3-11
「維毗沙那は応用が効かないネ」
五行娘々は、そう独り言ちた。
〈幻獣憑依〉によって扱えるようになったこの精霊の身体で出来ることと言えば、炎を使った戦闘技術が大半で、その他も灯すこと、焼くこと、燃やすことに特化している。
勿論、これが公平な感想ではないことは言った本人も判っている。
人間とほぼ同じ構造をした身体は彼女が思った通りに動かせるし、手先も器用。
手足と腰のみに黒い革鎧を付け、長槍を携えただけの装いは身軽で余計な音も立てない。
戦いの気配を嗅ぎつけるという特殊な知覚能力も持っており、偵察にはうってつけだと選んだのは彼女自身である。
だが、強大な敵の射撃を避けながらの逃避行となると、決め手となるものが何もないのだ。
「これでは、愚痴の一つも言いたくなるというものネ」
とは言ったものの、やはりそれは酷な話である。
今まで曲がりなりにも彼女が無事であったのは〈羅刹〉の身軽さと特殊能力の賜物だ。
この地下迷宮を進む際、曲がり角のたびに壁に設置されていた松明に火を灯しておいたお陰で迷わず出口を目指せ、曲がり角を利用して遮蔽を取ることができた。
また、鋭敏な知覚によって射撃の気配を察することで間一髪、難を逃れた場面もあった。
軽い革鎧しか着てないおかげで疲れもあまりなく、走る速度も落とさずに済んでいるのだ。
だが、およそ三〇分かけて辿り着いた迷宮の奥から、敵の攻撃を避けながら出口を目指して全力で走り続けるというのは、肉体以上に精神的な負担が大きいのも事実。
鋼の弓を構えて悠然と追ってくるエニグマ童子はパーティ級。
レベル帯そのものは楽勝と言える相手だが、本来は六人パーティで挑むべき相手。
従者級である〈羅刹〉の身体で真っ向勝負を挑むのは無謀でしかない。
斯くして彼女は、追手の気配を探りながら全力疾走と回避を続けるという集中力の綱渡りを強いられているのだ。
愚痴の一つも言いたくなって然るべき状況であった。
幸いだったのは、迷宮のこの階層が全くの無人だったことだろう。
仏のザによれば〈ランデ真領〉にある寺社をモデルにした迷宮の多くは不死の怪物の巣窟だという。
この地方で特に多いアンデッドは乾涸びた身体に呪力を持つ包帯を纏った〈木乃伊〉だ。
この魔物は司祭を中心としてある種の社会性昆虫めいた「邑」を作り、他種の魔物を排除する性質をもっている。
「是は食い尽くされたアルカ」
おそらく、この地下迷宮を拠点にしようと乗り込んだ〈人食い鬼〉との争いに敗れ、最上層に巣食っていた〈木乃伊〉たちは哀れ食料となったのだろう。
そう考えれば、麺麭生地の発酵する匂いや血の臭いに釣られたとは言え、〈人食い鬼〉たちがあんなに大人しく行軍していたことも、まぁ納得できる。
食後の肉食獣は大人しいのだ。
〈幻獣憑依〉という特技の特性か、あるいは肉体と精神を切り離して独立稼動できるというハーフアルヴの種族特典〈パラレルマインド〉が作用しているのか、背後の気配に集中しながら全力疾走という中にあって、脈絡のない事を考えていた彼女の視界にようやく出口が見えてきたのはその時だった。
◇
「謝々! トレイン一体、レベル六五、ランクはパーティ六ネ!」
開いたままの本堂の扉から吐き出されるように飛び出してきた五行の状況報告に、境内にいた一同の表情を緊張が駆け抜ける。
「お疲れさん。後は引き受けるっちゃ!」
巨大な肉切り包丁を肩に担いだまま〈羅刹〉とすれ違うように前へと踏み出したはこべは〈用心棒〉によって、逃避行の間に五行が稼いだ敵愾心を根こそぎ掻っ攫っていく。
本体である五行の元に到着した〈羅刹〉の姿を本堂から隠すように仏のザが立ちはだかる。
耳元に手を当てて二・三言呟くと、はこべに〈反応起動回復呪文〉を投射した。
そして、弩弓を構えたスズはこの一瞬の間で完全に姿を消している。
ここまで確認した五行は、ようやく足を止めて〈幻獣憑依〉を解除。
「そいで、一体なんば引っ張って来よると?」
この二〇日ほどですっかり使い慣れた自分自身の身体を取り戻した彼女に声がかかる。
「エニグマ童子、取り巻きは無しネ」
「面倒な相手ちゃね。攻撃の射程と範囲が広いから仏ちゃんは全体の防御強化で長期戦に備えてね。五行ちゃんは土行がオススメ、〈サーヴァントフォージ〉貰えると嬉しいっちゃ。あと、毒が有効」
