真田家のカレー
学祭当日。
昨日は、授業はなくなり一日かけて、どのクラスも部活も今日にむけて仕上げをしていた。
登校して出欠を取ったあとは自由行動。
俺は真っ先に家庭科室へとむかった。
近づいていくほどに、カレーのいいにおいが漂ってきていた。
中を覗くと、柊木ちゃんと紗菜、奏多がピリついた雰囲気を出している。
「……どうかした?」
三人の前には、炊き出し用の大鍋がそれぞれある。
「……今、誰のカレーが一番売れるか、勝負しようって決めたところ」
淡々と奏多が説明をしてくれた。
「面白そうだな」
ただ売るよりは、こっちのほうが頑張るかいもありそうだ。
それで昨日紗菜は家に帰ってくるのが遅かったのか。
で、登校するのも、俺よりずいぶん早かった。
昨日、紗菜以外の三人は、買い付けた材料の下処理に追われていた。
皮むき工場かってくらい、ジャガイモの皮を剥いた。
途中からクラスのほうは大丈夫になったらしく、紗菜も合流して、調理を進めていたのだ。
「じゃあ、材料はほぼ一緒で、ルーや他をどうアレンジしたかって勝負か」
「真田君、見ててね。あたしのカレーが一番早く売れるから」
相変わらず、料理勝負となると大人げなく、ガチで勝ちに行こうとする柊木ちゃんだった。
鍋を覗いてみると、市販のルーのような色合いだけど少しスパイシーな香りがする。
カレーってひと口に言っても、種類は豊富だからなぁ。
奏多の鍋は、尖った個性がよくわかる、薄い黄色をしたカレーだった。
ぱっと見えるパプリカで、何かわかった。
「タイカレーか」
「……正解。昨日、予算の範囲で材料買い足した」
なるほど。
文字通り、一味違うってわけか。
「……」
「……な、何よ」
鍋をかき混ぜながら紗菜が見返してくる。
「まあ、売れなくても、へこむなよな? それが現実だけど……うん。ドンマイ!」
「へこむのを想定して励ますのやめてっ。バカっ」
だって……。
いつぞやもそうだったけど、紗菜のは調理実習で作るような、市販のルーをぶち込んだだけの量産型無個性カレー。
腹減ってたらそりゃ美味いだろうけど……。
二人に比べると、見劣りは間違いなし。
それと、俺が見てない間に、紗菜がカレーに何か入れたかもしれん。
その時点で、危険度はマックス……。
「サナがお化け屋敷でいない間は、兄さんがこのカレーのお世話をするのよ」
「は? なんで俺が」
「だってこれ、真田家の味なんだもの」
「おまえが作ったもんを真田家の代表にすんな。やめてくれ」
「こうしてれば大丈夫って……昨日アドバイザーが」
「母さんをアドバイザーって呼ぶのはヤメロ」
「甘口と中辛を七対三にしてるから、間違いないわ! 甘口いっぱいだから、お砂糖いっぱい入っていると思うし」
……甘口ってそういう甘いじゃないからね?
ルーの中に砂糖が入ってるわけじゃないからね?
そもそも……カレーに砂糖いっぱい入ってたら美味しい、っていう思考回路がヤバイ。
まあ市販のルーは優秀だからな。
二人より、成功はしないし失敗もしない。
思考停止マンにはうってつけってわけだ。
家庭科室の窓からはグラウンドが見え、そこでは体育祭でも使われた簡易テントが設営されていっている。校庭もそうなんだろう。
「具材やルーがちょっと変わっているけど、値段はどうする? 一律設定か、それぞれ決めるか」
ううん、と三人が考える。
「先生は、商売しているわけじゃないから、多少赤字になってもいいかなって思うんだけど」
材料費は、部費から出てるもんな。
「……赤字は、悔しいから、利益出るようにしたい」
「サナもカナちゃんに同意するわ」
ご飯も入れて、一杯四〇〇円で食べれるように設定していたはずだ。
それで多少黒字になる。
「先生は、売れ残ったら悲しいし、四〇〇円で」
「堅実だね、先生は」
「えへへ。でしょ」
それから悩んだ末に、奏多が決めた。
「……私は、五〇〇円。パプリカや、ココナッツミルクが……」
お高かったわけですね。
けど、タイカレーがこの値段なら安いと思うぞ。
奏多のことだから、普通に美味いんだろうし。
「ふふ。みんなチキったわね?」
どどん、と胸を張る貧乳少女。
チキったんじゃねえよ、現実を見てるんだよ。
「サナは、六〇〇円! 真田家のカレーは、それくらい美味しいもんっ」
「どこから来たその自信」
「適正価格よ、適正価格。サナが大事に作ったんだから」
「下処理と火を通すところまでやったのは俺なんですけどねぇぇぇぇ?」
紗菜がやったことと言えば、ルーを入れるだけ。(他におかしなアレンジしてなかったら)
……カレー作りの一番いいところ取りやがって。
「真田家の恥をさらすのはもうやめて……」
