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〈ルディニアの廃神殿〉。
この〈神代〉の遺跡前、かつては境内だった広場で仏のザは仲間たちの背中を見守っていた。
背後からではわからないが、はこべはおそらく目を閉じて周囲の気配を探っているのだろう、頭の左右で狼に似た大きな耳が時折ピクリと動いている。
巨大な鬼切り包丁を構えるでなく肩に担いでいるのは疲労を抑えるためだ。
警戒中ということで地面に置くのは論外だが、切っ先を突き立てることすらしないのは此処が廃墟になっているとはいえ神社だから。
その辺りの配慮は彼女らしいと思った。
その一方で、目視での警戒を担当するスズはきょろりきょろりと周囲を見回している。
もっとも、生来のおっとりした性格からか、その動きも忙しなさを感じさせないのだが。
そんなスズの身体からは〈瞑想のノクターン〉の小さな旋律が流れ出しており、警戒中とはいえ戦闘していない彼女たち四人の消耗したMP回復に僅かながら寄与していた。
特に、この道中ずっとメイン戦力として働いていたはこべの回復は遅れていた。
〈エルダー・テイル〉ではメイン職業の選択や能力値成長の割り振りの他に、装備している防具によってHPやMPの最大値にボーナスが入る。
守護戦士に武士、施療神官と装備できる職が限られる金属鎧は、HPが多くなる一方でMPの上昇は少ない。
魔法攻撃職に人気の高い軽量の布製の鎧や魔法の衣はその逆だ。
武器攻撃職が装備できる物が多い革製鎧や戦闘服などはその中間であり、HPもMPも平均的に増える。
はこべが装備している〈大虎の縞水着〉は〈醸造職人〉が作成可能な飲料アイテムの効果時間を一割増やす効果をもつ秘宝級防具だが、分類は布製でありMP上限ボーナスはかなり多めなのだ。
だからこそ彼女は同レベル帯の他の〈武士〉に比べて気軽に特技を多用できるのだが、その潤沢なMPの回復速度は戦士職の宿命で他の三人よりも遥かに遅い。
〈エルダー・テイル〉はHPの回復に使うアイテムや回復速度を増やすアイテムは多く、価格も御手頃なのだが、MPの回復に関しては非常に厳しいことで知られている。
市場に出回るMP回復薬の多くは〈ハウリング〉のような大規模戦闘を専門に行う戦闘系ギルドが資金力に物を言わせて買い占めており、それを期待して値を吊り上げる転売屋もいる。月額課金制度を採用していない韓国サーバーに至ってはMP回復速度上昇のアイテムが課金対象になっている始末だ。
最も早くMPが全快したのは五行娘々だ。
魔法攻撃職はMPの回復速度が速く、〈召喚術師〉は全職業中で〈付与術師〉に次ぐ二位を誇る。
尤も、これは《従者召喚》の効果中ずっとMP最大値が低下しているためで、彼女のMP上限も本来の最大値よりは低い値に逗まっており、それ以上の回復がなされないままだ。
その五行は〈幻獣憑依〉によって従者として召喚した〈羅刹〉の身体に憑依し、廃神殿のダンジョンに斥候として乗り込んでいる。
〈幻獣憑依〉の効果中、術者は従者の能力を十全に発揮することができる代償として、本体を充分に操作することができなくなる。
従者への指示で自動攻撃など幾つかの行動を取らせることは可能だが、そもそも指示を出すべき術者がこの場に居なく、状況も把握できないでは戦闘に参加させるのも危ぶまれる。
〈念話〉やパーティチャットもまた本体の方が対象となっているため、偵察中の〈羅刹〉とは通信も途絶した状態にあった。
そのような訳で、敵や外的要因による突発事態に対する警戒をはこべとスズが行っているのと同様に、仏のザが担当しているのは五行本体の保全なのだ。
現在、五行の本体には〈羅刹〉の意識が憑依しており、仏のザの目の前で情熱的な踊りを見せていた。
地球世界のスリランカ(ヴェーダ神話において羅刹の住処とされるランカー島に相当する)に伝わるキャンディアン・ダンスを思わせる。
これは、キャラクターを操作しないまま一定時間が過ぎると行われる、待機中アクションと呼ばれる動作の一種だった。
MMORPGである〈エルダー・テイル〉では、キャラクターは戦闘以外にも様々な動作が可能となっていて、プレイヤー間での会話を補助する役割が主だが、少なくない頻度でイベントやクエストの最中にアクションを要求される場合もあった。
事実、武器を担いだはこべの仕草も、時折周囲を見回すスズの仕草も、アクションとして行える行動だ。
実はこの待機中アクション、〈召喚術師〉や〈森呪遣い〉が呼び出せる従者を始め、乗騎や灯り用の召喚生物にまで設定されており、その動きの多彩さから「見てるだけで満足」という層も(主にチャッターと言われる会話メインのプレイヤーに)いたのだ。
勿論、無数にいる召喚生物ごとに独自のアクションを作る余裕など無いため、その殆どはPC用に用意されたものを流用している。
〈羅刹〉のダンスはインドサーバーから借用してきたものだった。
