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白の少女、黒の夢  作者: 浜能来
その少女の名は
6/10

変異種

「いやちょっと、隊長!? 今、なんて?」

「大きい声を出すな。別にいつも通りの任務だろう」

「えっ? ……あぁ、そうですね。いつも通り、いつも通りの無茶です」


 隣の狭霧にきつく睨まれて、一瞬の戸惑いを残しつつも、カルロは話を合わせる。周囲の視線は行軍の苛立ちをも上乗せして、カルロへと注がれていた。

 そう、行軍である。第二〇三強化兵中隊の数十人を含めた、ベネット指揮下の全部隊。総勢三百余が、朝露に濡れる森の中を行く。湿った朝の空気は胸のすくような清涼感を孕み、人から逃げる小鳥の羽音、小動物の鳴らす草の音、そして先頭が張り出した枝葉を斬る音が森の閑さを演出していた。

 その中であっても、行軍する兵士たちの表情に穏やかさはない。度重なる行軍で踏み分けられ、道のようなものこそあっても、やはり車両などが入れるものではない。数列に分かれた二列縦隊のそれぞれは食料なり弾薬なり、何かしらの物資を分担して背負っていた。列の真ん中あたりを歩いていたカルロに向けられたのは、それゆえの不機嫌さである。

 狭霧の目配せによって自分に向けられたそれらに気づいた彼は、首を縮こまらせて狭霧の小芝居にのる。すぐ後ろにいたジャックにノリスがいつものようにカルロの臆病をはやし立てると、いつものことかと視線は去っていった。

 何人かが鼻で嗤っていたのに気付いたカルロは、感謝しろとばかりに肩に手を置いてくるジャックとノリスに、苦々しい笑みを返す。そして、彼らの注意が離れるとみるや、装備の擦れる音に紛れるように声を潜めて、狭霧に問いかけた。


「本当にやるんですか? そもそも、僕、袋なんて持ってませんよ?」

「心配するな、持ってきた。とにかく、やるしかない」


 抱えた狙撃銃の銃身で背嚢を軽くたたいて見せる狭霧に、しまったとばかりに言葉を詰まらせるカルロ。吸い込んだため息を大きく吐いて、彼は投げ捨てるように言った。


狭霧さん(・・・・)が何かしたがるのも、久しぶりですからね。わかりました。おとなしく貧乏くじを引きます」

「あぁ、すまないな」

「いいですよ。恩人ですから」


 あーぁと声をあげて、また睨まれて、首をすくめる。狭霧にとって、それはあまりにも見慣れた光景だった。


 ◇◆◇


 ぷつりと。

 硬い膜を突き抜ける手応え。恐ろしいくらいに突き進む切っ先は、やがて石のような硬質と出会い、砕く。

 突き込んだナイフを引き抜けば、狭霧の相対する黒魔は地に倒れた。


「カルロ、そっちはどうだ」

『た、隊長じゃないんです! そう簡単にいきません!』


 余裕のない神経質な声が届いてくるのは、カルロにのみ開いた秘匿回線。予想通りの答えに狭霧はインカムに当てた手を離す。


 ――刹那。


 狭霧の頭部を刈り取ろうとする横からの一撃。狭霧はバックステップ一つで唸る黒腕を避ける。

 狭霧の両手のナイフが閃いた。獲物を捕らえる狼の顎のよう。上下からの二刀が突き出された腕を切り落とす。

 そして二刀の間に切り取られた黒魔のハムを、狭霧は腕にかけた袋に受け止めた。


 これこそ、狭霧がカルロに言い渡した任務。つまりは、スズの食糧の確保である。


 腹に開いた口から悲鳴を発する黒魔の、その音の発生源に狭霧は滑り込む。襲い掛かる爪、せり上がる膝蹴り。その全てをいなして、狭霧は急所を一突きにした。

 積み重なる死体は、いくつめになるのだろうか。

 肉を切り出しながらでも、狭霧の作業効率というのはさほど変わらなかった。彼が十数年の過去に生き抜いた過酷とは、装備が違うのだ。黒魔を素材にした超硬質ナイフや拳銃用貫通弾など、存在してはいなかった。

 そして、どんな仕組みかは知らないが、強化兵となった今では身体能力の桁が違う。


「むんっ……!」


 その証拠とばかりに、狭霧はナイフを刺したまま百キロはくだらない黒魔の死体を振り回す。投げ飛ばされた黒魔は三つ腕を広げて襲い掛かろうとしていた黒魔の腹部に衝突。血飛沫を散らしつつ、死体はそこに生えた牙を折り砕く。

 倒れる黒魔、逃さないナイフ。投擲されたナイフが胸を刺し、黒魔の腕から力が抜ける。


 可能ならば、狭霧もカルロも、こうした死体から肉を剥ぎたかった。しかし、そうは問屋が、いや、治安維持軍が卸さない。彼らは機密保持だ、国家の利益だと称して黒魔の死体を確保する。治安維持軍のエリート部隊、黒魔隊は塹壕の向こうの安全地帯でのんきに戦争が終わるのを待ってから、黒魔の死体を資源として回収していくのだ。故に、強化兵の間で付いた呼び名はハイエナ。

