四章五話目
弟はイヴン先生に詰め寄る。
「あいつは姉さんが苦労して編んだ法術結界を破ったんだ。絶対に許さない!」
弟は怒った口調でイヴン先生に言う。
イヴン先生は困った様子で、
「いや、あれはスパイが破ったのではなくてな」
言いかけてやめる。
「今度あのスパイの方から何か仕掛けてきたら、八つ裂きにしてやる!」
弟の両目に怒りの炎が宿っている。
イヴン先生はまだ何か言いたそうだったが、結局は諦めたようだった。
「……そうしてくれ。ただ、相手もどんな奥の手を隠しているかわからないから、慎重にな」
そこへ別の人物が温室の入口にやってくる。
「結界が破られたようなので、見に来ました。どなたかいませんか?」
温室の入口から顔を覗かせているのは、弟がたったいま話していた姉だった。
姉は杖をつきながら、そろそろと温室に入ってくる。
「ね、姉さん。どうしてこんなところに。まだどこに聖イストア皇国のスパイが潜んでいるかもしれないのに。危険だよ」
「あら、シェス。来ていたの?」
狼狽した様子の弟に、姉はのんびりと答える。
「スミリャスカか。ちょうどよかった」
イヴン先生は振り返り、地面に倒れているレインを指さす。
「そこで倒れている生徒を、法術で医務室まで運んでやってくれないか? それが終わったら、戻ってきて温室の結界を張り直してい欲しい」
明らかに嫌そうな顔をする弟に対して、姉は素直にうなずく。
「はい、イヴン先生。わかりました」
姉は辺りを見回す。
「それで、その生徒はどちらに倒れているのですか?」
目の見えない姉にとっては、倒れているレインはわからないらしい。
「それならここに」
イヴン先生は倒れているレインのそばに寄り、その顔を覗き込む。
覗き込んでから、怪訝な顔をする。
「これはレイン・アマナギ? まさかレイン・アマナギがリタ・ミラの種を受け取ったのか? 何ということだ。天空神ラスティエは、またあのお方に艱難辛苦をお与えになるおつもりか」
渋い顔をするイヴン先生に、姉と弟の二人は不思議そうな表情を向ける。
「イヴン先生、そのレインさんと言うのはどなたですか?」
「確か、クラスメイトでいたと思うけれど」
イヴン先生はゆっくりと二人に向き直る。
震える声でささやく。
「これは、宮殿でも一部の者しか知らないことだが。二人が信頼できると信じているから伝えるが、決して他言はしないで欲しい。レイン・アマナギはあのお方の孫だ」
二人は息を飲む。
それを聞いた二人の反応はそれぞれだった。
「お孫さんが受け継いだとあっては、あのお方はさぞかし心配していらっしゃるでしょう。心中お察しいたします」
姉は胸の前で手を組み、悲しげに目を伏せる。
「血の繋がりが何だって言うんだ。大事なのは血統ではなく、その人物の性格や実力やその他の事柄だろう? 親族だからって特別扱いするのは、本人や周りのためにならないぞ」
一方の弟は不機嫌そうに腕組みをしている。
――僕の祖父?
それを過去の映像として見ていたレインは、首を傾げる。
レイン自身、父方の祖父母はもう亡くなっており、毎年墓参りに行くのだが、母方の祖父母とは一度も会ったことがない。
母親は祖父母のことをわざと話そうとしないところがある。
小さい頃、学校のクラスメイトが祖父母の家に行って、釣りをした話を聞いた時は、うらやましくなって母親に祖父母の家に行きたいとせっついたものだったが、母親は悲しげに笑って、レインに諭すように言った。
「レインやコウが大きくなったら、おじいちゃんの元を訪ねましょうね」
それでも納得しなかったレインは、大きくなったらとはいつかと、さらにせっついたが、母親は困った顔で笑うだけだった。
仕事から帰ってきた父親がそれを見て、レインを母親の目の届かないところに連れて行った。
「母さんに、おじいちゃんやおばあちゃんのことは、聞いちゃいけないぞ、レイン。母さんは小さい頃におばあちゃんが亡くなって辛い思いをしてきたんだ。レインだって、母さんが亡くなったら、悲しいだろう? それからはずっとおじいちゃんに育ててもらってきたんだが、おじいちゃんも忙しい人でな。母さんはずっと寂しい思いをしてきたらしい。だから、母さんを悲しませるようなことを聞いちゃいけないぞ、レイン」
いつになく真剣な父親の様子に、レインはずきりと胸が痛んだ。
それを言うなら、父親だって高校に入る時にはもう、両親が他界していたではないか。
高校を中退して、庭師になるために北方群島に来たのではないか。
子どもだったレインは、それがどんな辛いことであるかよくはわからなかったが、父親や母親に謝らなくてはいけないことであることは、何となくわかった。
「ごめんなさい、父さん。もう二度と、母さんにおじいちゃんのこと聞かない。約束する」
父親は満足そうにうなずく。
「うん、いい子だな。レイン」
そう言って、父親はレインの頭をなでてくれた。
――僕の、おじいさん。
イヴン先生や姉弟の言う、あの方、が誰のことかレインは知らなかったが、少なくともあの三人はレインの祖父を知っているようだった。
レインは目の前で展開する過去の映像に目を落とす。
「レインさんを医務室に連れて行きましょうか。法術で重さを軽減すれば、わたしにも持ち上げられるはずですが」
姉がしゃがみ込み、倒れているレインの肩に手を置く。
「姉さんの手をわずらわせる必要はないよ。僕が連れて行く」
弟がレインの体を起こす。
肩に背負い、苦も無く歩いていく。
そんな弟の背に、イヴン先生が声をかける。
「あぁ、スミルノフ。その白装束は目立つから、途中で着替えるのを忘れないようにな」
弟はむっとして振り返る。
「わかってるよ。今度こそあいつを捕まえられると思って、それなりに準備して来たんだけどね」
わずかに肩を落とす。
「シェス」
姉は落ち込んでいる弟のそばに寄り、その体をそっと抱きしめる。
「次こそは捕まえられますよ。だからそんなに落ち込まないで下さい」
弟はあからさまに顔を赤くする。
「べ、別に落ち込んでるわけじゃ。そ、そりゃあちょっとは悔しいけどさ。でも、リタ・ミラの種は奪われなかったんだ。結果としてはよかった、かも」
弟は赤い顔でちらちらとそばにある姉の顔をうかがっている。
「これも全部あなたのおかげです。でも、気を付けて。いつまたレインさんを狙って、やってくるかわかりません。学校内でも注意を怠らないようにしてください」
「わかってる。ちゃんと仕事はこなすし、自分の身も守る。勉学にも部活にも励むし、姉さんのお世話もする。それでいいんだろう?」
姉は驚いた様子で弟から体を離す。
「わたしのお世話はしなくていいんです。わたしも出来る限り自分のことは自分で出来るように努力しますから」
姉は顔を赤らめ、口を尖らせる。
持っていた杖を振ると、白い光の輪が辺りに広がった。




