本能」
まあ、俺は? 柊木ちゃんとお風呂も入ったし? お泊りデートしたりもするし? 一緒の布団で寝ることもあるし? 別に、小娘の水着姿くらいで、ねえ……。
動くものに目がいってしまうのは、動物として仕方のないことで、プールサイドを走ればそりゃそっちを見ちゃうし、上下左右に揺れれば、どうしても注目をして――。
プールって、すごい……。
ふと視線を感じると、柊木ちゃんが無の表情でじいっと俺を見つめていた。
さっきまで、むこう側まで泳ぐと、「きゃー! 頑張って! もう少し! はやーいっ!」って、超テンションMAXで騒いでいたのに。
……感情が死んだ顔をしている。
いや、柊木ちゃん、違うんだ。
動物の習性として動くモノには目がいってしまって……。
俺が腰を引くと、藤本がわかるわかる、とうなずいた。
「おまえもか……」
「一緒にすんな」
じりじり、と幽霊みたいな足取りでこっちへと歩いてくる柊木ちゃん。
つるりんこ、と足を滑らした。
「ふにゃ!?」
可愛い悲鳴を上げて柊木ちゃんがプールに落ちた。
泳げないってさっき言ってたけど……このプールは足がつくから大丈夫だろう。
バシャバシャ……。
「はぷ、おぷ――」
バシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャ。
「あう、まう、はぷ――」
お、溺れてるぅううううううう――――!?
「こ、あぷ、これを、お願いっ――」
ビューン、と柊木ちゃんが必死に何かを投げる。俺は飛んできたそれをキャッチ。
ハンディカメラだった。
どんだけ大事なんだよ!
ラグビーよろしく斜め後ろの藤本にカメラをパス。体育教師の駒田よりも早く俺はプールに飛び込んだ。
全力で泳いで、暴れる柊木ちゃんを捕まえて、プールサイドに女神を水揚げ。
「先生! 先生、大丈夫!?」
しーん、と目をつむったままの柊木ちゃん。
っていうか、ブラウスからブラジャー透けすぎて……ちょっと、直視できないレベル……。
おっぱいの形も丸わかり……エロすぎ。
「人工呼吸を……早く……死んじゃう……」
あれ? 声が……。
チラ。
薄目が開いた?
「人工呼吸を、早く……」
ぼそっとまた聞こえた。
チラ。
薄目で俺の様子をうかがってるんですけど!
余裕で意識あるんですけど!
「人工呼吸を……。……キスして……」
要求がストレートになった!?
「柊木先生ぇぇぇぇぇぇええ!」
怒涛の勢いで駒田がプールサイドを走ってきた。
ダメだ、濡れ濡れで透け透けの柊木ちゃんを他のオスの前に晒すわけにはいかない!
エロすぎるから!
これ、ちょっとしたテロだから!
全員前かがみになってプールから出られなくなるから!
「大丈夫みたいなんで、保健室連れて行きますねええええええええええ!」
慌てた俺は、濡れ透けエロティーチャーをお姫様抱っこして、走ってプールをあとにする。
はあ、どうにか濡れ透け柊木ちゃんを大衆の面前に晒す事態は避けられた。
「ほんとに、気をつけてね、先生」
「……」
まだ目をつむっている……。
誰もいないのを確認して、ほっぺにキスをする。
ぱちっと目が開いた。
「心配させてごめんね? けど、誠治君、女子の水着をえっちな目で見てたでしょ?」
むう、と柊木ちゃんはむくれた。
「いや、それはその……先生が水着でいれば、たぶんずっと見てたよ」
「ほんとに? じゃ、今度は水着で見学しようかな……スクール水着しかないけど……」
それはそれで……アリ。
「授業で他の男子に見せるのは、もったいない気もするけど」
「あ、それ独占欲ってやつ?」
「否定はしない……」
嬉しそうに柊木ちゃんは、むふふ、と笑う。
「じゃあ、ちゃんとした水着を買うから……夏は海に行こうね?」
「うん」
昔は紗菜と何度か行ったことがあるけど、それ以外で海なんてたぶんはじめてだ。
早くも夏の予定がひとつできた。
「あと。一番に助けてくれてありがとう。カッコよかったよ」
体を起こして、ちゅ、と俺のほっぺにキスをした。
「何事もなくてよかったよ。……降ろしていい?」
「もうちょっとだけ、こうさせて?」
楽しそうに言って、俺のお姫様はぎゅっとさらにくっついた。
こうして俺は、海パン一丁のまま、柊木ちゃんを保健室へと運んだのだった。