第56話 魔王軍緊急警戒態勢
ドルガ市街の守備隊本部では、砦から戻った兵士の報告を受け、将校たちが地図を囲んでいた。
「……斥候は、まだ戻らないのか」
留守指揮官の問いに、副官は首を振った。
「砦のあった場所を確かめに出ています。王国軍は、すぐに市街へ向かってくるのでしょうか」
「分からん。だが、砦を一撃で失わせる魔法があると分かった以上、来ないことを期待して守るわけにはいかん」
指揮官は地図上の守備区画を指した。市街の城壁には修復工事が終わっていない箇所もある。ガルベルトが魔王城へ出立する前には、敵が攻めてきても守備を崩して追撃するなと命じられていた。
「街道に近い兵は防御位置へ戻せ。斥候は敵の人数だけでなく、魔法使いの動きも見ろ。ただし、無理に砦跡へ近づくな」
「反撃部隊は出さないのですか」
「何に反撃する。敵の主力がどこにいるかも分からんのだぞ」
砦にいた兵士たちのことを思えば、敵を討ちたい者は多い。副官もそれ以上は言わなかった。報復に兵を出し、市街の守りまで失うわけにはいかない。
「ハルツ方面への急報は?」
「既に送りました。砦消滅と生還者の証言を添えています」
「ガルベルト将軍の一行が帰路にある。連絡がつけば、同じ報告を渡せ。魔王都にも最優先で届けるように」
指揮官は机の端に置かれた報告書へ目を落とした。砦は消え、守備隊の安否はまだ分からない。生還者の一人は、敵の少女に傷を治されて帰ってきたという。
『ルシエラ』
名前は残されているが、その少女が何者なのかは分からなかった。
「生きて戻った兵は休ませておけ。必要なら、あとで話を聞く」
「はっ」
指揮官は窓の外へ目を向けた。市街には、砦の消滅をまだ知らない住民もいる。次に同じ魔法がここへ落ちれば、城壁だけの問題では済まない。
◇
ガルベルトとヴェルナーが急報を受け取ったのは、ドルガへ戻る途中だった。
伝令は馬を降りるなり、息を整える間も惜しんで封書を差し出した。ガルベルトはその場で封を切り、数行読んだところで足を止めた。
「……ドルガ砦が消滅した?」
「敵に奪われたのではなく、ですか」
隣にいたヴェルナーが聞き返す。
「王国軍の魔法によって、建物も城壁も残っていないとある。守備隊の被害は調査中……」
ガルベルトは報告書を握りしめた。自分が守備を任せた砦だ。敵の攻撃を受けることは覚悟していたが、砦そのものを失うとは考えていなかった。
「市街は」
「守備隊が維持しております。王国軍の進軍は、今のところ確認されておりません」
「……よく踏みとどまった。指揮官には防衛を続けさせろ。こちらからも伝令を出す」
留守の指揮官は、命じられたとおり守備を維持している。責める理由はない。それでも、失った部下たちのことを思うと、ガルベルトの怒りは収まらなかった。
その間に、ヴェルナーはもう一枚の報告書を読み進めていた。
「将軍。これもご覧ください」
「何だ」
「生還兵が、人間側の少女に治療されたそうです。その少女は、仲間からルシエラと呼ばれていたと」
「……ルシエラ?」
魔王城の会議で、グラディオとヴェルナーが調査対象に挙げた五人組。その中にいた聖女の名前だった。
「同じ人物か」
「身元の確認は必要です。しかし、あの砦の現場にまで同じ名前が現れました」
「お前が言っていた、交戦相手の共通点か」
「はい。これだけ事例が重なれば、五人が関係している場合を想定して備えるべきです」
ガルベルトは報告書を見直した。自分の《ブラストフレア》が異常な威力を発揮したドルガ。他の四天王たちが不可解な目に遭った戦場。そして今度は、王国軍の魔法によって砦が消滅した。
「……敵まで、あのような力を使えるということか」
「魔法の仕組みは分かりません。しかし、同じ規模の攻撃をもう一度受けた時、ドルガの城壁で防ぎきれると考える根拠もありません」
