四章十二話目
体を持ち上げられる気配がする。
その言葉を最後にレインは意識を手放した。
木々の枝が風にそよいでいる。
木の下に立つ老爺が巨木を見上げている。
老爺の周りには数人の男たちが集まっている。
レインにはここ数日の経験から、それがリタ・ミラの種が見せている過去の映像であることがわかった。
「祭司長様。どうかご決断ください。この鈴牙国のますますの発展には、何が必要であるのかを」
「そうです、祭祀長様。スミニア杉の原種であるこの巨木が、どれほどこの国に利益をもたらすか。この国の発展に寄与するかを。あの木守の巫女の言うことなどに惑わされず、我々は冷静になってもう一度考え直してみるべきなのです」
祭祀長と呼ばれた老爺は渋い顔で黙り込んでいる。
レインはその老爺の顔に迷いの色を見て取った。
「法術研究に関しては、我が鈴牙国は後れを取っています。ここは各国の研究者と協力して、この巨木の謎を解き明かすべきです。それが未来の鈴牙国のためになるのです」
「ううむ」
老爺は低い声でうなる。
「しかし、この木のことに関しては、わしよりも寿美礼姫の方が詳しい。寿美礼姫の許可なくしては、この木の枝一本、葉っぱ一枚取ることもままならぬ」
老爺のそばにいた若い男が笑う。
「あの娘が何だと言うのですか? 祭祀を取り仕切る一介の巫女ではないですか。それに引き替え、あなた様はこの鈴牙国の象徴、我らが鈴牙国の民を束ねる存在であらせられる。あの娘に遠慮する必要はどこにもないではないですか」
風が巨木の枝を揺らす。
音を立てて通り過ぎる。
レインが瞬きをした次の時には、そこに老爺や男たちの姿はなかった。
紫の目をした少女が一人たたずんでいる。
少女は悲しそうな目でじっと巨木を見上げている。
「すまない、椙津姫命。私が力不足のばかりに、あなたをこんな辛い目にあわせてしまって。私は木守失格だ。あなたを守ると、幼い日にあの人と、イプシェと約束したのに」
少女の見つめる先、あんなに立派だった巨木は今や緑は失われていた。
「本当にすまない」
少女の紫の両目に涙があふれる。頬を伝う。
「私が知っていれば、あんな愚かで目先の利益しか求めない男ども、この敷地に立ち入ることさえ許さないものを。私が気付かないばかりに、取り返しのつかない事態を招いてしまった。いくら謝っても、もはや取り返しはつかない」
少女は両手で顔を覆い、草の上に泣き崩れる。
巨木の木々は枝を震わせる。
――泣くな、寿美礼。これはお前のせいではない。これは運命だったのだ。私の枝に種が出来た時から、いつか私が枯れることはわかっていた。
木の下で泣き崩れる少女には巨木の声が聞こえたのだろうか。
巨木は精一杯枝を震わせる。
――私は最初から我が子を人の手に託した後は、遅かれ早かれ枯れる運命だったのだ。それが遅いか早いかの違いだけで、私が死ぬべき運命にあるのは変わりはない。
その言葉を聞いて、レインの胸が痛む。
かつて鈴牙国にあったという大樹リタ・ミラは、最初から自分が倒れることをわかっていた。
子を宿せば自分が死ぬことをわかっていながら、種を後世に残すことを選んだ。
小さい頃、レインが家の庭で育てていたヒマワリだって、夏に咲いて、秋に種を残せば枯れてしまう。
――大樹リタ・ミラは自分の命よりも、子どもの方が大切だと考えたんだ。
植物とはそう言うものなのだろうか。
子どもを思う母親とはそう言うものなのだろうか。
レインは母、アンジェのことを思い出し、急に故郷にいる母親に会いたくなった。
――僕がミゲロとウルベールにまたいじめられていると知ったら、母さん心配するだろうな。
レインは息を吐き出した。
目の前の映像が揺らぎ、どこかから声が聞こえる。
――れいん。おきろれいん。
頭に響く声に、レインは現実に引き戻された。
――れいん!
レインがうっすらと目を開くと、辺りは薄暗く肌寒かった。
すぐそばには姉の姿があり、レインと同じように後ろ手に縛られ、口に布を噛まされ転がされていた。
――よかったれいん。めをさました。
レインの頭に呼びかけるリタ・ミラの種は安心したようだった。
――ここは、どこ?
地面に転がされたまま、レインは首を動かし辺りの様子をうかがう。
手は縄で後ろ手に縛られ、起き上がることも出来ない。
二人の転がされているのは固い床で、そばには大きな麻袋がいくつも置かれている。
積み上がった荷物の様子から、レインたちのいる場所がどこかの倉庫であることがわかった。
――れいんがへんじをしないからしんぱいした。めがさめてよかった。
レインは表情を和らげ、返事をする。
――ごめん、心配させたね。僕は大丈夫だから。ミゲロとウルベールにあちこち殴られて少し体が痛いけど。
レインは意識を失う前に、二人に殴られたことを思い出す。
二人に殴られてこれくらいで済んでいるのだから、まだ軽い方だ。
とっさに体を丸め、頭をかばったせいだろう。
小さい頃からいじめには慣れていたレインは、それに対する対処法も心得ていた。
――それより、ここはどこだろう? 一緒に連れて来られたお姉さんに、怪我はない?
レインは首を動かし、同じように転がされている姉を見る。
――おねえさんは、おとうとをよびだすためのひとじちだから、とれいんをなぐったやつらがいってた。だからなぐられなかった。
レインは安堵する。
――そうか、良かった。お姉さんは無事なんだね。怪我はないんだね?
レインの呼びかけに、リタ・ミラの種は一瞬黙り込む。
怒った口調で話す。
――でも、おねえさんはないていた。れいんがなぐられて、ずっとかなしんでた。あいつら、れいんをなぐっていてわらってた。おねえさんがかなしんでいるのをみて、おもしろがってた。ほんとうにひどいやつ。
レインは言葉を失う。
その言葉の端々から、ミゲロとウルベールに対する怒りを感じ取った。
――うん、二人は本当にひどい奴さ。でも二人にいじめられているのは、僕だけじゃない。ひどい目に合されているのは、僕だけじゃなんだ。もっと多くの生徒が、あいつらの横暴に迷惑しているんだ。
レインは淡々と答える。
リタ・ミラの種のあまりに素直な物言いに、胸の奥にしまって忘れようとしていた怒りが沸々とこみあげてくる。
――あいつら、ひどいやつ。れいんをなぐった!
リタ・ミラの種の感情の高ぶりに応じて、レインの周囲に法力が渦巻いているようだった。
ねっとりと絡みつくような空気に、レインは全身の毛を逆立てる。
――こんな建物の中で、法術を使うつもりか?




