二章二十一話目
レインの乗っている白い竜も、その突風を受けて真っ直ぐに飛べなくなる。
――これはただの風の法術じゃない。何重にも法術が重ね掛けされてるんだ。
法術の重ね掛けは、レインも知識では知っているが、まだ授業では習ったことがない。
大学の神学部に入り、専門的に法術の勉強をするようになって初めて習うことだった。
その威力を、レインは身を持って知る。
杖なし、補助の宝石なしで使う常人の法術ならば、せいぜいわずかに風を起こすくらいだ。
今男が使った宝石の中には、普通なら考えられないほどの強力な法術が封じ込められている。
恐らくは、あの小指の爪ほどのエメラルドは、ずっと希少価値のある高価な宝石なのだろう。
――僕が一生かかっても払いきれないかも。
レインはぶるりと身を震わせる。
男が値段は聞かない方がいい、と言ったのは、こういう意味だったのだ。
辺りはまるで嵐が来たかのような様相を呈していた。
風が渦巻き、雲が散らされ、黒い空船も風にもまれ、真っ直ぐに飛んでいることが出来ないようだった。
それは白い竜も同じだ。
レインは強い風にとても目が開けていられなくなる。
白い竜が羽ばたきを止め、その突風から逃れるように急降下する。
「今度はしっかり捕まっていなよ!」
風の音に混じって、男の叫び声が聞こえる。
レインは男の腰に腕を回し、しがみつく。
物凄い速さで、真っ逆さまに落ちるようにして、下降する。
黒い船のエンジン音が遠ざかり、ようやく風も収まってくる。
気が付けば遠くに見えていた生徒達の乗る列車が間近に迫っている。
レインはたまらず叫ぶ。
「ぶ、ぶ、ぶつかる!」
列車の車体が目の前に迫り、レインはそこから目を離すことができなくなる。
「はははっ」
白い竜の手綱を握る男は、おかしそうに笑っている。
竜は急降下して列車のすぐ隣を通り抜ける。
列車の窓から、驚いた顔の生徒達が口を開けてこちらを見つめているのが見えた。
白い竜はそのまま雲海に突っ込み、レインは虹色の靄に包まれる。
薄明るい靄の中は静かで、何の音もしなかった。
白い竜が体勢を立て直し、ゆっくりと翼を羽ばたかせる。
「そう言えば、君は娘のリシェンに言伝を頼まれた、と言ったね」
レインが虹色の靄を不思議そうに見回していると、男はおもむろに話しかける。
「あ、はい」
レインは戸惑いながら答える。
「リシェンは、元気だったかい?」
男の声にはしみじみとした響きがある。
レインは少し考える。
「はい、あなたのことを、父親のことを心配しているようでした」
「そうか」
それっきり男は黙り込んだ。
やがて虹色の雲海が晴れ、遥か遠い眼下に青い大海原が見えてきた。
それが地上の、海、と呼ばれることを、レインは知っていた。
海と呼ばれるところすべて、塩水で満たされていることも。
波立つ青い海面が、日の光を受けてきらきらと輝いている。
海面のすぐ上を、白い鳥の群れが滑るように飛んでいる。
レインは青い目を細める。
その青い地上の海を見ると、不思議と懐かしい気持ちになる。
「さて、と」
前に座る男が、大きなため息をつく。
「もうそろそろ、空賊の船は巻いたと思うし、上へ戻ろうか」
男は白い竜の手綱を操り、上空へと高度を上げる。
レインはもう一度地上の海を見下ろし、その光景を目に収める。
再び雲海の中へと突入する。
虹色の靄の中で男が、
「ところで君、学校の授業はいいのかい? ジョゼ神学校は、今日は休みなのかい?」
何気なく尋ねる。
「あっ!」
レインは今更ながら社会見学のことを思い出した。
列車の中に授業の荷物を置いてきたことや、オルグ達に何も言ってないことを思い出した。