「ハルツから予備兵力を動かせるよう準備させよう。市街の守備は維持するが、主要な指揮官までドルガに集中させるわけにはいかん」
「陛下にも、指揮機能の配置を含めて進言すべきでしょう」
二人はドルガへ向かう行程を見直した。帰任命令が取り消されたわけではない。だが、出発した時とは守るべきものの優先順位が変わっていた。
◇
魔王城に急報が届いた時、グラディオは各地の兵力配置を確認していた。
「……砦が、丸ごとか」
先日の会議で聞いた異常な強化は、いずれも自軍の将軍たちが経験したものだった。今度は、王国軍の魔法で要塞そのものが消えている。グラディオは報告書を閉じず、被害の記述をもう一度追った。
王国軍が意図して放った攻撃なのか、再び使えるものなのかは分からない。だが、次の一撃がドルガ市街へ向かう可能性を考えれば、確認を待っている余裕はなかった。
「ドルガの留守指揮官は、防衛を続けているな」
「はい。街道の監視と守備隊の再配置を命じたとのことです」
「よし。無理な反撃はさせるな。住民の退避に使える経路も確認させろ。敵がすぐに来ないとしても、準備はできる」
グラディオは地図を広げた。ドルガ市街、ハルツ前砦、ハルツ、そして魔王都。距離を取れば必ず安全になるとは限らない。それでも、主要な指揮官をドルガに集中させておく理由は、もうなかった。
「ハルツ前砦を、当面の前進司令部にする」
「陛下ご自身も、ですか」
側近が顔を上げた。
「俺も行く。四天王を全員呼べ。ヴェルナーにも、ハルツへ向かうよう伝えろ」
「四天王を全員、同じ砦に集めてよろしいのでしょうか」
「会議のためには集める。だが、敵の攻撃で指揮官をまとめて失うことがないよう、部隊配置と退避経路を分けろ。俺が移動するからといって、魔王都の後方業務まで止めるな」
側近は命令を書き留め、確認するように尋ねた。
「ドルガは放棄なさらないのですね」
「放棄するなら、それに見合う理由が要る。まだ敵は市街へ進んでいない。今ある防衛線を自分から崩すことはない」
グラディオは報告書を机に置いた。以前に命じた西進の見合わせと、危険な再現試験の禁止は変えない。今回は、守る側も同じような破壊を受ける可能性を考えなければならなかった。
「ただし、原因が分かるまで今の戦い方を続ける気もない」
その時、急報の末尾に記された一文が目に留まった。
『負傷兵を治療した人間の少女。名はルシエラ』
「……ヴェルナーが追っていた名前か」
「ヴェルナーには、この証言も渡せ。四天王が揃ったら、五人組への対処も検討する」
◇
その間に、リゼルの王国軍駐屯地にも司令部本隊が到着していた。
オスカー大佐はヴィクトル中将とレオンハルト少将を迎え、用意していた報告書を机に並べた。セドリックは作戦図に、ドルガ砦跡の被害範囲を書き込んでいる。
「結論から申し上げます。ドルガ砦の守備機能は失われました。ただし、補給馬車が通れず、市街への進軍は延期しております」
ヴィクトルは図面に目を落とした。
「……砦は、占領できていないのだな」
「はい。建物が残っておりませんので」
「守備隊を配置する場所もない、と」
「現状は、そうなります」
セドリックが別紙を差し出した。
「前線では通行可能な区間を調査し、工兵が復旧を進めています。現時点で補給馬車を通せる経路は確認できておりません」
「占領するために攻めた砦を、通れるように造り直しているわけか」
オスカーは答えなかった。否定できるところが一つもなかった。
「攻撃を行ったのは賢者ユリウス・フォルケン。本人にも制御不能だったと」
レオンハルトが報告書の一節を指す。
「そのように聞いております。術式そのものに異常は見つかっていないそうです」
ヴィクトルは顔を上げた。
「前線への緊急警告は、どうなっている」
オスカーが聞き返すより先に、レオンハルトが説明した。
「本部から別系統で発令した、支援技能の使用に関する指示です。大佐のところには詳細を通知していません」
