空に雪、地には花
ヒトはわたしたちを愚かだと嘲笑うかもしれない。
それでもわたしは、貴方の手を取ったことを後悔しないと決めた。
【空に雪、地には花】
人間は魔族を嫌い、魔族は人間を嫌う。
それは遥か昔、記録にも残らない先祖の代から続いてきた確執であり、教えられなくても誰もが知っている事実だ。
お互いに相容れぬ存在であるわたしたちは、時にいがみ合いつつも関わらない距離を保ってきた。
その関係に、例外があることをご存じだろうか。
人間の住む北の果ての地、つまり魔族領の南端。境界の地には、脈々と受け継がれてきた風習がある。
魔族と人間の十年に一度の交流。
最果ての村の長と、先方の代表が一晩だけ、対談する。
内容は、ただひたすらに境界維持に関することだけ。
この時以外の接触はしてはならないというのが、掟である。
わたしは長の娘として、将来的にこの役目を担うことになる。
なので、わたしは十四歳の時に初めて対談の場に父の供として連れていかれた。
場所は、この為だけにあると言う山中の木小屋である。
この小屋は薪小屋の様相を呈しているが、これは付近の住民の目を集めないためであるらしい。
対談の存在は、村人には知らされていない。知らない方が幸せということだろう。
その年の対談の日。
季節にしては珍しく、雪が降った。
父は渋い顔をしながらも、遥か昔からの盟約により山を登った。
対談は、境界上に聳える山の中腹で行われる。
ザクザクと雪を踏み分ける父は迷わずその場所に辿り着いた。
後ろに控えるわたしは、その場所を見て、思わず瞬いた。
こんな場所に魔族が来るのか。余りに粗末な小屋は、私の目にはみすぼらしく映った。
簡単に中を掃除し、暖炉に火を起こし待つこと、半刻。
しんしんと積もる雪が音を吸収するので、耳が痛くなりそうな沈黙の中、ばさりと羽音を聞いた気がして、わたしは顔を上げた。
「サリファ、戸を開けにいきなさい」
父に促されて木戸を開けに行く。
外気に晒されて、ふはぁと吐いた息が真っ白に染まった。
木戸の向こうには、壮年の男性が佇んでいた。
私から見ると、見上げるほどに大きい。頬を走る古い傷痕が、彼の容姿に凄みを与えていた。
不思議な色合いの瞳がわたしを捉えた。
すぐに視線は逸らされ、奥にいる父に目をやる。
「遅くなった。倅の準備に手間取ってな」
「構わない。……サリファ」
「はい、父さん」
「中へ入って貰いなさい」
わたしが一歩下がると、巨体がのっそりと小屋の中に入ってくる。その後ろにもう一人いた。
人間と同じ年齢が当てはまるのかは分からないが、わたしと同世代くらいの少年に見えた。冴えた月のように冷やかな空気を纏っている。
初めて見た魔族の親子は異形でも何でもなく、ただ清逸な雰囲気をもつヒトであった。
父によって最低限の知識を与えられてはいたものの、実際に目にすると想像していた以上に両種族の差は少ないのだと思った。
初めてこの場を訪れたわたしと少年のために、お互いに紹介し合う。
魔族の長はゼルといい、息子はセルウィと言うらしい。
最初こそ同じ場で話をしていたものの、まだ子供であるわたしたちは、邪魔になるからと追い出された。
所在なく、わたしは雪をさくさく踏んで歩いた。じっとしていると寒い。
後ろにセルウィがいるはずだけど、気配はない。
魔族という未知の種族を前に、なんと話しかけるべきか迷っていた。
空を仰いで息を吐く。
ゆるゆると立ち上る白い軌跡を目で辿った。
見上げた曇天から、はらはらと舞い落ちる雪花。
「……思ったより小さいな」
何かが聞こえた気がして振り返ると、セルウィがこちらを見ていた。
真っ直ぐな眼差しに射ぬかれる。赤色に近い複雑な色に沈んだ瞳に、わたしの姿が映っているのが分かった。
立ち止まったわたしに一歩、二歩。
目の前まで歩いてきたセルウィが見下ろす。
こうして並んで立つと、体格の違いが際立つ。
「サリファ」
「フィーでいいよ」
「フィー」
「セルって呼んでいい?」
「好きにどうぞ」
探り探り、言葉を交わす。
こうして実際に話してみると、戸惑っているのがわたしだけではないことに気がつく。
どう扱っていいか分からないのは、相手も同じだ。
困惑するように寄せられた眉がなんだか可笑しくて、わたしは笑ってしまった。すると、セルがムッとした表情になる。
「思ったより普通ね」
「……さっきの、聞こえてたのか」
「さあ?」
にっこり笑ってみせると、セルは怯んだようだった。
他愛のない話を交わすと、違和感は溶けるように居なくなった。
尋ねてみると、セルは今年で十七歳になるらしい。
魔族の里で、長たる父親の補佐をしながら暮らしているとか。
親近感を覚えた。
サリファも未来の長として、父親の後に着いていくことが多かった。
堰を切ると、水が溢れるように次から次へと話題は尽きなかった。
家のこと、村のこと、この世界のこと。
いまだかつて、こんなに会話が弾んだことはない。
村の誰ともこんな風に議論したり、お互いの世界を分かち合うことは出来なかった。
父親たちに呼ばれる頃には、わたしはこの少年を友人のように感じ始めていた。
語るセルの表情を見れば、それが独りよがりな思いではないと分かった。
「……また会えるかな」