 ハイエナだからこそ、彼らは自分の取り分が持っていかれることをよく思わなかった。彼らの存在によって戦闘後に死体を確保することはできず、戦闘中はもちろん黒魔がそれを許さない。これが、戦いながら肉を切り出す理由。

 切り出した肉は、味方の死体と偽って持ち出す算段で、狭霧の用意した袋とは、つまりは雑に取手を縫い付けた死体袋だった。


 狭霧の頬を、爪が掠めた。線に沿って熱が走る。鼓膜をつぶすような風圧が狭霧の耳を襲う。

 飛び退る狭霧を、その黒魔は他の個体と変わらない。その構えを置いて変わらない。


「ちっ――!」


 舌打ちとともに狭霧が腕にかけた死体袋を投げ捨てる。血まみれの袋は、この先の不穏を示すようにべちゃりと音を立てた。


 変異種。思考のない黒魔を相手にする中で、唯一の不確定要素。数千に一つの不運。


 人を食らって増殖する黒魔は、時折人間の性質を有する。それは黒魔の増殖の失敗とされ、たいていは生まれたその時に死んでしまう。たとえば中途半端に人型・・を得てしまった黒魔の死体を、狭霧は十数年前に見たことがある。

 生き残る変異種とは、技能を獲得したもの。あるいは知性とも呼べるのだろうか。

 狭霧の目前の黒魔は両手を前に構え、腰を落とし。あの濁った瞳でじっと狭霧を観察してくる。

 仕掛ければ、やられる。だが、仕掛けねば。

 唇を舌先で湿らせ、狭霧は吶喊した。

 ――周囲の黒魔に襲われる前にこいつと決着をつけねば。

 その危機感が狭霧の背を押した。

 前に出していた黒魔の拳、それが急に大きくなったように狭霧には見えた。背筋をなぞる恐怖。咄嗟の動きで狭霧は頭を横にずらす。

 まだ遠い。しかしすでに拳は引かれてしまった。

 二撃。弾くにも、触れればこちらが弾かれそうで。狭霧は前に進もうとする身体を強引に横に飛ばす。待ち構えていたフックを潜り抜け、その先に待ち構えていた黒魔を刺し殺す。


「――しっ!」


 狭霧の靴底が摩擦に焦げる。振り返り様、横殴りにたたきつけるのは殺したばかりの黒魔だ。変異種は同胞を躊躇なく殴り飛ばす。

 ――そこに、狭霧の姿はなかった。

 銃声。銃声。銃声。三度にわたり鳴り響く。それは、狭霧を探して開かれた三つの掌、その瞳を潰した。

 銀の拳銃を日光に反射させ、狭霧が躍り出る。殴り飛ばされた死体の影になるよう、彼は動いていたのだった。

 瞬く間にナイフが黒魔の胸に正方形を描き、拳銃をしまい空いた手が、斬り込みの入った胸部を引きちぎる。繊維のちぎれる音、とめどなく吹き出す鮮血。その奥にある正八面体の黒石をナイフで砕けば、変異種の拳は狭霧に届く直前で止まった。


「ふぅ……」


 一息をつく。

 倒れる変異種の先。黒魔、黒魔と立ち並ぶその間に、光りが見えていた。どうやら、終わりも近いらしいと、狭霧は理解する。そして、彼は思い出したように振り返った。


「あぁ、くそっ……」


 襲い掛かる黒魔を蹴り飛ばしながら、彼は舌打ちする。その視線の先では、狭霧がここまで集めてきた肉をむさぼる黒魔の姿があった。一匹ではなく、そう大きくもない袋を三、四体で取り囲んでいるものだから、もう、ほとんど残ってはいない。

 狭霧はインカムへ手を伸ばす。必然的に顔に近づく抉りだしたばかりの肉に、不快感を露骨に見せながら。


「カルロ、どのくらい集まった」

『どのくらいって! えぇっと、数えてませんよ! そっちはどうなんですか!』

「ゼロだ」

『ゼロ!?』

「あぁいや、むね肉ならあるな。――手羽先も追加だ」

『か、からかってるんですか!?』


 からかいつつも切り落とした黒魔の手を袋に群がる黒魔に向かって蹴りつける。食い意地の張った黒魔も、その食事を邪魔されてしまえば狭霧に意識を向けた。だがしかし、もう空になってしまった袋はそれで押さえを失って、風に吹かれて黒魔の群れの中に消えていく。


「カルロ」

『何です!?』

「すまない。お前だけが頼りだ」


 それだけ言って、狭霧は通信を終了する。兎にも角にも、目の前の黒魔を殲滅するために。

 カルロの魂の叫びは、戦場の空に虚しく消えた。

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