四章三話目
「あらあら、二人とも相変わらず仲がいいわね」
シェーラ先生は笑っている。レインの方を見、小さな声で言う。
「ね、この二人はこういう姉弟なのよ。レイン君はこの二人とあまり面識はないのよね?お姉さんは目が見えなくて、弟君はそんなお姉さんを必要以上に心配するところがあるの。レイン君は弟君と同じクラスだったわね。根は悪い子じゃないから、仲良くしてやってね。弟君はどうも人と仲良くするのがあまり得意ではないみたいだから」
「はあ」
レインは曖昧に返事をする。まだ言い合いを続けている姉弟を眺めている。
――仲良くする、と言ってもどうすればいいんだろう。シェーラ先生は僕に彼と友達になれと言ってるのかな? きっと人付き合いの苦手な彼を心配して、シェーラ先生もお姉さんも僕をここに呼んだんだろうな。
レインは同じクラスメイトと言っても、弟のことを何も知らなかった。
彼はクラスの中で特に誰かと仲が良いわけでもなく、特別クラスの中で仲間外れになっているわけでもない。
レインから見ると、クラスの中で特に目立った様子もないごく平凡な生徒に見えた。
顔立ちは整っているし成績も悪くないから、ひそかにクラスの女子から人気もあるようだ、と言うリャンの噂話を耳にしたことを思い出す。
それだったら勉強もスポーツもでき、人当たりの良いオルグの女子からの人気もなかなかなものだった。
廊下ですれ違った女子生徒たちからあいさつを受けるのが日常のことだ。
女子からの人気をうらやましがるリャンなどはオルグに、女の子にもてる秘訣を教えてくれ、といつも言っている。
その度にオルグは、勉強を真面目にやって、女の子に親切にすれば自然にもてるようになるよ、と返すのだった。
それでもてれば苦労はしないよ、とリャンが叫ぶのもいつものことだった。
そんなことを考えていると、レインの頭に声が響く。
――れいんはおんなのこにもてたいの?
リタ・ミラの種の直球の質問に、レインは答えに困ってしまう。
――別に、そういう訳ではないんだけど。人に嫌われるよりも、好きになってもらった方が僕としてはうれしいかな。
レインはシェーラ先生の笑顔を見上げる。
シェーラ先生は笑顔でレインに向き直る。
「さて、レイン君。この二人とは仲良くやっていけそうかしら。先生としては、リタ・ミラの種を持つ者同士、これからはお互い助け合っていってもらいたいのだけど」
シェーラ先生のその言葉をきっかけに、今までなんやかんやと言い合っていた姉弟が急に真面目な顔をして黙り込む。
「この大聖堂内に、他に人の気配は感じられません。法術の反応も見られません」
姉は杖を握りしめ、シェーラ先生を見上げる。
「この大聖堂の内外に、罠や盗聴器の類は仕掛けられていなかった。来る途中に怪しい動きをする生徒や教師も見受けられなかった」
弟は鋭い眼差しで大聖堂の入口を見据えている。
シェーラ先生は楽譜を持ったまま、ゆったりと微笑んでいる。
「そう。ありがとう、二人とも。さて、レイン君。あなたは薬によって、リタ・ミラの種を受け取った時の記憶がないみたいだけれど、リタ・ミラの種はどうかしら? その時のことを覚えているんじゃないの? もしよければ、リタ・ミラの種にその時のことを聞いてもらいたいのだけれど。あの時何があったか、その場に誰がいたのか、思い出してちょうだい。リタ・ミラと最後に会ったあなたが何を見たり聞いたりしたのか、リタ・ミラの真意が何なのか、私たちはそれを知らなくてはならないのよ。母なる大樹の千年の記憶を、その力を、最後に会ったあなたは受け取っているはずよ」
レインは言葉をなくし、青い目を大きく見開いてシェーラ先生を見つめている。
すぐにはその言葉の意味が理解できない。
