72話 カバンを開けることすらできないなんて♡
長い髪を三つ編みにして肩に垂らし、その背に赤子を背負っている。
柔和な笑みを浮かべた彼女はステレオタイプの“お母さん”そのもの。
しかしその左手に持っているのはお玉ではなく変身ブローチの入ったビニール袋。そして右手には拳銃が握られていた。
そして足下には3人のカバンが乱雑に打ち捨てられている。
「さて、誰が怪人になる? 生き残りたい人は手を挙げてね。早いもの勝ちよ」
優しげな声。まるで給食のおかわり希望者を募るような軽い調子でそう呼びかける。
もちろん手を挙げる者はおらず、女は困ったように首を傾げた。
「いないの? さすがは高潔な魔法少女ちゃんたちね」
「当たり前でしょう。どうせ良いように使い捨てされるって分かりきってるもの。あなただってそうよ。都合が悪くなれば切り捨てられるわ」
「そんなの、この仕事に限ったことじゃないでしょ? 非正規雇用、老人、子持ち――弱者は簡単に切り捨てられる。だからわたしは強者になるの」
ルナの挑発に女は余裕の表情でそう返す。
「怪人って凄く気分がいいわ。体も心も軽い。一気に食物連鎖の頂点に立ったって感じ。誰を生かして誰を殺すかはわたしの気分次第。人の命を握ってるってゾクゾクする」
「理解できないわ」
「正義の味方やって面白いのは10代までよ。お子ちゃまには分からないかもしれないけど」
女はうっとりと銃身を撫で、そして銃口をカナコに向ける。
ルナが話をして気を逸らし、カナコが隙を突いて変身ブローチを奪還する――そんな計画を読んだかのように。
「銃って、一度撃ってみたかったのよねぇ」
「待て!」
女が引き金を引くよりも早く、セイラが手を挙げた。
「やめろ! アタシが怪人になる。だからほかの二人は助けてくれ」
「セイラ、そんなことは――」
「姉ちゃんは黙ってて。もうこうするしかないだろ!」
セイラは決死の面持ちでリクルーターの女にそう持ちかける。
しかし女はニッコリ笑ってセイラの言葉をはねつけた。
「はい、嘘」
「……え?」
「どうしてわたしがリクルーターを任されていたか分かる? 感情を読む能力があるからよ。あなた、いま必死になって打開策を探っているでしょう」
そして女はその銃口を今度はセイラへと向ける。
「あなたが一番希望を捨てていない。先に殺しておくべきかしら」
セイラは呆然としていた。
自分の目論見が簡単に見破られてしまったから――ではない。
セイラは女の言動に呆れていたのだ。
「おまえ、バカなのか?」
「……え?」
「自分の能力、喋っちゃダメじゃん」
このリクルーターの女もまた、闇バイトで集められて怪人になったクチなのだろうとセイラはぼんやり予想していたが、どうやら本当にそうらしい。
彼女は怪人としてはまるで素人だった。
能力を敵に知られていないということがどれほど有利に働くのか、まるで理解していない。
魔法少女たちは彼女がどんな能力を持った怪人なのか、常に考えながら慎重に動く必要があった。
しかしたった今、その必要がなくなったわけだ。
「撃った弾が必ず当たる能力とか、触ったら爆発する能力とか、そういうのじゃないわけね」
「そうですか。ならもう遠慮はいらないですね。銃の扱いにも慣れてないようですし」
変身ブローチを奪われた彼女たちは肉体的にはただの少女だ。
とはいえ彼女たちには怪人と命懸けで戦ってきた経験がある。
素人の銃にビビって足が竦むようなタマではない。
一方、リクルーターの女は。
怪人としての能力を持っている上に銃で武装までしている。
丸腰の少女たちなど相手にならないと高をくくっているが、その実射撃訓練もまともにしていない素人だ。
どちらが強いか。今にわかる。
魔法少女たちは一斉に駆け出した。
もちろん女の銃には実弾が装填されており、当たればタダではすまない。
それでも動いた。
覚悟はとっくにキマっていた。
女は魔法少女たちに向けて引き金を引く。
しかしハリウッド映画の銃撃シーンと実際の射撃はまったく違っていた。
反動による手ブレ。想像以上に大きな銃声。そして今まさに向かってくる敵への恐怖と実戦の焦り。
引き金を引くのは誰にでもできるが、ジグザグに動く的に弾を当てるのは想像以上に難しい。
引き金を引く。ハズレ。
引き金を引く。ハズレ。
引き金を引く。ハズレ。
魔法少女たちは一瞬のうちにその距離を詰める。
――とはいえ、的が近ければいくら下手くそでも外さない。
「くっ……この!」
引き金を引く。今度は外さなかった。
女に向けて手を伸ばすカナコの肩を撃ち抜いた。
「ふふ、まずはひとり」
その拳銃に装填できる弾は6発。
3発外し、1発はカナコに当てた。
残りの弾は2発。
ここからまだ巻き返せる。
残りの2発でルナとセイラを制圧すれば良いと女は判断したのだ。
だから銃口をカナコから外した。
それが間違いだった。
「――え」
女は目を見開いて固まる。
思ってもみなかったのだ。