(知らんうちに自分の身体がこげんなダンスしちょったと知ったら、五行ちゃんは死にとおなるじゃろなぁ)
などと仏のザは口に出さぬよう注意しながら想いを巡らせる。
彼女は待つ立場に慣れていた。
軽装の〈武士〉で狼牙族のはこべは瞬発力と耐久性を活かした強行偵察を、〈狩人〉の技も使える〈暗殺者〉のスズは機動性や隠密力を駆使しての先行偵察を得意としているし、五行も今回に限らず〈幻獣憑依〉による偵察に出ることがある。
対して仏のザは、瞬発力と耐久性に劣る法儀族であるし、機動力や隠密性に無縁の〈主婦〉であり、偵察に秀でた特技を持たない〈施療神官〉で、尚且つ、パーティに一人しかいない回復職。
拠点で待機することが多くなるのは必然といえる。
地球世界の彼女もまた、夫の帰りを待つ主婦である。
F・O・Eの広報部に勤める彼女の夫はかつて、せりPの名で〈七草衆〉をプロデュースした辣腕家だったが、スキャンダルによって〈エルダー・テイル〉を引退し、表舞台に出ることは少なくなった。
とはいえ、敏腕プロデューサーとしての力量が失われた訳ではなく、未だに第一線でバリバリと働いている彼は会食を始めとした時間外労働が多く、比例して自宅で夕食を摂る機会は少ない。
子供もいないため、独り家の中で夫を待つ彼女はすっかり暇潰しを得意分野にしてしまっていた。
何処からか取り出した棒の先に皿を乗せて回し始めた五行の姿を視界に収めながら、仏のザはメニュー画面から特技リストを開く。
ソーシャルゲームの使い切ったスタミナゲージに表示された待機時間をじっと眺めるかのように、特技リストのアイコンに表示されたタイマーを見るのは彼女の暇潰しの手段の一つだ。
特技のアイコンにざっと目を走らせると、林の中を強行軍した際に少しでも走行速度を上げるために使っていた〈刺青模様・戦車〉の再使用規制時間が終了しようとしている。
「そろそろ、五行ちゃんが潜ってから三〇分が経つよ」
「なんや緊張してたから、早いのか遅いのか判れしぃひんわぁ」
時を告げる仏のザの声に応えて、スズは弩を構えた腕の緊張を僅かに緩める。
周囲の気配と物音に意識を集中させていたはこべも、ほぅ、と息を吐いて瞼を開いた。
「何も無かったらそろそろ引き返す頃合だと思うけど、大丈夫かな?」
「どげんじゃろうね」
〈幻獣憑依〉を行っている間、そのプレイヤーは本来の性能をほとんど発揮できない。
特に今の五行のように従者(の精神が入った本体)と距離を置いて離れている時などは、全く発揮できないと言っても過言ではないだろう。
彼女が本来持っている〈召喚術師〉や〈仙厨師〉の特技もハーフアルヴの種族特典も、そして〈冒険者〉に備わった基本能力も、彼女には扱えない。
その為、五行は現在、連絡用の〈念話〉が使えない状況にあるのだ。
「こっちから連絡できんのって不便だっちゃ」
幼い頃から携帯端末の存在が当たり前だった世代のはこべは連絡したい時にできないという状況に焦れているようだった。
もっとも、声に出して会話しなければならない以上、偵察中の相手に通話を申し入れて受信してもらえるとは限らないのだが。
「経過時間は判りますのやろ?」
「ええ。〈羅刹〉は灯明ん魔法が使えるから」
プレイヤー本来の能力がほぼ扱えない〈幻獣憑依〉の間、従者の持つ能力は逆に拡張されていた。
普段は自動攻撃や手続き発動といった操作の必要ない能力や、〈エレメンタルブラスト〉や〈エレメンタルレイ〉と言った、従者に特定の行動をさせる特技によって指示される特殊行動くらいしか行わない。
しかし、従者の多くは元々が調整されたエネミーデータであるため、その内部データには様々な行動パターンが存在していた。
そして、ゲームが現実となった今では、その応用力も幅広くなっている。
出発前に仏のザから特技の再使用規制時間を利用した時間測定の方法を聞いた五行は、火炎属性の精霊亜人である〈羅刹〉の火を自在に操る能力を利用して槍の穂先に明かりを灯した。
探索の途中でこの灯明が消えたら、切り上げて帰ってくるという段取りを取り決めたのだ。
「せやったら、此処からが正念場どすなぁ」
もしも、一時間経っても五行が帰って来なかった場合、彼女たちは撤退するか五行の救出に向かうかの選択をしなければならない。
ここから待つ三〇分は、これまでの三〇分とはまるで違う意味をもっていた。
互いに頷き合って気合いを入れ直す三人。
しかし、周辺警戒のために再び瞼を伏せたはこべは、即座に幻耳を立てて目を見開くことになった。
彼女の耳は街道から境内に向かってくる物音を、それも複数の足音を捉えた。
現れたのは、山野での身動きを阻害しない装束に、丈の短い弓と枝葉を斬り払うための鉈を手にした屈強な〈狼牙族〉の男たち。
彼らを率いるように、軽やかな足取りでその先頭を切るのは〈大地人〉の童女。
「おねえちゃんたち、こんばんわ~」
それはスズたちが昼食時に出会ったマツネだった。




