二章二十八話目
一見したところ、とてもこの辺り一帯で一番おいしいチョナフを作る繁盛した店には見えなかった。
良く手入れされた様々な植物の植えられている庭には、一人の老婆が植物に水をやっている。
レイン達の馬車が近づいてくるのを見て、白髪の老婆が顔を上げる。
「あら、珍しい」
温和に笑う。
御者台にいる中年の男が庭にいる老婆に向かって大声をあげる。
「やあ、ユキエばあさん。元気かい? 今日は昼間から訪ねてきてすまねえな。何しろこの客人が、この辺りで一番うまいチョナフを食べたいと言っていてな」
ユキエばあさんと呼ばれた老婆は困ったように頬に手を当てる。
「あらまあまあ、この辺りで一番おいしいチョナフだなんて。シャールさんたら、嫌だわ」
馬車が白い家の庭の門の前で止まる。
男が御者台から振り返る。
「旦那と坊ちゃん、長いこと馬車に揺られてさぞかし腹が空いただろ。お題はきっかり百ティスにしておくから、この辺りで一番うまいユキエばあさんのチョナフを腹いっぱい食ってくれ」
「あぁ、ありがとう」
アンリは御者の男に百ティスを渡す。
男は地面に飛び降りる。
馬車の扉を開け、レインとアンリを降ろす。
「どうする? この辺りは他に馬車もないし、帰りまで待っていようか?」
御者の男が気を効かせて聞いてくる。
男の言うとおり、この辺りは民家と田園風景が続くばかりで、街からはかなり離れてしまっている。
移動手段は馬車以外無いように見えた。
アンリはやんわりと断る。
「有難いけれど、つれが迎えに来るはずだから、帰りはいいよ」
「そうかい? じゃあまたな」
そう言って、男は馬車の手綱を振るう。
がたごとと馬車が動き出す。
レインは首を巡らせて馬車を見送る。
馬車が見えなくなってから、背後から声をかけられる。
「あなたたち、シャールさんに言われて、わざわざ私のチョナフを食べに来てくれたの?」
レインの振り返った先には、白髪の老婆が手にじょうろを持って立っている。
「え、ええと」
レインはとっさに答えられないでいる。
代わりにアンリが答える。
「そうです。マダム、ユキエ。わたし達ははるばる遠いところから、あなたの作ったチョナフを食べるためにやってきたんです」
アンリは丁寧に頭を下げる。
「まあ、お上手ね」
老婆は口に手を当てて笑う。
石造りの門の木戸を開けて、二人を庭に誘う。
「本当は店に昼間はほとんどお客様が来ないのだけど。わざわざ遠いところからお客様が来て下さったのだから、無下にしてもいけないでしょうね。どうぞこちらに」
庭の中央にある白い踏み石の上を歩いていく。
老婆の後に、アンリとレインが続く。
レインは歩きながら、老婆の庭に植えられた植物を見回す。
ざっと見たところ、庭に植えられている植物のほとんどが食用になるハーブだった。
――ローズマリーにセージにタイム。こんなにも色々な薬草を育てているなんて、すごいな。これ全部、この人一人で育てているのかな?
まるで魔女の庭だ、とレインは心の中で考えた。
植物の中にはレインの知らない植物もあったが、おそらくは薬草の一種であることは想像がついた。
それらハーブを見て、アンリの前を歩く老婆、ユキエばあさんの人となり、その料理に興味を覚えた。
讃美歌が聞こえる。
色とりどりのステンドグラスから虹色の光が差しこみ、青い聖衣をまとった少年少女たちが美しい歌声を大聖堂に響かせている。
ラスティエ教国の首都セラフの宮殿内の一角にある大聖堂において、司教就任式が執り行われていた。
紫の聖衣をまとった十三枢機卿が壇上に並び、新しく司教になる少年を祝福する。
「汝、レイ・イール・アヴィニヨンを、新たに司教の位に任命する。天空神ラスティエの信仰を守り、たゆまず努め励むように。多くの迷える人々を救い導くように」
枢機卿の一人が聖水の小瓶を持ち、首を垂れた少年に振りかける。
「すべては天空神ラスティエの御名において」
枢機卿の声が大聖堂に木霊し、讃美歌の歌声がひときわ大きくなる。
「すべては天空神ラスティエのために」
少年はつぶやき、深く首を垂れる。
「では、新司教レイ・イール・アヴィニヨン。この杖を受け取りなさい。この杖は、汝の身分を保証し、汝を正しい道へと導くだろう」
枢機卿の一人が少年に司教の身分を示す黄金の杖を与える。
少年は頭を下げたまま与えられた杖を受け取る。
ゆっくりと顔を上げる。
その顔には自信に満ちた笑みが浮かんでいる。
年の頃は十六、七歳ほど、金色の髪に深い青色の瞳をした美少年だった。
杖を受け取った少年は、物怖じ一つせず居並ぶ十三枢機卿に告げる。
「我、レイ・イール・アヴィニヨンは、天空神ラスティエの天命に従い、リタ・ミラの種を芽吹かせ、必ずや滅びゆく世界を滅亡の定めから救ってみせます。決して他の国々を鈴牙国の二の舞にはいたしません」
よく通る声で、そう宣言した。




