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【企画】覆面小説家になろう〜雨〜 作者:覆面作者
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No.14 かみさま。


 大事だと前々から聞かされていた約束を破ってみた。
 初めての試みに胸が高鳴るかと思いきや、そんなことでは揺らぐことのない自分を思い知っただけだった。

 人気のない場所を求め、近所の路地裏に入り込む。以前から噂になっていた空き家に侵入し、放置された庭に座る。制服から伸びるむき出しの足を撫ぜる草の感触。人の手を離れるということは自由になることなのだと思った。
 青々とした雑草が風に揺れると、葉と葉が擦れあって叫んでいるように聞こえる。ロックシンガーみたいに、雄叫びだか奇声だか分からない声を出してシャウトする。不平不満を吠え、自由を歌う。ざわざわ、ざわざわ。草ばかりが自由で、なぜかとても悔しくなってしまった。波打つ草の上に身体をのさばらせる。どうだ、これでもう叫べまい。あたしはあんたたちの自由をこんなにも簡単にうばってしまえるのだ。

 視界には空。耳には草の遠吠え。あたしは無言で、呼吸を繰り返す。
 背中が地面に密着しているとこんなにも安心できる。なぜもっと早く気がつかなかったのだろう。立って歩くということは無防備なのだ。見えない部分が多すぎて不安になってしまう。けれどこうして身体を横たえれば、見えないものなど何もない。寝そべりながら生きていくことはできないだろうか。そんなことを考えながら目を閉じた。
 失敗したと思ったのは眠りに落ちる寸前。
 たとえ横になったとしても、目を閉じて耳をふさいでしまえば何の意味もないじゃないか。


 灰色に濡れた家の前。赤い点滅。鈍いひかり。何度も振りかざして、振り下ろす。生温いものが跳ね返って顔をくすぐる。いくらこすってもその感覚だけは消えずに残って苛立ちがつのる。それでも手は止めない。何度も何度も、それ目がけて振り下ろす。 


 顔がむずがゆくて、目が覚めた。
 空はオレンジのグラデーション。遠くは紫がかっている。ぼやけた視界の端でとらえた星はふるふるとふるえていた。一番星を見つけたと思ったのに、いまやはっきりした視界にはいくつもの星がふるえている。草と同様に星も何かを訴えているのだろうか。
 ロックシンガーたちはさらにその活動をさらに活発化させ、眠っていたあたしの顔に報復していた。すっかり草まけしてしまった頬をこすりながら体を起こせば、また後ろが見えなくなってしまった。潔く立ち上がり、靴底で草を擦りつけるようにして歩き出す。叫び声など耳に入らない。振り返ることなく、空き家の庭を後にした。

 路地裏から住宅地に抜けると目的もなく歩いた。疲れているのか足の動きが鈍い。
 焦げた赤をうつすアスファルトに伸びる影。反響する足音。それが自分のものだけではないと気がついたとき、一瞬にして背筋が凍りついた。過剰なほど体が強張り、それを振り切るかのように首を回す。大分離れた所を歩いていたスーツ姿の中年はあたしの異常な行動に驚いた様子だったが、一瞥をくれるとすぐさまわき道に消えた。誤解を与えたかもしれない。しかし、追いかけて謝ることなど現状では不可能に思えた。
 頭が痺れるほどの頭痛。耳をつんざく動悸。ふるえる膝は身体を支えきれずに崩れる。しゃがみこんで胸を押さえ、荒い呼吸を幾度となく繰り返した。じわりと歪む視界。遠のく周囲の音。アスファルトに点々と作られていく染み。もう枯れ果てたと思っていたのに、なんだ、この涙は。これは何のための涙なのだろうか。
 ああ、面倒くさい。胸を押さえて笑う。人間という生き物はなんて面倒なのだろう。傷ついた、傷つけられた。そんな経験は誰もがしていて、それを教訓にして生きていくか、トラウマだといって叫ぶかはその人次第だ。けれどあたしは生きることも、叫ぶことも涙を流すことも、立って歩くことも面倒で仕方ないのだ。
 呼吸を繰り返す、心臓が血液を送り出す。何もしなくともあたしの身体は生きるために働いている。ならばそれで十分じゃないか。涙を流すなんて、どうしてそんな余分な機能を与えてしまったの。余計お世話だよ、神様。

