第103話「再会」
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中野区と新宿区を隔てていた不可視の壁──バリアは、魔樹が倒れたのとほぼ同時にまるで陽炎のように揺らめきながら消失した。
誰もが新宿区側から大量のモンスターが雪崩れ込んでくる事態を覚悟したが、意外にもその気配はない。あるいは、この一帯のモンスターを統率していた大型魔樹が完全に破壊された影響なのかもしれない。
それから数時間も経たないうちに待機していた自衛隊の支援部隊が、瓦礫の山を越えて続々と中野区内へと進入を開始した。装甲車やトラックが列をなし、重装備の隊員たちが素早く展開して防衛線を構築していく。
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戦況がひとまずの落ち着きを見せたのを確認し、三崎は残留部隊に後を任せ避難所へと戻るトラックに乗り込んでいた。
──さすがにくたびれたな
三崎は車内で大きくため息をついた。自分の中の何か大切なもの、エネルギーというか生命力の様なものがごっそりと抜けてしまっている気がしたのだ。
車窓から流れる景色は相変わらずの廃墟だが、霧が晴れた空はどこか明るく感じられる。だが三崎の心は晴れなかった。
あの白い虚無で何を見たのか、今となっては思い出せない。ただ体の中に──いや、心の芯に赤い炎がくすぶり続けているのを感じている。
そしてそれと同じくらい強く、三崎は麗奈の事が心配だった。
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臨時避難所と化した物流センターに到着すると、そこには激しい戦闘の爪痕が生々しく残っていた。
壁には巨大な爪痕のようなものが刻まれ、地面には黒ずんだ体液の染みが広がっている。そして、戦いの後の熱気に隠れる様に──
三崎は方々で嘆き、悲しむ人々を努めて視界に入れない様にする。どうにもできないからだ。
モンスターの中にはあるいは死者をも蘇らせるものがいるのかもしれない。だが少なくとも、今の三崎にはその様な力はなかった。
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避難所の人々は自衛隊の指揮のもと、復旧作業に追われていた。
三崎はトラックから降りると、逸る気持ちを抑えながら覚醒者用の大型テントへと向かった。
「お兄ちゃん!」
天幕をくぐろうとした、その時だった。待ちわびていた声が三崎の鼓膜を震わせる。
振り返ると同時に腰を落とす。同時に、どんと強い衝撃が三崎をよろめかせた。
腕の中には麗奈。頬は少しやつれているが──
──うわ
三崎は内心でそんな事を思う。
目だ。目──瞳が爛々としている。なんというか、迫力があった。
それもそうだろう、この避難所で麗奈は多くの人間の死を目にした。それだけではなく、自身も死線を超えてきた。目の一つや二つはギラつくというものだった。
「麗奈、大丈夫だった?」
「まあね、お兄ちゃんも」
麗奈はそう言って安心させるように微笑む。二人は互いの無事を確かめ合うように見つめ合う。
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テントの中に戻った二人を待っていたのは、見覚えのある少女だった。
「あ、三崎さん!」
春野菜月が嬉しそうに立ち上がる。その隣には、黒いスーツに身を包んだ女性が静かに佇んでいた。鋭い眼光と引き締まった体躯から、只者ではない雰囲気が漂っている。
「初めまして。イノベイターの伊丹と申します」
女性は軽く会釈をした。声は落ち着いているが、どこか品定めをするような視線が三崎たちを捉えている。
「春野さん、どうしてここに?」
三崎の問いに、菜月は困ったような表情を浮かべた。
「実は……三崎さんたちが渋谷に行くって聞いて。私も一緒に行きたいんです」
麗奈が眉をひそめる。
「でも、危険だよ?」
「分かってます。でも、私にも探している人がいるんです。それに……」
菜月は拳を握りしめた。
「イノベイターで訓練を受けて、前より強くなりました。足手まといにはなりません」
伊丹が口を開く。
「春野さんの希望もありますが、我々としても単独行動は推奨していません。そこで私が同行させていただくことになりました」