セドリックは手元の通信記録を確かめた。
「少なくとも、こちらにはその受領報告がありません。前線側の記録と照合します」
「頼む。届いたかどうかさえ分からぬまま、次の戦闘を迎えるわけにはいかん」
ヴィクトルとレオンハルトは、王都にいた時から祝福による異常な強化を警戒していた。今回の報告を受けて、レオンハルトは次の確認事項を挙げた。
「ユリウス殿への聞き取りも必要です。魔法を使う直前、何が行われたのか。補助技能の有無も含めて確認します」
「そうしろ。それから、原因が分かるまで大規模な攻撃魔法は作戦に組み込むな。祝福の使用についても、以前の警告を徹底させる」
「前線の冒険者に、どのように伝えますか」
「まずは指揮官に運用を止めさせる。本人への説明は別に考える必要があるが、それで事故への備えまで遅らせるな」
オスカーとセドリックは命令を記録した。祝福に関する疑惑の詳細までは聞かされていないが、危険な支援技能を使わせないという指示は理解できる。
ヴィクトルは再び地図に視線を戻した。ドルガ市街を取り戻すには、まず道を通さなければならない。そして道ができた後の戦い方も、考え直す必要があった。
◇
ハルツ砦では、先着した士官たちが執務室を整え、各地からの報告を仕分けていた。ガルベルトとヴェルナーも、ドルガへの帰任先をハルツへ変更する命令を受け、そこで前線の情報を整理し始めた。
やがてグラディオと残る三人の四天王も順に到着した。その間もドルガ市街の斥候は王国軍の動きを探り、守備隊は防衛を続けていた。
全員が揃うと、グラディオは会議の席に着き、地図上のドルガ砦跡に印を付けた。
「確認できたことから聞こう。王国軍は市街へ進んでいるか」
「大部隊の進撃は確認されておりません。砦跡で道路の復旧と救助を続けているようです」
「城壁が消えたことで、向こうも補給路を失ったというわけか」
「はい。ただし、敵に進軍する意思がないとは考えておりません。ドルガ市街の守備は維持させています」
ガルベルトの報告を聞き、グラディオは頷いた。
「それでいい。今は攻めるより、攻められた時にどうするかだ」
ヴェルナーが二組の報告書を机に置いた。
「ドルガ砦の報告に、ルシエラという名前が出ました。リューベルと山脈で確認された五人組の聖女と、名前が一致します」
「その五人が、砦を消したというのか?」
「砦を消したのは王国軍の魔法です。ただ、異常が起きた戦場に同じ一行がいたのなら、調査の優先度を上げる理由になります」
「……対策を考えるだけの理由はあるな」
「そのために、一つ確認したいことがあります」
ヴェルナーは四天王へ向き直った。
「前の会議では、皆様の技能がどう異常になったかを聞きました。今回は違います。実際に戦った五人が、どんな動きをしたかを教えてください。推測ではなく、ご自身が見た範囲で結構です」
「だったら私からね」
ミゼリアが口を開いた。
「正直、弱かったわよ。うちの斥候たちとはそれなりに戦えてたけど、私が出たらまるで相手にならなかったもの」
「五人の戦い方そのものは、脅威ではなかったと?」
「ええ。動きも追いついてこなかったわ。厄介だったのは聖女の防御領域と、あの緑色の石。あれは別よ。本人たちが強かったわけじゃないもの」
「私が見た時も、五人だけでグランのような相手に正面から勝てるとは思いませんでした」
ロザリアも会話に加わった。
「ただ、ルシエラの防御は通常の魔法とは違います。守りを無視して捕まえるのは難しいでしょう」
「俺も五人の動きは見た。あいつらは連携してかかってきたが、俺の相手にはならなかった」
ディモスが腕を組んだ。椅子に座る姿は、以前よりずっと小さい。
「技も力も、俺から見ればまだまだだ。戦い甲斐があったのはグランだけだ。それより、今の俺自身が前と同じように戦えるか、まだ試しておらん」
「ようやく分かってくださったんですね」