父親の目を盗みこっそりと呟けば、セルはまじまじとわたしを見つめた。
次に会うのは十年先だ。
たった十四年しか生きていない身には、それが遥か彼方のことに思えた。
魔族はどうか知らないが、人間の寿命は五十年なので会えてもあと四回きりだ。
「会いに行く」
セルは笑った。初めて見た彼の笑顔は、後々思い出しては嬉しくなるほどに綺麗だった。
心を許して貰えたようで、ひどく嬉しかった。
こうして、わたしたちは共犯者になった。
月に一度か二度、セルはわたしに会いに来る。
薪拾いや狩りを手伝って貰いながら、わたしたちは色々な話をした。
最初は指先が触れることすらなかった。
少しずつ、距離を縮めて初めて彼に触れたとき。
「温かいね」と私が呟くと、「壊しそうで怖い」とセルは苦笑い。
私たちが並ぶと大人と子供くらいの身長差ができた。
成長期のセルは会うたびに大きくなり、人間としても小柄なわたしの緩やかな成長期では、戦いにならなかった。
わたしが十八歳になった年、初めて縁談が持ち上がった。
選ばれたのは、村の実直な青年。
顔合わせとして引き合わされた時、この人なら平凡な幸せをくれるだろうという予感がした。
けれどわたしは、その人を見るたびセルを思い出した。
遠く山を越え、わたしに会いに来る友人。
心はとっくに手遅れなのだ。わたしは彼に惹かれていた。
離れた瞬間から会いたいと願う。
種族が違うわたしたちには、結ばれる道などないと知っていて尚会いたくなる。
のらりくらりと婚約を回避するわたしを、村の人たちは訝った。
「まだ結婚には早いと思って。それだけ」
そんな言葉がひどく虚しい。
セルも適齢期なのだから、向こうで結婚しているかもしれない。
その事実を、認めたくなくて胸が痛い。
村では、澱のように降り積もっていく想いを抱えて眠れない夜を過ごした。
何時か、この想いを昇華して行くことが出来るのだろうか。
魔族と聞けば鬼か悪魔かという反応をする村の人たちには相談できず、わたしは夜風に当たりながら考えていた結果、見事に風邪を引いた。
ぼんやりと天井を見上げながら、熱でぐるぐるする思考を巡らせた。
そして、ようやく結論を出す。
もうセルと会うのはやめよう。
会うのが、十年に一度きりならきっと隠し通せる。
友人として、長として相応しい態度が取れる。
ゆっくりと時間をかけて自分に言い聞かせていると、部屋の窓がカツリと鳴った。
気のせいかと思い目を閉じると、また聞こえた。
窓を確認に行き、外を確認して息を飲んだ。
月のない夜の空、そこには居るはずのないセルがいた。目が合うと少しだけ笑う。
明らかに人間ではない色を容姿に持つ彼が、見つかればただでは済まない。
慌てて室内に招き入れれば、セルはここまで飛んできたのであろう羽を畳んだ。
「どうして……」
「待ち合わせに来なかったろ。何かあったのかと思って」
様子を見に来たという。
のばされた大きな手のひらが、わたしの額に触れた。温かかった。
「熱いな」
不意に、涙が込み上げた。
優しいこの人と、もう会ってはいけない。
会えば、惹かれるのは仕方がないではないか。
「フィー?」
「ごめん、来ないで」
後ずさるわたしを不思議そうにセルが見る。
彼にして見れば青天の霹靂、わたしが別れを切り出そうとしているなんて思いもよらないに違いない。
「セル、もう会いに来ないで。わたし、婚約したの」
だから会えないと告げると、セルの瞳が見る間に凍えた。
それをわたしは絶望的な気持ちで眺めた。
きっともう、同じようには笑えない。
「婚約?」
「長の役目を継ぐための子供が必要なの。貴方もそうでしょう?」
あえて淡々と告げる。声に心が滲みそうになるのを我慢した。
「次に会うのは対談の日にしよう」
お互いのためにと言うのは、半ば自分に言い聞かせた。
会いたいのも、会えないのが辛いのも、わたしの勝手な事情である。
心配して訪ねてきてくれた友人に、あんまりな仕打ちだと思う。
それでも、わたしが堪えられないのだ。
セルが結婚し、子供を授かり、その話を横で聞いているしか出来ないことが。
泣くまいと思うのに、儘ならない体は意に沿わぬ言葉を吐き出すごとに涙を溢した。
無言で泣いていると、がしっと肩を掴まれた。驚く間もなく引き寄せられる。
大きな体に抱き締められた。わたしが抵抗したくらいでは、ピクリとも揺らがない。
「なあ。本当に結婚するのか」
「……そう」
「じゃあ」
何で泣く、とセルが囁いた。
ぎゅうぎゅう抱き締められて、わたしはただ嗚咽を噛み殺す。
あいたいのも、あいしてるのも、そばにいたいのも貴方だけなのに、これ以上何を言えというの。
「なあ、フィー」
「……」
「全てを捨てる覚悟はあるか」
見上げると、昔から変わらない不思議な色をした瞳が滲んでいた。
目が眩んだ気がした。
お互いの世界を捨てて、一緒に暮らす。
そんなのは夢物語だ。
ああ、それでもわたしは。
抱き締めて、抱き締められると夢見てしまうのだ。
いつか、彼や子供たちと暮らす幸せな日々を想像した。
きっと、ヒトはわたしたちを愚かだと言うでしょう。
それでもわたしは、幸せだったと胸を張って言いたい。
最期の瞬間まで、貴方の傍で笑っていたいよ。
貴方もそうだと、きっと嬉しい。