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姉が悪役令嬢にされたので、商人の妹が嘘を暴きます  作者: ゆきだるま
第一章

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動く盤面

夜会の大広間は、すでに人で満ちていた。


高く掲げられたシャンデリアの光が磨き上げられた床に反射し、金や銀の装飾をまとった貴族たちの姿を柔らかく照らしている。

幾重にも重なるざわめきは、社交界特有の緊張と期待を孕みながら、今宵の主役が誰であるのかを探るように、絶えず視線を行き交わせていた。


その中で、楽団の指揮者が静かに手を上げる。次の瞬間、最初の一音が大広間に落ちた。


それだけで、ざわめきは波が引くように静まり、中央に自然と空間が生まれる。そこへ視線が集まる中、シルヴィオがゆっくりと一歩踏み出した。やがて彼は、隣に立つリナリアへと手を差し出す。


「踊るぞ」


「はい」


低く、迷いのない声に、リナリアは自然な所作でその手を取った。一歩踏み出した瞬間から、二人の動きは音に溶け込むように重なっていく。


シルヴィオのリードは正確で無駄がなく、強引さはないのに決して軌道を外させない。その流れに、リナリアは一切の遅れも見せず応じ、回転に合わせて白のドレスがふわりと広がる。


過度な装飾のないその衣装は、かえって動きの美しさを際立たせ、布の揺れや身体のライン、首筋のしなやかな動きを鮮やかに浮かび上がらせていた。


積み重ねてきた練習が、今は意識せずとも自然に形になる。踏み込みも、回転も、距離の取り方も、すべてが噛み合い、ひとつの流れとして完成していく。


「……合わせている、ではないな」


「引けを取っていないどころか……」


視線の質が、明らかに変わっていく。その中で、リナリアはふと微笑んだ。

緊張を押し隠したものではなく、心から楽しんでいると分かる自然な笑みだった。


その一瞬で、場の空気がさらに深く動く。


シルヴィオはそれを横目で捉えながら、わずかに腕を引き、流れの中で自然に距離を詰めた。ダンスの一部にしか見えないその動きで、リナリアとの間合いを自分の側へと寄せる。


(……当然だ)


これくらいで揺らぐ女ではないと分かっているからこそ、その視線が自分以外へ向くことに、わずかな苛立ちが混じる。


「俺を見ていろ」


耳元で低く落とされた声に、リナリアの意識がまっすぐ戻る。余計な思考が消え、動きはさらに迷いをなくした。


やがて曲が終わり、最後の音が静かに消えると、一拍の静寂のあとに拍手が広がる。


それは形式的なものではなく、はっきりとした評価を含んだ音だった。


その余韻が残る中、最初に動いたのは第一王子派の上位貴族たちだった。


「シルヴィオ様、お戻りを心よりお待ちしておりました」


「ローデリア嬢、本日はお目にかかれて光栄にございます」


「ご婚約おめでとうございます」


その一礼を皮切りに、人の流れが一気に二人へと集まっていく。


挨拶、探り、牽制、それらすべてが混ざり合った言葉が交わされる中で、リナリアは静かにその中心に立っていた。


視線を受けても揺れず、ただ必要な分だけ微笑み、必要な分だけ言葉を返す。短く、的確に、過不足なく。

それだけで場の空気が自然と整えられていく。


(……やはり、場慣れしている)


シルヴィオは隣でそれを見ながら、商会で積んできた経験がそのまま活きていることを確信し、自分の相手に集中する。


その中から、一人の貴族がゆっくりと歩み出た。整った笑顔の奥に、探るような色を滲ませながら。


「お見事でしたな、リナリア嬢」


「ありがとうございます」


リナリアは柔らかく応じるが、姿勢も視線も崩れない。男はシルヴィオがこちらを見ていないことを確認し、わずかに距離を詰める。


「ローデリア家は、最近何かと話題が多い。姉君もご苦労が多かったことでしょう」


周囲がさりげなく聞き耳を立てている気配を察しながら、リナリアは笑顔を崩すことはない。男は張り付けたような笑顔で続けた。


「……それを収めるため、今度は妹君が表に出てくるとは、随分と手際がよろしい」


「ええ、ローデリアは常に備えていますので。必要な時に、必要な手を打てるように」


と続けるその声は穏やかでありながら、明確に偶然ではないことを示していた。周囲の空気が張り詰めていく。


男がリナリアの返しに一瞬言葉を失った、その時だった。


「随分と、楽しそうだな」


低い声が割り込む。シルヴィオがすぐ傍に立ったことで、空気が一段沈む。男はビクッと背中を震わせて慌ててリナリアと距離を取る。


「い、いえ……ご挨拶を」


「そうか」


短く返されただけで、それ以上踏み込む余地は消えた。男は即座に一礼し、その場を離れる。


「問題ないな」


「はい、大丈夫です」



その一方で、別の一角では、まったく異なる空気が広がっていた。

第二王子派の貴族たちの間に、明確な動揺が走っていたのである。


「……待て」


一人が低く呟き、視線がシルヴィオに釘付けになる。


「……あの顔、どこかで……」


記憶が蘇る。商会での交渉、流通の調整、圧力をかけたあの場。そして、ある結論に至った瞬間、血の気が引いた。


「……アルヴェスト商会の……会長だ…!」


その名が出た途端、空気が凍りつく。


「な……に?」


「いや、だが……」


「間違いない……!」


「我々がやったことが……全部、見られていた……?」


点が繋がる。流通の遅延、資材の押さえ、意図的な操作。最悪の想定が現実味を帯び、場の余裕は一気に崩れた。


「……まずい」


「相手はヴァルクスだぞ……ただの商人じゃない」


「証拠は残っているのか……?」


「今すぐ止めろ!」


「流通への圧力はすべて中止だ!関係書類も契約も証言も――全部消せ!」


「一つも残すな!」


焦りが伝播し、鋭い声が飛び交う。命令が重なり、混乱は加速する。


「急げ!!」


「今すぐ動け!!」


「遅れれば終わる!!」


それまでの余裕は跡形もなく消え、焦燥に駆られた貴族たちが散るように動き出していった。


その様子を、シルヴィオはほんの一瞬だけ視界に入れる。


だが次の瞬間には、何事もなかったかのように視線を逸らした。


「次へ行くぞ」


「はい」


リナリアは自然に応じ、並んで歩き出す。人の流れは、再び二人のために道を開けた。


その中で、リナリアはふと横目でシルヴィオを見る。そして静かに思う。


(……この人、どこまで分かってたの)


配置も、流れも、タイミングも。

すべてが最初から組まれていたかのように繋がっている。恐ろしいほどに。


だが同時に理解する。これはもう、ただの婚約ではない。


二人が並ぶことそのものが、すでに一つの力になっているのだと。

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