売れ残って、みんなが同情して買ってくれる様が思い浮かぶ。
おおよそ二〇〇食を三人だから、一人だいたい六五食ちょっと。
順調に行けば、二、三時間でなくなるだろう。
「一〇時半から準備して、一一時スタート。なくなり次第、明日の分を作るってことにしようか」
俺が提案するとみんな異論はなかった。
カレー用の紙皿とスプーンを用意して、炊きあがったご飯を確認。
お釣り用の金もよし、と。
学際のプログラム表には、出される店とその場所が書いてあった。
わたあめに、フランクフルト、イカ焼きなどなど。お祭りの定番が並んでいる。
女子はわからんが、男子は安くて量が多いものがいいに決まっている。
しかも、最強の広告塔である柊木ちゃんがいる。
しかも手作り。
「これは……荒れるな……」
ベテラン漁師が海を見つめるように、俺は遠い目をしながらグラウンドを見た。
「サナ、一時からお化け当番だから、そのあとは、兄さんに託すわ……!」
「とんでもねえバトン受け取っちまうわけだ」
「真田家の意地を見せるわよ!」
「俺とおまえをチーム単位でくくるのはやめてくれ」
そうこうしているうちに、時計は一〇時を回った。
店を準備するため、俺たちはカレー屋一式の道具を運ぶ。
保温用にある三つのガスコンロの上に大鍋をどしんと乗せた。
「うわ……めっちゃいいにおい……!」
「どこの部活?」
「家庭科部……柊木先生のカレーが、食える……?」
まばらにうろうろしていた生徒たちが、こっちに注目をしていた。
「もうちょっと待っててね♪ 一一時からはじめるからー!」
柊木ちゃんが言うと、周囲にいた全男子が一斉に狙いを定めたのがわかった。
柊木ちゃんを中心に、右が奏多、左が紗菜という陣容。
俺は裏方で、お会計とご飯入れる係。
三人は、カレー鍋の前で注文を受けてカレーを入れて渡す。
これで忙しくても回るはずだ。
紙に俺がそれぞれのPRを書いて、長机の前に張り出した。
『柊木先生の手作りカレー 四〇〇円』
『今日はちょっと刺激的に! タイカレー 五〇〇円』
『1E真田紗菜、頑張って作ったカレー 六〇〇円』
よし、こんなもんか。
柊木ちゃんが一番早くなくなるだろうなぁ。
上から順に、美味しそう、美味しそう、地雷感ハンパねえ――のラインナップでお送りします。
「ちょっと兄さん!」
さっそく妹様から苦情が入った。
頑張って作ったカレーだもんな。調理実習かよって――。
「真田家のカレーってちゃんと書いて!」
「真田家のカレーにどれほどのパワーあると思ってんだ、おまえ」
ていうかそこかよ。
三人が、ガスコンロに火を入れ、カレーを温めはじめた。
においっていうのは、やっぱり強烈な宣伝になるらしく、足を止める生徒がたくさんいた。
「おーい、真田ー?」
藤本がやってきた。
「なんだよ、この忙しいときに」
「柊木ちゃんと紗菜ちゃんのカレー食えるの、ここ?」
「まあな」
「クラスの喫茶店、一応おまえ当番あるらしいから、二時に戻って来いってさ」
へいへい、と俺は返事をしておく。けど、藤本が立ち去らない。
「……真田、おまえ、どうせ一人だろ……? 終わったら回ろうぜ」
キラリ、と白い歯をのぞかせ、親指を立てる藤本。
前回の高二の学祭、こいつと二個一だったもんなぁ……。
手を繋いで歩くカップルを見て、ため息をつくだけの学祭……。
悲しき学祭。
「すまんな。ボッチマン。あいにく、先約がある」
柊木ちゃんとは歩けないけど、俺には秘密兵器がある。
「くッ……真田のくせに」
「じゃあな。一人でシコシコとクラスの当番に励むんだな。それで、ボッチっていうのを勘づかれないために、みんなの当番を代わってあげる『便利で無害ないい人』ポジションに収まっているがいい」
「くそォ……くそォ……! オレがやろうとしてることを先回りして言うんじゃねぇぇぇぇぇええ!」
涙をちょちょ切らしながら藤本が走り去っていった。
そんな理由で藤本がそうするかと思うと、俺はもう……もう……笑いを堪えられない……。
ごそごそ、と荷物の中から、柊木ちゃんがキャップとエプロンを取りだした。
「じゃじゃーん。先生、この日のために用意してましたっ。みんな、おそろなの。いいでしょー?」
キャップだとなんとなくカレー屋っぽい雰囲気がある。
デニム生地のエプロンも、キャップと合わせるとお店の店員感があっていい。
けど、じゃじゃーんって……。
柊木ちゃん、その擬音、昭和感があるぞ……。
「……うん、いい感じ」
「サナも嫌いじゃないかも」
俺の分もあって、みんなが装備を整える。
なんか、チームみたいな一体感があっていい。
もうカレー鍋を置いた向こう側には、生徒たちが列を作っていた。
「一一時だ。はじめよう」