肩を撃たれた10代の少女が、それでも怯まず向かってくるなんて。
「うああああああッ!」
肩から血を流しながら噛みつかんとする勢いで向かってくるカナコに、女は咄嗟に対応できなかった。
カナコの腕が拳銃を弾き飛ばす。
床を転がる拳銃をルナが素早くキャッチ。すかさず女に銃口を向け、形勢は逆転。
「変身ブローチを置いて、手を挙げたままゆっくり床に伏せなさい」
「あ……ああああ……」
女はみるみるうちに顔を蒼くさせる。
ルナの指示には従わず、ただふらふらと後ずさりする。
「聞こえなかった? わたしは外さないわよ」
「ご……ごめんなさい。ごめんなさい」
女は目いっぱいに涙を溜め、信じられないくらいに体を震わせている。
魔法で作った重火器で戦うルナは、実物の銃の扱いもお手の物。この距離で外すはずはない。
しかし女が怯えているのは、ルナの銃の腕前に対してではなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい。もう一度、チャンスを」
魔法少女たちは顔を見合わせ、首を傾げる。
この空間にはこの女と魔法少女3人しかいないはず。
一体誰になにを言っているのか、3人には分からなかったが。
「あーあ」
どこからか声がした。
妙な声だった。
不自然に高いのだ。
まるで幼い子供――いや。
まだ口も利けないような赤子が喋ったような。
「子供を守れないなんて。ママ失格だね」
「ごめんなさい、ごめんなさい。今度は必ず――」
うわごとのように謝罪を繰り返す女。
ルナは己の判断を後悔した。
怪人であるこの女をすぐに撃たず、また無理矢理制圧して変身ブローチを奪わなかったのは、彼女が赤ん坊を背負っていたからに他ならない。
いくら母親が怪人であろうと、赤ん坊に罪はない。怪我をさせるようなことがあってはならないと考えたからだ。
しかしそれが間違いだった。
"それ"は赤ん坊ではなかったのだ。
「ああ、ああ……そんな、やめて……!」
ルナが引き金を引くまでもなく女は突如として苦しみだした。
女の体から水分が失われ、まるでミイラのごとくしわくちゃになっていく。
――いいや、正確に言えば違う。
どんどん老けているのだ。
肌から水分が失われ、深いしわが刻まれ、髪の毛から色が抜けていく。
「子育て経験があるって言うから採用したのに。全然ダメじゃん」
おんぶ紐を己でほどき、倒れ伏した女から赤子が抜け出す。
淀みなく喋る赤子を前にして、ようやくルナは確信した。
その赤子は女の子供などではない。
もしかしたら、赤子ですらないのかもしれない。
女より上位の怪人である、と。
赤子はそのあどけない顔に似合わない下卑た笑みを浮かべ、魔法少女たちを見上げる。
「それで、誰が次のママになってくれるの?」
「ッ――」
もはや躊躇っている暇はなかった。
ルナは引き金を引く。その赤子へと。
いくら的が小さくても、ルナがこの距離で外すはずはない。
しかし弾は赤子に当たらなかった。
爆風によって吹き飛ばされたからである。
女の体が、まるで爆弾のように爆発したのだ。
「ボクの能力だよ。人の若さをエネルギーに変えられるんだ。あ、能力喋っちゃダメなんだっけ? まぁいいや。どうせ君たちにはなにもできないから」
その通りになりそうだ。
カナコは肩を撃たれ重傷。ルナは爆風に巻き込まれて吹っ飛び、床に伏したまま動けない。
まだ動けるのはセイラだけ。
変身ブローチは赤子の手の中。
そして赤子は、下卑た笑みをセイラに向ける。
「今度のママは若いね。嬉しいなぁ」
「……誰がママだよ、気色悪い」
しかしセイラは屈しなかった。
この絶望的な状況で、笑みすら浮かべていた。
セイラは銃を持っていない。
変身ブローチも持っていない。
ただ、その辺に打ち捨てられていたカバンを大事そうに抱えている。
セイラがリクルーターに会う前から持っていた、そして脱獄してからずっと探し回っていたカバン。
そう。セイラは最初から変身ブローチではなくこのカバンを探していたのだ。
それは、彼女にとって起死回生のアイテムだった。
「あの人が、危険な任務になんの策もなくアタシたちを送り出したと思うのか?」
そしてセイラはカバンのチャックを開ける。
ただのチャックではない。
それは魔法少女連盟戦略会議室への出入り口に使われている空に縫い付けられたチャックと同じ、異空間への扉。
他のふたりは知らない。セイラにだけ託された、秘密の奥の手。
「ピンチになったらできるだけ早く開けろって言ったじゃん♡」
カバンの中の異空間から飛び出してきた金髪のツインテールを見て、セイラは泣きそうになった。
ほんの1日会わなかっただけなのになんだか酷く懐かしいような、そんな気持ちを覚える。
「カバンを開けることすらできないなんて♡ 脳みそすかすか♡ ざぁーこ♡」
「面目ないっす」
甘い声で紡がれる煽り言葉が、今はセイラを強く安心させた。




