第1話 転生に気づいた直後に、ドン引き
転生している。
そんな自覚した後、初めて抱いた感情は――ドン引きだった。
◆ ◆ ◆
始まりは、ある昼下がり。
明るい庭園のテラスで、お母様に尋ねたこの一言だった。
「お姉さまは、いつわたしと遊んでくれるの?」
今までは毎日のように遊んでくれていたマリーお姉様が、七歳になった先月から急に遊んでくれなくなった。
それどころか、顔を合わせる機会が極端に減った。
会えるのは、食事の時だけ。
「マリーシア様は、前よりちょっと大人になって、忙しくなったのだ」とメイドのポーラが言っていた。
私は、子どもながらに「そうなのか」と一度は納得したのだけど。
すぐに寂しくなった。
思えば、九歳のお兄様も、お母様も、お父様も、常に忙しい人だった。
顔を合わせる事ができるのは食卓を囲む時だけで、お父様に至ってはその場にいる事も限りなく少ないと言っていい。
今までずっと、私の周りにはお姉様がいてメイドや執事たちがいて、だから寂しくなかったけど、遊び相手がいなくなって、初めて寂しさを抱いたのだ。
だから聞いたのだ。
それに返ってきたのは、苦笑とやんわりとした否定である。
「マリーシアは、お勉強で忙しいのよ。貴女もいつかそうなるわ。だって、それこそが――貴族として生まれた者の《《義務》》なのだから」
――義務。
その言葉が、私をある記憶に追い立てた。
パソコン画面、内線電話、机の上に乱雑に積まれた紙資料に、決裁書を綴じた分厚いファイル。
「定時退社? できる訳ないだろ。そんなことしてみろ、やれ『お役所仕事だ』、やれ『税金泥棒だ』って言われるのがオチだ」
「俺たちの仕事は、やって当たり前、できて当たり前。そのくせ一つミスすれば、やんややんやと取り上げられる」
バラバラと頭上から落ちてくる、そんな言葉たち。
「まったくやってらんねぇよ。何で半強制的に労働組合に入った挙句に、組合の仕事で労働が増えてんだよ」
「準公務員なんて、公務員からすれば別枠扱いで、一般会社員からすれば公務員扱いで。似たような仕事をやってても、一般会社員の方が給与は多い。年功序列で無能が役職持ちだったり、周りから『天下りの温床だ』って言われたり。俺たち一般職員は、天下ってねぇっつうの!」
昼休みに先輩から半強制的に聞かされた、愚痴たち。
他にも、毎月各市町村役場へ送る郵便物の中身を「間違いがあってはならない」と神経をすり減らしながら確認し封入する日々。
雑務だから、誰にでもできる作業だからと、たらい回しにされた仕事。
ストレスの溜まる人間関係。
給料と役職に見合わない大きな責任。
そんなものがまるでコマ切れ状に、思い出されては私という名の人格にしみ込んでいく。
「うちに雇われてるんだから、ちゃんとその責任は果たせよ」
残業・休日出勤なんて、当たり前。
断る権利なんてなかった。
天下ってきた上長は、仕事をサボっても誰にも何も言われない。
平社員の事になんて興味はなく、残業と休日出勤、業務処理数の数字だけを見て、あれやこれやと口を出して、仕事をしたような気になって――。
「××さん? ××さんっ! 誰か、救急車!!」
薄暗い視界の中、そんな声が聞こえたような気がした。
いつか、誰かが、この状況を変えてくれると思っていた。
でも、信じていた《《いつか》》も《《誰か》》も、結局私のところには来なかった。
――そんな、記憶だった。
思っていた職場環境とは、大きくズレていた現実。
それでも逃げ出せずにいた結果、私は享年26歳で前世の人生に幕を閉じた。
そんな大人の理解力が、四歳児の記憶の中にある音を、情報として処理し急速かつ強制的に、現状把握をさせてくる。
膨大な量の情報が一気に流れ込んでくるのとは、少し違う。
まるでバラバラだったパズルのピースが、互いを吸い寄せるようにして嵌っていくかのようだった。
穴あきだった情報が、どんどんと埋まり、意味を成していって――。
「セシリア? どうしましたか、急に呆然として」
「……はっ!」
声を掛けられ、息をしなければ死ぬんだという事を思い出した。
気づかぬうちに止めていた呼吸を、慌てて再開する。
自ずと、「はぁ、はぁ」という強い息遣いになった。
『セシリア・オルトガン』の現実が戻ってきたような気分になった。
そう、私はセシリア・オルトガンだ。
赤みがかった金髪に、ペリドットの宝石をそのままはめ込んだかのような瞳。
彼女は滑らかな肌とモチモチほっぺの持ち主で、体同様に手足も小さく、幼児特有のフクフクさを残している。
テラスの窓ガラスには、そんな幼児の姿が映っている。
上の二人の兄姉と同様に、美しい母親の容姿をまるっと受け継いでいるセシリアは、妖精のように可愛らしい。
「お、お母さま。さっきのお話なんだけど」
「なぁに? セシリア」
目の前では、見るからに高そうで綺麗なドレスを着た美人が、優雅な所作でティーカップに口を付けている。
前世の私より一回り弱は年上の筈なのに、綺麗な金髪に瑠璃色の瞳が厭に美しい。
お肌なんて、残業・休出続きだった私とは比べ物にならないくらいにツルスベピチピチで、最早あまりの違い様に嫉妬すら湧かないレベルである。
なのに。
「わたしもマリーお姉さまみたいに、七歳になったら『おべんきょう』を始めて、十歳になったら『しゃこうかいでびゅー』して、十二歳になったら『がくえん』に行って、十六歳で『けっこん』して、それからは毎日『りょうち』と『りょうみん』のために『しゃこう』をして、『しょるいしごと』をして、『しさつ』をしないといけないの?」
「そうよ」
お母様は涼しい顔で、思い違いであってほしかった現実をサラリと肯定した。
「ねるまもおしんで?」
「そうよ」
「『すいみんじかん』は?」
「お父様は領地経営があるから勿論の事、私も方々への手紙の返信とかがありますからね。平均四時間くらいかしら。あ、貴方たち子どもはちゃんと六時間は眠れるわよ」
「……お母さまは、きょうはお休みでしょう? 何日ぶりのお休みなの?」
「えぇ? どうかしら。たしか前のお休みは、貴女たちと一緒に春の花を見に行った頃だったかしら」
さも当然のようにスラスラと出てきた答えの数々に、私は思わず絶句した。
貴方はさも「子どもにはきちんと十分な睡眠時間を確保していますよ」とでも言いたげだけど、子どもで睡眠時間六時間は、ちょっと少ない部類だからね?!
ドン引きだよ!
それに、今の季節は夏。
これは単純計算になるけど、下手したら三カ月は休みがなかった事になる。
ドン引きだよっ!