 押さえていた胸がふるえだした。携帯電話のバイブレーションだった。手を放して、深くしっかりと呼吸をする。あたしはまだ生きているのだということを確認する。さっきまであんなにも乱れていた呼吸と鼓動が静まっていくのがわかる。
 コンクリート塀に背中を押しつけると携帯電話を開いた。メールが一件。頬が緩んでいく。神様は悪口には敏感で、あたしのことなどお見通しなのだ。

 昔から、誰もが一度は神様に祈ったことだろう。しかし、神様は何もしてはくれない。ただ、見ているだけ。そもそも本当に存在するのかさえ怪しいものだ。ここぞというときに頼りにしても、手を貸してくれることなんて絶対にない。それが神様の定義。でもあたしの神様は違う。こうしてあたしにメールをくれる。
 ほのかに光るディスプレイに開かれていない封筒のイラストが表示されている。ボタンを押せば、件名には『神様』と書かれていた。
 続けてボタンを押す。そこにはいつも、たった一行だけのメッセージ。
 『アシタノテンキ、キット、ハレ。』
 携帯電話を胸に抱いて走り出した。明日は傘を持っていかなくてはならない。



*** *



 本当のところ、家に帰るつもりは毛頭無かった。ただ、神様が明日は晴れだと告げた。だったら傘が必要になると判断したまでだ。傘は家にある。頭が指示して、足が勝手に走り出した。それだけだ。

 玄関の前に立つと、ほんのわずか視界が揺れた。スカートの汚れを払い落とし、制服の袖で顔を拭う。力強くこすってしまったためにひりひりするが、ちょうどいい。ここからは気合いを入れなければならないのだから。
 息を吸って吐き出すのと同時に鍵を差し込み、ゆっくりと回してノブをひねった。そのままの状態で隙間に身体を滑り込ませる。誰もいないことは分かっているのに、これほどまで慎重になっているのは万が一のことを考えてだ。狭い玄関では足を動かしただけで音が広がってしまう。身体と腕を伸ばすだけ伸ばして、目的である傘を掴もうとした。
「あら」
 聞こえるはずがない声がして、反射的に身体が跳ねた。すぐさま手を引っ込め、扉に背をつける。心臓が脈打っている。脳まで響いてあたしを侵す。
「お帰りなさい。今日は、その、どうしてこなかったの。大事な日だって分かっていたでしょう」
 母の視線がそれた。その隙に靴を脱いで家に上がり込む。呼び止める甲高い声に振り向くことなく階段まで急いだ。母はあたしを待ち構えていたに違いない。今日は夜までかかるのだと、あれだけ繰り返し聞かされていたのに。

 階段に足をかけたとき、頭上から影が差した。
 これだから見えないのは嫌なのだ。こんなモノに会うくらいなら、そのまま外に出てしまえばよかった。家になど戻ってこなければよかった。姿を確認せずともソレが何であるのかすぐに分かった。そんな自分にすら悪寒が走る。
「おかえり、チヒロ」
 名前を呼ばれて、舌打ちを返した。その口であたしの名前を発するなんて鳥肌が立つ。アレは数段先で行く手を塞いだまま動こうとしない。そこから消えてくれと言うのも嫌だ。同じ息を吸うのもごめんだ。見られていることにも吐き気がする。その声が耳に入るだけで全身が腐っていくような気さえした。
「今日はお前の誕生日だろう。みんなで飯を食わないか」
 繰り返す呼吸が荒くなって、心臓が破裂してしまいそうだ。割れそうな頭を押さえると振動が足元を揺らして、ソレの指先が見えた。
「触るな、人殺し」
 声の限り叫んで、ソレを突き飛ばし階段を駆け上った。部屋に入り、鍵をかけるとドアに背中を押しつけた。足にまったく力が入らなくて、床に座り込んだ。脳が頭の中で暴れている。ぐらぐらと煮えて水泡が弾けるたびに痛みが走る。心臓も脳と結託してか、同じような行動をとってみせた。口の端から垂れる唾液を拭うこともせず、痛みに耐えた。
「かみさま、神様神様……」 
 神様、助けてよ。お願いだから助けて。
 抱きしめた身体の中心で、かすかなふるえを感じた。