五行の告げた名前に反応したのは〈ササバ城塞〉をメイン狩場にしていたはこべだ。
記憶を呼び起こした彼女は、自身も〈白虎の構え〉で敵襲に備えながら矢継ぎ早に指示を飛ばす。
「わかったわ。〈サンクチュアリ〉!」
聖句を唱えた仏のザを中心に正方形の魔法陣が展開された。
方陣の内部は聖域と化し、攻撃に耐える加護を仲間に与えてくれる。
そのまま〈念話〉をする時のように耳元に手を当て、何処かに連絡を取り始めた。
「承知したヨ。来々、〈砂仙女〉鄧嬋玉!」
「沙流っ!」
〈羅刹〉を送還した五行の呼びかけに気軽な返事を返したのは、砂色の髪を頭の左右で結い上げて翠色の唐服に身を包んだ精霊亜人の少女〈砂魔女〉だ。
彼女が手にした箒の先をはこべの構える〈本醸造・鬼殺し〉に向けて軽く振ると、境内跡に敷き詰められていた玉砂利が数粒、綠色のエフェクトを伴って刃の周りを廻り始める。
呼び出した従者精霊の属性を武器に与える〈召喚術師〉の特技〈サーヴァントフォージ〉で地の属性を付与したのだ。
はこべ自身も五行も仏のザも毒によるスリップダメージを与える攻撃は得意としていないが、敢えてそれをついでのように口にしたのは隠れているスズへの指示だからだ。
〈暗殺者〉は全十二職の中で最も毒の扱いに長けていた。
そうやって彼女たちが迎え撃つ準備をする中、本堂の入り口、その鴨居に手をかけて身を屈めながら巨大な〈悪鬼〉の姿が現れた。
「ハッハー! 中々の歓迎っぷりじゃねーか〈冒険者〉ども」
五行も感じた、迷宮から境内に出た時に感じた解放感、それをこの巨体で味わい気が緩んだのだろう、〈悪鬼〉は首を傾げてコキコキと鳴らしながら周囲を睥睨。
仏のザの陰からその様子を見ていた五行と視線がかち合う。
「よく言うヨ。此方こそ盛大な歓迎を受けたネ」
背後に〈砂仙女〉を従え、五行は一歩踏み出してエニグマ童子の前に姿を晒す。
「ハッ、さっきの〈羅刹〉は手前の差し金かよ、〈冒険者〉如きの軍門に降るとは情けねぇ」
その姿から、偵察に出ていた〈羅刹〉ビビサナが五行の従者だったと気づいたのだろう、〈悪鬼〉は怒りと侮蔑の表情を浮かべるがそれも一瞬のこと。
困ったように眉根を寄せ、しかし口元には戦いの予感を期待した歪んだ笑みが形造られる。
「・・・・ってぇことは、ミズクンとの話は聞かれちまったかよ」
この鬼、性格は単純なものの頭の回転が早い、それは正解に辿り着くのも早いと言うことだ。
「〈典災〉の魔除けを使って門に干渉する、という話のことネ?」
「チッ、まずいぜ。このままじゃ姫御前を怒らせちまう」
「いっそのこと、冥土の土産とでも言いながら、企みを全て暴露してしまうと良いネ」
「〈冒険者〉相手にそういう訳にもいかねーだろ。こうなったら、その首で贖ってもらうしかねぇよな」
何度死んでも黄泉帰る〈冒険者〉の特性は、こういう時には不便と言えるのだろうか。
どうせ殺すのだからとペラペラ喋ってくれるような悪党は、どうやらこの世界では少数派のようだ。
一触即発とも思える〈悪鬼〉エニグマ童子の殺気を前に、どう話を引き伸ばすかを思案する五行だったが
「お待たせっ! 段取りは整いました」
その時、仏のザが通話を終えた。ならば、時間は充分に稼げたのだろう。
「じゃあ、はこべ。そろそろ良いヨ」
いざ戦うとなれば、挑発するのは戦士の役目だ。
何故このタイミングで〈念話〉をするのか疑問を感じた五行だったが、〈悪鬼〉の口調から対話の終わりを感じ取ったはこべに会話の主導権を引き渡した。
「うぃ。任せてーっちゃ!」
歩を進めたはこべとエニグマ童子は鼻先が触れ合う程の距離で睨み合う。
「手ぶらで帰ってオオエにたんまりと叱られたら良ぇんとちゃぁう?」
「よぉし、覚悟を決めな。逃がしゃしないぜ、ベイビー」
はこべは爪先立ちになり、エニグマ童子は身を屈め、眼力のみを頼りに相手を屈服させようと互いの瞳を睨みつける。
五行も仏のザも指一本動かせないほど、空気が張り詰める。
やがて両者は不敵な笑みを面に浮かべると、同時に距離を取った。
「ベイビーちゃうし。ボクは七草衆の四番手はこべ! いざ尋常に勝負するっちゃ!」
「応よ! オオエ四天王が筆頭〈エニグマ童子〉推して参る! 死ねぇ!!」
東の空がゆっくりと紫色に染まりつつある中、二人の咆哮が境内跡に響き渡る。
こうして、この夜最後となる戦いの幕が切り落とされた。




