修学旅行5
二日目の夜。
同室の藤本たちは、初日ほどはしゃぐこともなく、疲れがあったのか消灯早々に寝てしまった。
俺は、枕投げがはじまるんじゃないかとひそかに期待していたのに。
みんな健やかに寝息を立てはじめた。
俺も寝ようかな、と思っていると枕元に置いた携帯が、ヴヴヴ、と震えた。
「……」
明かりでみんなを起こさないように、布団にもぐって携帯を見る。
『まだ起きてるー? 先生は、誠治君に会いたいです』
ぐう……。
柊木ちゃんからの超ド直球なお誘いだった。
日付があと少しで変わろうかという時間。
みんな寝てるし、抜け出してもバレないだろう。
『けど先生、今消灯中ですよ?』
『もお、意地悪~~っ!』
可愛い……。
消灯後なら問題ないって俺も言っちゃったし、女神が可愛すぎるので会いに行こう。
浴衣を整えて、鏡で一度自分の顔を確認して部屋を出る。
「あ、出てきたあ!」
「うわっ!?」
ぎゅむっと待ち構えていた柊木ちゃんに抱きしめられた。
「ちょ、ここ廊下!」
目いっぱいくっつこうとする柊木ちゃんを剥がしておく。
びっくりした……。
さては、俺が必ず出てくると思ってたな?
くそう、その通りだよ。
「先生、何してんの」
「柊木先生ぇ、ただいま巡回中なのです!」
ふにゃ、と柊木ちゃんが敬礼する。
呑んでる……。
浴衣姿で、ポニーテールじゃなくて髪をほどいている。
「消灯時間が過ぎてるのに、部屋を出て遊び歩いている悪い生徒がいないか、先生がチェックしてるのです」
「そうなのですか」
「悪い生徒、見いーつけた」
ふにふに、と俺のほっぺをいじってくる。
酔ってる……。
「それはだって、呼び出すから――」
「柊木先生の心を奪った、悪い生徒です」
にへら、とだらしない笑顔をした。
ああ、もうこれ完全酔っ払いモードだ。
ほら、胸元、おっぱい見えそうだから!
またブラジャーしてねえのかよ。
……浴衣ってそういうもん……?
「誠治君、じっと見すぎー。えっち♡」
「うるさいよ。しゃんとする。お仕事中でしょ?」
「はーい」
「そんなことしてるから、酔いが覚めたとき、後悔することになるんでしょ?」
「……はい、ごめんなさい……」
しゅぅぅぅぅぅううん、と柊木ちゃんの『楽しいゲージ』が目に見えて減っていった。
あ、こっちこそなんかごめん。
「あたしが若いからって、面倒な巡回押しつけてさー。もう」
愚痴りながら、柊木ちゃんはぷんすこ怒っていた。
はだけそうな浴衣を直してあげると、どこへともなく歩き出した。
消灯時間を過ぎて出歩くようなリア充に捕まれば、何されるかわかったもんじゃない。
こんな酔っぱらって無防備な柊木ちゃんを放っておけるわけもなく、俺はあとをついていく。
「心配だからついていくよ」
「悪い生徒は、逮捕っ」
と言って、俺の手を握った。
「俺も、無防備でエロくて可愛いくて悪い先生を見つけた」
「どうするの?」
「逮捕」
俺も柊木ちゃんの柔らかい手を握り返した。
「お互いを捕まえたんだね」
こら、ぐっとくるセリフをあっさり言うな。もっと好きになるぞ。
巡回中と言いながら、人けのないほうへ柊木ちゃんは歩いていく。
こっちのほうは、生徒が宿泊しない部屋ばかりだ。
渡り廊下を進み、まったく関係のない棟にむかう。
すぐ近くに、ちょっとした休憩室があり、大きなガラス張りのむこうには、綺麗に整った中庭が見えた。
それを見るために置いてあるソファに座って、しばらく無言で手を握り合っていた。
こてん、と柊木ちゃんが俺の肩に頭を乗せる。
酔いが抜けきってない柊木ちゃんの耳や頬の温かさが、浴衣越しに伝わった。
照明は消えていて、今は銀色の月明りがうっすらと入り込んできているだけだった。
うぅぅん……と自販機が小さく唸る。
「……実はね、ここのスペースずっといいなって思ってて、誠治君と絶対にこようって思ってたんだ」
庭の良し悪しなんて俺にはさっぱりわからん。
けど、今ならじっと見ていられた。
誰と見るかでこうも変わるものらしい。
それから、俺たちは静かに話をする。
