風邪の日
『今日、学校休む』
俺は柊木ちゃんにそのメールを送って、ばた、とベッドに突っ伏した。
修学旅行の夜、柊木ちゃんとイチャついて夜更かししたせいか、それともまったく別の理由か、どうやら俺は風邪をひいたらしい。
「えぇぇぇぇ……兄さん、大丈夫なの……?」
「大丈夫でしょう、どうせただの風邪なんだから」
下から登校寸前の紗菜と母さんの会話が聞こえる。
「お母さんも仕事に行くんなら、兄さん一人になっちゃうじゃないっ。サナ、兄さんの看病する」
珍しく、紗菜がしおらしいことを言ってくれる。
風邪をひいていると、そのほんの少しの優しさが染みてくる……。
妹よ、兄に構わず学校へ行くがいい。
「どうせ、看病って言って部屋でゲームしてるだけでしょ?」
「そ、そ、そ、そんなことないわよ! どっちもするわよ!」
どっちもかよ。バカ紗菜、学校に行け……。
ツッコミにも力が入んねえ……。
何だかんだ二人の会話が遠くに聞こえはじめ、完全に俺は意識を失った。
どれだけ眠ったのかはわからないけど、おでこにひんやりとした冷たさがあり、俺は目を覚ました。
「熱っ。お熱計りましょーねー?」
薄目を開けると、柊木ちゃんがいた。
夢か……。今日学校だもんなぁ……。
ピピピ、と電子音がして、脇に手を突っ込まれた。
「むうーん……三八度七分……高い……」
ごそごそ、と物音がして、上のスウェットがすぽーん、と脱がされた。
「や、やっぱり誠治君、いい体……」
すすすすす、と指で体をなぞられる。
寒気やらなにやらでゾクっとした。ち、乳首をつんつんってするな……。
熱のせいか視界がぼやける。
「腕上げましょうねー」
ぐいっと腕を引っ張られて、脇の下にひんやりシートが貼られた。
冷たい。
「すげー気持ちいい……」
「あ、あれ、起きてる?」
「…………柊木ちゃん……仕事、して……」
「? 寝言でもあたしに仕事してって言ってる……。真面目なんだからぁ」
「…………喉……乾いた……」
「待ってて」
輪郭がぼやけた柊木ちゃんが、眼前に迫る。
ぷちゅ、と唇同士がぶつかって、開いた口からスポーツドリンクが流れてきた。
冷たくて美味しい……。
「も、もう一回くらい、いいよね?」
むちゅ、とキスされて、またスポーツドリンクを飲ませてもらった。
冷たくて美味しい……。
柊木ちゃん、俺の風邪がうつったりしないんだろうか……。
あ、夢だから大丈夫か……。
シャッとカーテンを引く音がしてスリスリ、と衣擦れの音がする。
もぞもぞ、と布団の中で何かが動いた。
「添い寝したげる」
薄ぼんやりした柊木ちゃんが俺の目の前に現れた。
「仕事……学校……午前中なのに……」
「こんなときにもあたしの心配を……!?」
がばり、と抱きつかれ、なでなで、と頭を撫でられた。
「よしよし、よしよし。こうしてたらすぐによくなりますからねー? うう、このまま休んであたしがずっと看病をしてあげたいよ……」
「兄さぁーん、お薬買ってきたぁああああ!」
一階から紗菜のでかい声がする。
「うえっ!? 紗菜ちゃん!? さっき家出たばっかりなのに! さては、登校せずにすぐUターンしてきたな……?」
と、と、と、と紗菜の足音が近づいてきた。
「ま、まま、まずい。どうしよう――あ」
どたばた、と物音がして、柊木ちゃんは消えた。
やっぱ夢だったんだ……。
「兄さん、具合どう?」
扉から、制服姿の紗菜が顔を出した。
「おまえ……学校は……」
「べ、別に今日はいいの……」
よかねえだろ、とは言えず、そうか、と流すくらいの力しか残ってなかった。
「お薬、飲んで。これで熱下がると思うから」
「うん……あとでいい……今、飲めないから……」
「……風邪ひいてるんなら、仕方ないわね……サ、サナが飲ませてあげる」
どん、とクローゼットのほうから音がした。
「ん? 今おっきな音が……?」
ずもっと紗菜が強引に錠剤を俺の口に突っ込んだ。
「目、ちゃんと閉じてて? 開けちゃダメよ? 絶対なんだから」
「わかった……」
抵抗する元気もない俺は、されるがままで、紗菜の言うことを大人しく聞いた。
どんどん、とクローゼットが大きな音を立てても紗菜は一向に気にしてなかった。
あの柊木ちゃんが夢じゃないとしたら……あのクローゼットにいたりして。
さすがにないか。今は平日の午前中。学校で仕事中のはずだ。
柊木先生、授業頑張ってください……。
ちゆ、と唇に柔らかい何かの感触があると、口の中に水が入ってくる。
「ちゃんとゴックンして」
「…………うん」
「…………何でも言うことを聞いてくれる兄さん……可愛い……」
どん、とまた大きな音がした。
「さっきから物音がするけど……?」
「っ」
「たぶん…………座敷童……」
「いるの!?」
「ざ、座敷童ぃい――!?」
「あ。今声が……!」
「あんま刺激、するな…………」
「う、うん……サ、サナ、な、何も聞いてないし、見てないからっ」
目にすれば幸運になれるって話だけど、違う妖怪と勘違いしているらしい。
「……サ、サナ、が、学校行かなくちゃ。兄さん、お薬ちゃんと飲んでね? いい?」
そわそわ、と周囲を見回した紗菜は、鞄を手に部屋を出ていった。
ふぃ~、と大きな吐息が聞こえる。
「風邪ひいてるからって、口移しでお水飲ませるのは、先生どうかと思うけどなー? 恋人でもないのに。しかも兄妹なのに」
クローゼットから柊木ちゃんが出てきて、紗菜の出ていった方角を見つめた。
あれ。学校にいるはずの柊木ちゃんがどうしてクローゼットから……?
俺の部屋のクローゼットって……学校に繋がってんのか……?
そんなわけない。ああ……夢か。
ピンポン、ピンポン、と呼び鈴がなってしばらくして、「……お邪魔します」と静かな声が聞こえる。
「今度は誰っ……」
また柊木ちゃんがクローゼットに入った。
すると、奏多が部屋にやってきた。
「……誠治君、具合大丈夫?」
「わざわざ、見舞いありがとうな……」
「……すぐ熱が下がるお薬、持ってきた」
「マジかよ……飲み薬なら、ここに……」
瀕死の虫みたいに、俺はよろよろと手を伸ばして、紗菜が買ってきてくれた薬を掴んだ。
「……安心して。私のお父さんも、これで熱下がったから」
俺に見せてくれたのは、細長い錠剤らしきものだった。
あ、怪しい……
押忍、と奏多が頭を下げる。
「……お願いします」
「え、え、え、何…………何をお願いして」
「せいっ」
ビシ、と首に衝撃が走り、俺はそこで意識を失った。
それから爆睡していたらしく、次に目覚めたのは翌朝。
熱は完全に下がっていて、学校には行けそうだった。
「にしても、変な夢だったな……?」
クローゼットから柊木ちゃんが出てきたり、紗菜にキスされたり、奏多に押忍ってされたり……。
ま。治ったし、もういいか。忘れよう。