来訪者
また時が過ぎました。といっても例の如く時間の感覚が薄いもので何分たったのかは分かりません。
胸のつかえが降りたおかげか、眠気がやってきました。
うつらうつらと舟を漕ぎ、湯に揺蕩っているような心地よさを感じていました。戦場に来て以来、忘れていた眠りの癒しが僕の体を包んでくれていたのです。
眠るか眠らぬかの瀬戸際を漂っていましたが、戸を叩く音に起こされました。心地よい眠りから起こされた僕は苛立ち気味に
ー誰だ。
と、尋ねました。
ですが、名乗る言葉は返ってきません。ただ、誰かがコンコンと扉を叩いているのです。
次第に苛立ちは萎え、気味が悪く思えてきました。
ーいい加減にしろ。名乗らないならまだしも何かを言え。
弱く光が漏れる扉を睨みました。扉越しに僕の意思がわかったのか、おずおずと小さな声が返ってきました。
「牧師様ですか?」
扉越しで声はくぐもっていましたが、若い男の声でした。
その問いは僕を迷わせました。心の底から信じることできない僕が、聖職者を名乗って良いものかと思ったのです。
僕は答えに窮していると不安げな声で
「違うのですか?」
ーあぁ、牧師だ。
自分でもわからないのですが、若い兵士の声を聞いて、咄嗟にそう答えました。
直前まで迷っていたというのに、不安げな声を聞いた途端、声を発していたのです。
僕の返答にいくらか安心したような声で「そうですか。よかったです」と返ってきました。
「…僕は死ぬのが怖いです。臆病風に吹かれた僕を許してください。ですが、どうしようもなく足がすくんでしまうのです」
若い兵士の言葉は坦々と続きました。
「牧師様。このままでは満足に戦えるかわかりません。どうか…」
その先に続く言葉を僕は聞きたくありませんでした。出来る事なら耳を塞いで、尻尾を巻いて逃げたいと思っていました。
「僕に勇気をください」
その言葉を聞いた時の僕の思いは、うまく言葉に出来ません。
ただ、嫌な気持ちでしたよ。だって、ほんの少し前に放り投げた事が、またすぐにやってきてしまったんですから。
きっと真っ当な聖職者なら一にもニにもなく祝福を授けるのでしょうが、あの時の僕には余裕がなかった。自分を自制することも、言葉を選ぶ余裕もなかった。心で思ったことがそのまま口に出ていました。
ー勇気など要らない。何故逃げない。
扉の向こう側にいる兵士はきっと呆然とした表情をしていたと思います。
ー死にたくないのだろう?お前のそれは何も悪いものじゃない。人間が生きたいと思うのはいたく自然なことじゃないか。美味いものを食いたい、良い女を抱きたい、そう思うことは自然の摂理だろう。
口をついて出た言葉にしまった、と思い、自分の口に両手を重ねました。
しばらく、僕たちを重苦しい沈黙が包みました。
ーすまない。僕は牧師にはなれない。君を、君たちを救えない。
僕は喉から血が出るような思いでポツリと呟きました。
もう自分の無力さを味わうのは耐えられませんでした。これ以上傷つきたくはなかったんです。
「何か…あったんですか?」
初めは聞き間違いかと思いました。
僕は扉を隔てて目の前にいるであろう兵士の、救いの求めを断ったのです。 憤慨し、僕のことを手酷く罵りこそすれ、まさか心配されるとは思ってもいませんでしたから。
平時の僕ならば、兵士からの問いかけを誤魔化していたでしょう。
自分の至らなさが発端の出来事です。
人に話すのはあまりに恥ずかしいことですので。ですが、現実に打ちのめされた僕は、自分を嘲りたかった。誰かから罰を受けたかった。
あなたもわかるかもしれません。いや、誰だってある経験でしょうね。どうしようもなく自分を貶したいという時が。
だから、話したんです。
吶々と自分に起きたことを話しました。所々で自分を馬鹿にするような言葉を交えつつつ。
話している時にどうしてか自分の顔に笑みが浮かぶことが度々ありました。 きっと、自分を嘲笑していたのでしょうね。
そうして、身の上話を語りました。
語るほどに強張っていた口はほぐれ、頭の中に情景が一つ一つ鮮明に浮かび上がってきました。
誰かに何かを話すというのは良いものですね。
自分の中でぐちゃぐちゃになっていたことがまとまっていくのを感じました。
形容し難い感情が形を成していき、飲み下せないまでも、直視できる程度には感情が落ち着きました。
僕が語り続けている間、兵士はただ黙って耳を傾けてくれていました。
話終わり、僕は羞恥心がじわじわと芽生え始めました。
誰かに話すことで煮えた頭が落ち着いたのかもしれません。
ーつまらない話を聞かせた。忘れてくれ。
恥を隠そうと思い、ぶっきらぼうに言いました。
ーそういう訳だ。すまないが俺には出来ない。
「…親友が死んだんです」
突然の言葉に僕は、は?と間抜けな声を出していました。
僕の動揺をよそに外の兵士はただ静かに語り始めました。
何を?と半ば混乱していましたが、先に身の上話をしてしまった以上、相手の話を聞かなければなりません。
とにかく、耳をそばだてて僕は聞くことに集中しました。
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