三章六話目
声の主はリシェンの疑問に答えずに、話し続ける。
――でもアンリとの約束だからね。元々フェデリコが引き起こした事態だからということもあるけれど、ここは責任を取って君を助けないと。
法術の使い手には、人の心に直接語りかけることのできる者もいると、以前から兄のエトスに聞いていたので、リシェンは特に驚かなかった。現に村の神樹ラスティエ様だって、リシェンの心に直接語りかけてきた。
その声の主がどういう相手かの方がリシェンにとっては問題だった。
リシェンは雲の間に深緑色の目を凝らしたが、どこにも人の姿は見えない。
ごうごうと耳元を通り過ぎる風の音、灰色の雲、サライの白い巨体が自分と一緒に落ちているだけだ。
リシェンが首を巡らせて眼下に迫る緑の山々を見下ろすと、開けた草地の上に一つの人影があった。
まだ点にしか見えない人影は、リシェンが落下していくにしたがって、徐々にその姿がはっきりと見えてくる。
それは一人の男性だった。男性は杖を持ってこちらを真っ直ぐに見上げているようだった。
心に語りかけてくる声の主がその男性であると、リシェンにはぼんやりとわかった。
草地に立つ男性は天に向かって杖を掲げる。その杖の先に白い光が集まっていく。
――ラスティエ教国教皇、アグラダ・イスカリオテは竜の民を全面的に支援しよう。君を賓客として迎え入れ、種の守り手としてレイン・アマナギと引き合わせよう。
男性が微笑んだような気がした。もちろんリシェンの位置からは男性の顔などぼんやりとしか見えないのだが。
男性の持つ杖の先に白い光が急速に収束し、弾ける。光は白い柱となって、リシェンとサライに迫ってくる。
リシェンは驚いて目を固く閉じる。視界が白く塗りつぶされる。
その白い光は熱くもなく冷たくもなく、リシェンとサライを包み込んだ。奇妙な浮遊感とともに、リシェンとサライの体が宙に舞いあがる。
――今度こそ千年前の約束を守ろう。今度こそリタ・ミラの種を育てよう。大樹ラスティエよ。彼らがリタ・ミラの種を育てることが出来たら、もしレインの種が無事に育てば、その時こそわたしの罪は許されるのだろうか?
リシェンとサライの巨体は、白い光に包まれゆっくりと緑の草地に降りていく。
あまりに不思議な現象に、リシェンは深緑の瞳を何度も瞬きする。
徐々に近づいて来る草地の上に立つ男性を食い入るように見つめる。リシェンはその男性の顔に見入っている。
その男性に妙な既視感を覚える。前にもその男性に会ったような気がする。
白い光に包まれてリシェンとサライの巨体が緑の草地に降ろされる。
光が弾けて白い小さな粒子となる。
リシェンはまだ自分が助かったのが信じられなかった。
自分の手足を眺め、ぐったりと地面に横たわるサライを振り返る。
「大丈夫かい? フェデリコがあんなことをして悪かったね。でも彼はただ単に女性が嫌いなだけだから、あまり悪く思わないでくれないか? 口ではああ言っていたが、根はいい男なんだ」
そばにいた杖を持った男性がリシェンに手を差し伸べる。
青い瞳、長い銀色の髪、優しげな笑みを浮かべリシェンを見下ろしている。
リシェンはまだ立ち上がることができない。恐怖のあまり膝が震えている。
手を取る代わりに、リシェンは男性を見上げる。その男性にそっくりな少年の名を口にする。
「レイン?」
リシェンがそう言うと、男性は青い目を丸くした。まじまじとリシェンを見つめる。ぷっと吹き出し、手で口を押え声を立てて笑う。
「いや、すまない。そう言えば、アンリにもイヴンにも同じことを言われたことを思い出してね」
男性はまだ笑っている。
リシェンは自分はそんなに変なことを言ってしまったのだろうか、と首を傾げる。
「あの」
戸惑い声をかけるリシェンに、笑い続ける男性は杖で制する。
「ほ、本当に、すまない。いや、そっくりとは聞いていたけれど、それほど彼はわたしと似ているのかい?」
男性に問われ、リシェンはこっくりと首を縦に振る。
「そうか。それはいいことを聞いたな。今度、彼に身代わりを頼もうかな」
男性は目じりに浮かんだ涙をぬぐい、リシェンに向き直る。黒い修道服を着た男性は胸に手を当て、丁寧に礼をする。
「改めて、自己紹介をしないとね。初めまして、竜の民のお嬢さん。わたしはラスティエ教国教皇、アグラダ。君のお父さん、アンリ、いや、クロフにはとてもお世話になっている。本当ならば、今日彼とここで会える手はずだったんだけど、どうやら予定が狂ったらしい。そういう訳だから、今回君のお父さんクロフと会えなかったのは残念だけど、わたしが代わりに君を案内しよう。首都セラフの宮殿のわたしの部屋は窮屈で散らかっているけれど、君の守り手であるレイン・アマナギの通うジョゼ神学校に編入手続きをするしばらくの間、どうか我慢して欲しい」




