三章十六話目
夜はいけません。
自分の作品がひどくつまらないもののように感じられます。
いっそ書かなくていいんじゃない、みたいな気持ち。
深緑の目を伏せ、男性の助けを借りずに立ち上がる。
どうもこの男性といると調子が狂う。
きっとこの男性がレインに似ていて、守り手となるために緊張しているためなのだろう、とリシェンは無理矢理自分を納得させた。
男性はリシェンの態度を特に気にした様子もないようだった。
「そうか。それならよかった」
人懐っこい笑みを浮かべる。
目を伏せていたリシェンはまじまじとその男性の笑みに見入ってしまう。
――レインも笑ったら、こんな顔をするのかしら。
男性の笑みを眺めつつ、リシェンはふとそんなことを考えた。
「わたしの顔に何かついてるかな?」
あまりに長く見つめ続けていたのだろう。
男性の青い瞳が不思議そうにリシェンの顔をのぞきこんでくる。
それにはリシェンの方がびっくりする。
「い、いいえ、何も」
リシェンは慌ててそっぽを向く。
訳も分からず顔が赤くなり、まともに男性を見ていられなくなる。
「そ、それよりも、仮にあなたがラスティエ教国の教皇だとして、レインのところに連れて行ってくれるとして、ここにいるサライはどうするの? わたしたち竜の民にとって、竜はとても大切な存在。サライを連れて行けないのなら、その首都のセラフにもわたしは行くことはできない」
リシェンはすぐそばの草地の上で意識を失っているサライの巨体を振り返る。
「それならば、心配はいらない。草地の向こうにわたしの乗ってきた空船があるからね。そこまで連れて行けば、首都のセラフまで空船で半日くらいの距離だ」
リシェンは形の良い眉をひそめる。
「でも、その空船までサライをどうやって連れて行くの? 見たところあなたは普通の人そうだし、サライを抱えて連れて行くことなんて、とてもできそうには見えないけれど」
空の上でフェデリコの雷をまともに受けたサライが目を覚ますまでどれくらいかかるのか、リシェンには想像もできない。
とにかくサライが目を覚ますまでは動けないだろうと、リシェンが覚悟したときだった。
「それなら大丈夫。君たち竜の民は法術を使うことを禁じているから知らないだろうけれど、法術には物を浮かせる便利な術があるから、サライ君を空船まで連れて行くことはできるよ」
男性は手に持っていた杖を掲げる。
その杖の尖端から薄緑色の光がこぼれる。
「本当はそのためにジュリアーニを連れてきたんだけど、彼はマグダレーナ嬢への言い訳でどこかに行ってしまったからね。代わりにわたしが法術を使うしかないみたいだしねえ」
杖の尖端をサライへと向けると、薄緑色の光がサライの体を包み込む。
音もなくサライの巨体が地面から離れ、宙に浮きあがる。
男性はリシェンに背を向け、ゆっくりと草地を歩き出す。
光に包まれ浮かび上がったサライの巨体が、男性の後をついていく。
驚きに目を見開くリシェンに向かって、男性が手招きする。
「空船はこちらの谷の岩陰に隠してある。ぼろ船だけど、盗まれないように一応の用心さ。君も普段から竜に乗っているから慣れないだろうけど、セラフに着くまでのしばらく間我慢して欲しい」
「――と、いう訳なんです」
一連の事情を聞き終えたベアトリクスは、渋い顔をして黙り込んでいた。
テーブルの上には空になったチョナフの皿と、氷の入ったガラスのコップが置いてある。
アンリはにこにことベアトリクスの隣で笑っている。
レインはうつむき、ラズベリージュースの最後の一口を飲みほした。
「レイン君、チョナフやジュースのおかわりはいるかい?」
にこにこと笑顔を浮かべるアンリだけは、その重い空気に飲まれず、まるで自分は関係ないとばかりに皿のチョナフを食べていた。
そんなアンリをベアトリクスが肘で小突く。
「そもそもあなたが上手くやらないから悪いのでしょう? レインさんがこんなに申し訳ないと思ってるんだから、あなたもちょっとは悪いと言う意識は持っていないのですか?」
「んーー」
アンリはさくさくとチョナフを食べつつ、あさっての方向を眺めている。
気が付けば夕闇が迫り、店の中は薄暗くなっていた。
「そろそろ開店の時間かしら」
明かりを持ったユキエばあさんが、テーブルの上にランプを乗せる。
「ありがとうございます」
レインはユキエばあさんにお礼を言う。
「いえいえ」
ユキエばあさんはゆったりと答える。
黙り込んでいたベアトリクスは椅子から立ち上がった。
「店を出ましょう」
ユキエばあさんの店が夜から開店するので、ベアトリクスはこれ以上ここにはいられないと考えたようだった。




