二章二十七話目
しかし表向きそう書かれているだけで、後で調べたところ、父親は家には常に不在で、母親も神経を病んでいた。
ルーカスは妹と二人で、家事を分担し、アルバイトをして、苦労して学費を工面していた。
「せっかく、ラスティエ様にこんな素晴らしい力を与えてもらったのに、僕はそれを十分に生かすことが出来なかった。それどころか、クラスメイトを傷つけてしまった。これはとても許されることではありません。だから、僕は自分の命をもって、その罪を償います」
それからルーカスはどこまでも澄み渡った青い空を仰ぎ、聞き取れるか聞き取れないかの小さな声でつぶやいた。
「ごめんな、エーファ。お兄ちゃん、もうこれ以上心が保ちそうにないんだ。自分の不幸が、周囲の人たちの幸せが疎ましくて仕方がないんだ」
そう言って、ルーカスは屋上の手すりを乗り越えた。
おれは急いでルーカスの元に駆け寄った。
もしかしたら届くかもしれない。
ルーカスを助けられるかもしれないと、その時は思った。
けれどおれの伸ばした手は、あと少しのところでルーカスに届かなかった。
ルーカスは屋上から飛び降りた。
遥か下に見えるグラウンドの地面に向かって落下する。
数瞬後、ルーカスはグラウンドの地面に叩きつけられて絶命した。
おれは結局、ルーカスを守ることができなかった。
おれの目の前で、ルーカスは死んでしまったんだ。
そこまで話して、アンリは口を閉じた。
青く晴れ渡った空からは温かな日差しが降り注ぎ、穏やかな田園風景がどこまでも続いている。
馬車の車輪が小気味よい音を立てている。
レインは長い間沈黙していた。
アンリの次の言葉をじっと待っていた。
しかし結局はアンリがいっこうに口を開こうとしないので、自分が話すしかなかった。
「その後、怪我を負った生徒はどうなったんですか? ルーカスさんの家族はどうなったんですか?」
レインはかつて自分と同じようにリタ・ミラの種を持っていた少年のことを思った。
同時に、それは自分にも起こりうる出来事だと考えていた。
自分も精神的に追いつめられれば、折角授かった強力な法術も間違ったことに使ってしまうかもしれない。
他人に危害を加えてしまうかもしれない。
自ら命を絶ってしまうかもしれない。
その可能性を否定できない自分がいることに、レインは怖くなった。
――い、いや、でも、そうなると決まったわけではないし。
レインはその考えを振り払う。
――アンリさんも、僕がそうならないように、この話をしてくれたのかもしれないし。うん。
胸に手を置き、アンリの話を教訓のように胸に留める。
アンリはそんなレインを見て、深緑の目を細める。
「怪我を負った生徒は、病院を無事に退院したよ。運ばれた病院の医師や看護師も優秀だったからね。今はどこでどうしているのか」
遠い目をして、穏やかな田園風景の彼方を見つめる。
「よかった」
レインはまるで自分のことのように胸をなで下ろした。
「ルーカスの家族は」
アンリは口ごもる。
困ったように焦げ茶色の短い髪をかく。
「君も、いずれはどこかで会う機会があるだろう」
「え?」
レインは首を傾げる。
少し笑って、アンリは背後にいる御者台を振り返る。
「あれがユキエばあさんの店かい?」
馬の手綱を握る御者に尋ねる。
「ああ、そうだよ。ユキエばあさんの作るチョナフは、ここら一帯で一番の味さ」
御者は鼻歌交じりで答える。
アンリはレインに向き直る。
「聞いたかい? ここら一帯で一番おいしいそうだよ? それは楽しみだなあ。はるばるここまで来たかいがあるというものだよ。おれはもう腹が減って減って、腹と背中がくっついてしまいそうだよ」
「はぁ」
レインは曖昧に返事をする。
レインにとってはアンリから聞いたルーカスの話が衝撃的過ぎて、チョナフを食べたいという意識はそれほど強くなかった。
しかし上機嫌のアンリの気分に水を差すのも申し訳なくて、レインは馬車から身を乗り出す。
馬車の進む道の向こうに、一件の白い家が見える。
レインの見たところ、その白い家は普通の民家のように見える。




