第53話 魔樹を巡る攻防④
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シムルグの身体は、あきらかに限界に近かった。
何度も体力を回復してきたとはいえ、その間に繰り返した激しい戦闘が全身を蝕んでいるのだろう。
あるいは実そのものに過剰なエネルギー消費を促す何かがあるのかもしれない。
自衛隊がシムルグの体力を大きく削ったおかげと言えた。
魔樹の実を求め上空へ舞い戻ろうとしたが、すでに思うように羽ばたくことができないのか、斜めに旋回しながら力尽きるように地面へ落ちていく。
その衝撃で地表が砕け、血の混じった土煙が舞い上がる。
「鳥が……落ちた」
残った隊員たちが呆然と呟く。
黒い怪鳥は地面をのた打ち回り、そのまま微動だにしなくなる。
霧もどことなく薄らいできているようだった。
霧が薄くなればモンスターの数も減る。
実際にはまだ何匹か生き残ってはいるのだろうが、明らかにその数は減っていた。
「……勝てるのか?」
そう呟いた隊員がいたが、誰一人として勝利の実感を持っていなかった。
生き残った者はわずか。
周囲には無数の死体と、燃えかけの車両、破壊されたビルの残骸ばかり。
そして、指揮官である松浦もいない。
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公園の中心付近。
三崎たちはあと少しで魔樹に手が届くかという場所まで迫っていた。
しかし、中心部は霧が濃く視界がきかない。
さらに蔦や根に足を取られ、思うように動けなかった。
アーマード・ベアは満身創痍。
ゴブリン・キャスターの術も、すでに威力が格段に落ちている。
そして──シムルグが死んだ事と何か関係があるのか、魔樹自体が激しくうねり始めたのだ。
幹から滴る血液のような液体が周囲をじゅくじゅくと浸し、地面を侵食していく。
「これ、下手に近づいたら危ないよ……!」
麗奈が絶叫に近い声で言う。
アーマード・ベアの脚にも腐食液がべっとりと付着しており、じわじわと毛並みを焼いている。
このまま続行すれば、モンスターたちが先に力尽きる可能性が高かった。
「お兄ちゃん、退こう! 今はもう無理だよ! 自衛隊のみんなも……支援をしてくれる余裕がなさそうだし」
麗奈の言葉に、三崎も苦渋の表情を浮かべながら頷く。
「わかった……一旦離れよう」
松浦が死に、部隊が壊滅的被害を受けたという事実は大きい。
モンスター群に対しての抑えが期待できず、三崎らの余裕もない。
「……撤退しよう」
三崎は力なくそう言った。
「ごめん、麗奈。せっかくここまで来たのに」
「いいよ、これ以上犠牲が増えても意味ないもん。……もう、遅いかもしれないけど」
麗奈は消え入りそうな声で応じながら、アーマード・ベアの背中を優しく撫でる。
「くまっちは限界だな。召喚モンスターは死んでもクールタイムの後に生き返るけれど、召喚解除をして休ませてあげればもっと早くに復帰できる。多分くまっちのクールタイムは長いはずだから、一度休息させてあげたほうがいいよ。──この状態で無理させるのは可哀そうっていうのもあるし」
三崎がいうと、麗奈は頷いて召喚を解除した。
赤い光の粒子となって消えていくアーマード・ベア。
それを見届けて、今度はゴブリン・キャスターを見る。
視線と視線が合い──やがて三崎が頷いた。
両者の間になにがしかの意思疎通が行われたようだ。
そしてゴブリン・キャスターも緑の粒子となって消えていった。
◆
そうして、三崎たちとわずかに生き残った自衛隊員は一時的に撤退を決めたのだった。
痛々しい姿の隊員らはもうまともに歩けない者も多く、互いに支え合いながら何とか公園の外へ逃げ出す。
振り返れば、魔樹が赤黒い瘴気を撒き散らしながら揺れている。
あれが完全に破壊されない限り、この街の危機は続く。
そもそも街規模で収まるのかもわからないが。
「俺たちは……どうすればいいんだ……」
肩を貸し合って歩く中で、誰かが呟いた。
「知るか、そんなの……」
疲労と悲しみからか、皆ぼんやりした様子だ。
明確な行き先などない。
ただ、この場にこれ以上いれば死ぬ──それはわかりきっていた。
三崎と麗奈は、無言のまま生き残りの自衛隊員たちについていく。
逃げ道は少ない。
薄らいだとはいえ、まだ霧が立ち込めている。
やがて半壊したビルの廃墟の陰で、全員が静かに息を整え始めた。
重傷の隊員を路上に寝かせ、何人かが必死に止血を行う。
「準備を整えて、もう一度挑戦だね……」
三崎が自分自身に言い聞かせるように呟くと、麗奈が小さく頷く。
「うん……また、準備して……必ず魔樹を壊そう……」
麗奈の声には力がない。
「……隊長……」
ある隊員が、松浦の名を呟いて膝をつく。
もう戻らない尊敬する上官の死。
それで得たものがあれば慰め程度にはなるだろう。
しかし何もない。
何もないのだ。
怪我人と死人が出ただけ──要するに無駄死にである。
誰もが疲れきっていた。