ロザリアが安堵したように息を吐いた。
「うむ。だから、まず一度戦ってみる必要が――」
「分かってませんでした!」
ガルベルトが口元を押さえ、ヴェルナーは黙って記録を続ける。グラディオは片手で額を揉んだ。
「ディモス。お前の戦力を確かめる話と、敵の戦力を確かめる話を一緒にするな」
「む。どちらも戦えば分かると思ったのだが」
「その方法で一度死んでいるだろう」
「……確かに」
あまりに素直な返事に、今度はロザリアが言葉を失った。
ヴェルナーは話を戻した。
「通常の戦闘能力では、五人は四天王の方々に大きく劣っていた。そこは証言が一致しています。ただし、聖女の防御能力や、周囲で起きた異常な現象は別問題です」
「なら、まず所在と最近の行動を調べるのね」
ミゼリアの言葉にヴェルナーは頷いた。
「はい。今の居場所と行動を知らなければ、対処方法も選べません」
「敵を捕らえて調べる方が早いと思うけど?」
「その『捕らえる』までに、何が起きるか分からないでしょう。しかも、街に住んでいるのは兵士だけではありません」
ロザリアが口を挟むと、ミゼリアはすぐに言い返した。
「だから、街中で大勢が戦うのは避けるべきだと言ってるのよ」
「お前たち、意見が合っているのか合っていないのか、どちらなんだ」
グラディオの問いに、二人は顔を見合わせた。
「方法は違うわね」
「目的は同じです」
「……なら、その目的から決めよう」
グラディオはヴェルナーへ目を向けた。
「今の話を聞いて、どう考える?」
「通常の戦力差だけで判断するのは危険です。ルシエラの防御領域がありますし、周囲で起きた異常現象も無視できません」
「では、大軍で押し潰すか?」
「それは避けたいところです。兵を集中させた場所でまた異変が起きれば、一度に失うものが大きすぎます」
ガルベルトが腕を組んだ。
「なら、少数の精鋭で接近する手もある。大部隊を動かさずに済む」
「検討する価値はあります。ですが、防御領域を突破する手段も撤退方法も用意せず、送り込むわけにはいきません」
「では、今すぐできることは何だ」
グラディオが尋ねると、ヴェルナーはドルガ市街の位置を指した。
「五人の所在を優先して確認させます。見つけた斥候は独断で攻撃せず、人数、移動方向、周囲の兵力を報告する。既にドルガの近くにいるなら、現地の守備隊にも接触を控えるよう知らせるべきです」
「敵が向こうから攻めてきたらどうする?」
「市街の防衛を優先します。五人だけを追って守備を崩す理由はありません」
グラディオはガルベルトを見た。
「異存はあるか」
「ありません。現地には俺から伝えます。守備隊が勝手に追撃することのないよう、改めて徹底させましょう」
「それから、帰還兵の聞き取りを追加したいと思います」
ヴェルナーは、ルシエラの名が記された報告書を取り上げた。
「少女の容姿と同行者を、本人が覚えている範囲で確かめます。四天王の方々が見た一行と一致するかどうか。少なくとも、別の相手を追いかける危険は減らせます」
グラディオは頷いた。
「必要な手配をしろ。それと、五人への対処方法も並行して考えろ。危険が大きい以上、調査結果が全て揃うまで何も準備しないわけにはいかん」
「承知しました」
「ドルガの市街は守る。兵と住民を無駄に失わない。そのために必要なことを優先しろ」
会議が終わると、ガルベルトはドルガ守備隊への命令をまとめた。前線の警戒を維持し、王国軍の大部隊には引き続き備えること。そして、問題の五人組を発見した場合は、不用意に交戦せず位置と行動を報告すること。
ヴェルナーも帰還兵への追加の聞き取りと、偵察報告の収集を指示した。少数精鋭による接近や離れた場所からの監視など、対処方法の比較も進めることになった。
封をされた命令書が伝令へ渡される。
ハルツ砦を出た伝令は、ドルガ市街へ向かう街道を進んでいった。