 今日はあたしの誕生日でもあり、父の三回忌でもあった。
 父は生まれつき体の弱い人だった。入退院を繰り返し、いつもベッドに寝ている生活ばかり送っていたが、家にいるときには必ずあたしの相手をしてくれた。優しいという言葉はこの父のために作られたものだと言っても過言ではない。優しくて、優しいばかりでどうしようもない父だった。

 あの日。二年前のあの雨の日。
 当時、兄はひどく暴力的だった。何かにつけては頭にきたといって、母やあたしを殴りつけた。さすがの兄も退院したばかりの父の前で拳を振り上げることはなかった。しかしその積もりに積もったのだろう鬱憤は、あの日あたしに向けられた。
 兄は父が通院で留守にしている時間を狙ってあたしを激しく殴り、蹴った。原因なんて些細なことだった。このままでは本当に殺されると思い、家を飛び出して父の病院まで走った。雨が傷を打って、激しい痛みを訴えても踏み出すことをやめなかった。優しい父がきっとあたしを助けてくれると思ったから。しかし、たどり着いた病院に父はいなかった。すれ違いになってしまったらしく、自宅に戻ったと告げられてそのまま引き返した。雨の音がうるさくて、耳に突き刺さるようでたまらなかった。
 灰色に濡れた家の前には赤いランプが点滅していた。
 雨の音に被さるようにして響くサイレンの音。走り出す車。立ち尽くす兄の後姿。
 自宅に帰った父は暴れた兄の惨状を目の当たりにして発作を起こし、病院に運ばれたのだと後から母に聞かされた。運ばれたまま、もう戻ってはこなかった。
 兄を恨んだ。その首に包丁をつきたててやりたいくらいに。父を殺したのは兄だと思っていた。昨日までは。


 携帯電話を開けばまたメールが受信されていた。
 生前、父が登録してくれたのは神様のお告げで天気を知らせるという実にくだらないメールマガジンだった。これであたしが雨に濡れることもないと安心したように笑っていたが、この予報が当たることはなく、いつも反対のお告げばかりを送って寄越す。神様はとんでもないうそつきだ。
 ボタンを押す。メールをひらく。
 『アシタノテンキ、キット、ハレ。』
 お父さん、きっと明日は雨になるよ。だって神様はうそつきなんだもの。あたしを助けてくれないんだもの。
 父の笑顔がまぶたの裏に浮かんで、すぐに消えた。

 携帯電話を胸に抱えてベッドに横になる。受信ボックスは神様からのメールでいっぱいだ。
 あたしは神様のうそを見抜けるようになった。明日の天気は雨。父を殺したのは兄。あたしじゃない。あの日、あたしの後ろには誰もいなかった。誰も追いかけてこなかった。足音なんて聞こえなかった。後ろなんて見えなかった。だからあたしは何も知らない。夕べの母の告白も、兄の懺悔も謝罪もあたしの耳には入らなかった。
 だってそれは、全部うそなんでしょう。

 うとうとと、まどろむ。携帯電話を抱えたままで。
 あたしは夢の中で、また兄を刺すのだろう。
 灰色の雨の中、包丁を振りかざして何度でも。後ろから聞こえる足音に耳をふさいで。
 この胸でふるえるうそつきの神様を信じて。



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