──護衛、か
三崎は内心で呟く。表向きはそうだろうが、別の意図も感じられた。
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四人はテントの中で車座になった。互いの経験を共有する時間が必要だった。
三崎と麗奈は中野区での戦闘について詳しく説明した。巨大な魔樹との死闘、謎の白い空間での体験、そして新たに得た力の片鱗について。
「お兄ちゃん、すごい!」
麗奈が感心したように呟く──まあ麗奈の場合、三崎が何をしようが凄いとか素敵とか、そういう事を言うのだが。
「まだ完全にコントロールできないけどね」
次に菜月が口を開いた。
「私はイノベイターで、主に近接戦闘の訓練を受けました。体術を中心に、モンスターとの実戦的な戦い方を学んできました」
伊丹が補足する。
「覚醒者の能力は千差万別ですが、基本的な戦闘技術は共通しています。イノベイターでは、その基礎を徹底的に叩き込んでいます」
そして伊丹は組織について説明を始めた。
「我々イノベイターは、覚醒者による覚醒者のための組織です。政府や自衛隊とは独立した立場で、覚醒者たちの保護と育成を行っています」
「なぜ独立を?」
三崎の問いに、伊丹は少し考えてから答えた。
「覚醒者は単なる戦力ではありません。新しい時代の担い手です。既存の枠組みに縛られず、自由に活動できる環境が必要だと考えています」
──理想論だな
三崎は思ったが、口には出さなかった。
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ルートの検討に入ると、伊丹が詳細な地図を広げた。
「渋谷へは幾つかのルートがありますが、現在最も安全なのはこの道です」
彼女の指が地図上をなぞる。
「明治通りを南下し、新宿区の外縁を通って渋谷区北部へ。ただし、ここ数日で状況が変わっている可能性もあります」
麗奈がアーマード・ベアを召喚し、その背に荷物を載せる準備を始めた。巨大な熊は大人しく座り込み、時折鼻を鳴らしている。
「物資はどれくらい必要かな?」
「最低でも三日分。戦闘で消耗することを考えれば、もう少し余裕を持った方がいいでしょう」
伊丹の助言に従い、四人は食料、水、医薬品、弾薬などを分担して運ぶことにした。
菜月が緊張した面持ちで荷造りをしている横で、三崎は吉村の元へ向かった。最後の挨拶と、追加の情報収集のためだ。
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吉村は相変わらず地図と睨めっこをしていた。
「……そうか。君たちは渋谷へ行くのか」
三崎の話を聞き終えた吉村は、深くため息をついた。
「引き留めたいのが本音だ。君たちの力は、これからの戦いで大きな助けになるだろうからな。だが……君たちには君たちの目的があるのだろう」
吉村は三崎の肩をぽんと叩いた。
「分かった。君たちの意志を尊重しよう。これまでの協力、心から感謝する」
そして声を潜めて続けた。
「イノベイターの伊丹という女性が同行すると聞いたが……気を付けろ。彼女は元軍人だという噂がある。腕は確かだろうが、組織の意向を第一に考える人物だ」
「分かりました」
「彼らの理念は立派だが、覚醒者を集めて何をしようとしているのか、その真意は分からん。君たちが利用されないことを祈っているよ」
最後に吉村は、渋谷区の最新情報を三崎に伝えた。
「二日前の偵察では、渋谷駅周辺に巨大な肉塊のようなモンスターが確認されている。避けて通れるならその方がいい」
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準備を終えた四人は翌日、朝早くから避難所の正門前に集まった。
陣内たち自衛隊の面々が見送りに来ていた。
「んだよ、結局行っちまうのか。まあ、死ぬんじゃねえぞ」
ぶっきらぼうに言う陣内の隣で、アングリー・オーガが退屈そうに欠伸をしていた。
「陣内、それにみんな、本当にありがとう」
三崎が頭を下げると、陣内は照れくさそうに手を振った。
伊丹が先頭に立ち、その後ろに三崎と麗奈、最後尾に菜月という隊列を組む。
アーマード・ベアは麗奈の横を歩き、警戒を怠らない。
「では、出発しましょう」
伊丹の号令で四人は歩き始めた。
朝焼けに染まる廃墟の街を、渋谷へ向かって。