今日あった出来事。ああ思った、こう思った――。
本当に他愛ない会話だった。
「あと、一年と一〇か月……」
「俺が卒業するまで?」
「うん。それはそれで、なんだか寂しくなるね。職員室でこっそり筆談することも、お弁当食べさせてあげることも、準備室でキスすることもないんだよ?」
前回の俺は、卒業式、遠目で柊木ちゃんを探すだけで連絡先も聞かなかったし、想いを伝えることもしなかった。
勢いと思いきりがあれば、人生変わるもんだなぁっと実感中。
「そりゃそうだけど、週末になれば会えるでしょ?」
「それとこれは別なんですぅ。柊木先生は誠治君がいないとお仕事が頑張れないのです……」
「お仕事を頑張る春香さん、好き」
「あたし、頑張るぅぅ」
こんなにチョロくて大丈夫かよ……いや、そういうところも可愛いんだけど。
前々から考えていたことを、伝えよう。割とマジメな話。今なら話せそう。
「春香さんは、卒業後、俺は進学も就職もしなくていいって言ったでしょ?」
「うん。あたしが養ってあげる」
「それなんだけど、俺、働くよ」
「え、どうして? いいんだよ、無理しなくっても」
無理とかじゃなくて、と俺は前置きして続ける。
「春香さんは、大変だけど教師の仕事を頑張ってるでしょ。俺も、春香さんのために何か頑張ろうと思うんだ」
「それが、仕事?」
「うん、そういうこと」
「すっごく大人なこと言うね……高二なのに……」
驚いた柊木ちゃんは何度も瞬きをしている。
中身アラサーの俺は、仕事がどんなもんなのかを理解しているつもりだ。
「大変なものを春香さんに押しつけたままってのは、よくないかなって。それに、親に紹介するとき、無職ですってのは、やばいでしょ?」
「うぅぅぅ、まだ高校生で未来の選択肢はいっぱいあるのにぃ……」
ウルウル、と柊木ちゃんの涙腺が決壊寸前だった。
「泣くなって」
「だって、嬉しくって……あたしとのこと、ちゃんと考えててくれたんだって思ったら……」
ふみいい、と変な泣き方をする柊木ちゃんは、ぽろぽろと涙をこぼした。
俺だって、柊木ちゃんとこうなっていなかったら、同じように灰色の社畜生活を送ることになる。
好きな人のためなら、つまんない仕事も、頑張れると思ったまでだ。
ぐすぐす、と鼻を鳴らして柊木ちゃんは涙をふいた。
「こうなったらいいなって、思ってることがあって……でもそうなったら誠治君は大変だから、言うのはやめていたんだけど。これは、ただのあたしのわがままだし……」
「何?」
「うん……どうせ働くなら、一緒に働かない? ってこと」
「ん? 一緒に?」
「そう。大学進学して卒業して、教師になるの。それで、誠治君は母校に帰ってきます」
「はあ……教師に…………はあ!?」
「誠治君、頭いいし……どうせ働くなら一緒がいいなって思っただけだから……。それで職場結婚」
「そうしたとして、それまで待てる……?」
高校を卒業すれば、今まで我慢していた最後のリミッターが解除されてすごいことになりそうなのに。
「ま、待てる。…………あ、でも、在学中に結婚ていうのも、アリかなー、なんて……」
さっそく揺らいだ!?
「ま、教師になるならないは別として、そういうのは、おいおい考えていこう? 二人で」
「うん。二人で、ね」
こつん、とおでこをぶつけて、キスをする。
目を開けると柊木ちゃんもこっちを見ていて、なんだか照れくさくなって、お互い笑った。
外が明るくなるまで、こうして俺たちはずうっとイチャついていた。
後日。
陶芸工房から例のマグカップが学校に届いた。
仕上がりは、作ったのが二度目とあってかなり上々。
家庭科室にあったリボンをちょっと拝借して、プレゼントっぽく飾りつけ。
昼休み、紙袋に入れて、世界史準備室までそれを持っていった。
「……先生。渡したいものがあるんだけど」
「うん。あたしも、真田君に渡したいものがあります」
予定調和な俺たちのプレゼント交換。
それでも彼女は喜んでくれた。
「ありがとう。大事にするね!」
紙袋を抱いて、最高の笑顔を見せてくれた。