レインにはその時の記憶がないのだから、理解できないのも当然だった。
「シェーラ先生、一体何のことを言っているのですか?」
シェーラ先生はよく通る声で静かにつぶやく。
「私は教皇様より諜報員たちを取りまとめる役を、兄のイヴンと共に仰せつかっております。リタ・ミラの種を持つ子ども達を導き、このローラシア大陸の秩序を守るために。成長した種子を空の座まで持っていくよう、次代のラスティエとリタ・ミラの大樹を守り育むように。鈴牙国の悲劇を二度と起こさないように。私たちは大樹の種を守り育てる責任があるのです」
シェーラ先生はレインの青い瞳を真っ直ぐに見つめていた。
その眼差しに宿る意志は強く、揺るぎなかった。
レインは自分が何か取り返しのつかない大きな流れに巻き込まれてしまったことを直感した。
シェーラ先生はにっこりと笑う。
「心配しなくても大丈夫よ、レイン君。私もサラさんもシェス君も、出来る限りあなたの手助けをするから。もし少しでも不安なことがあれば、リシェンさんがこの学校に編入して来るまでは、この二人に相談してちょうだい。何か気付いたことがあれば、遠慮なく私たちに言ってね」
シェーラ先生の隣に立つ姉がレインに頭を下げる。
「これからよろしくお願いします、レインさん」
その柔らかな笑顔に、レインは見とれてしまう。
「よろしく」
弟がぶっきらぼうに手を差し出す。
レインは弟の鋭い眼光に気付かず、差し出された手を握る。
「う、うん、よろしく」
レインは姉と弟の二人に律儀に頭を下げる。
姉に笑顔で頭を下げた時に、弟に殺気のこもった目でにらみつけられた。
繋いだ手をすごい力で握り返される。
「なに姉さんの社交辞令に鼻の下伸ばしてるんだよ。凍ったモド河に沈められたいのか?」
レインは冬の凍りついたモド河の表面に、自分が頭から突き刺さっている姿を想像する。
小声でささやかれた弟の物騒な言葉に、レインは慌てて首を横に振る。
「め、滅相もございません。た、ただ、君のお姉さんは優しそうな人だなあ、と思っただけで。下心は一切ございません」
弟はなおもレインの手を締め上げていたが、レインの必死な態度を見て許す気になったらしい。
握りしめた手を離す。
「それはそうだろう。姉さんは美人で頭が良くて優しいからな。初対面のあんたのことも親身になって心配している」
レインは強い力で握られ、赤くなった手をさする。
これから弟の前で、姉の笑顔に見とれたり、弟の気に障る素振りはくれぐれも気をつけよう、と考えた。
そしてこの弟が度を超えたシスコンだという認識を新たにした。
――まあ、そうじゃないと目の見えないお姉さんのお世話をやっていられないよな。さっきの話からすると、家事は全部弟が担当しているみたいだったし。
レイン自身にも弟がいるが、普段は優しいお兄ちゃんとして弟の世話をしているが、弟のわがままが嫌になってくる時がある。
弟のコウも今はずいぶんと大きくなって手がかからなくなったが、幼い頃は何をするにも手がかかり、レインとしてはその世話にうんざりする時もあった。
弟の献身ぶりに素直に感心しつつ、レインは不自然に空いた記憶の空白部分に違和感を覚える。
――僕は、オリヴィア先生のところに反省文を持って行った後、何をしたんだっけ? 寮の部屋で目覚めるまで、何をしていたんだっけ?
レインは記憶の糸を手繰り寄せる。
しかし記憶の糸は、その部分だけふっつりと切れ、何も思い出せない。
そんなレインの心に語りかける声がある。
――ぼくは、おぼえてる。かあさんといっしょにいたころのこと、かぜのにおい、どうぶつたちのなきごえ。れいんがぼくのところにきたときのこと、そのちかくにだれがいたかも、ぜんぶおぼえてる。




