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死体を薪に、兵士よ進め  作者: かきあつ
前線奪還戦
13/32

悪魔の言葉

 目を覚ました時、視界は暗闇でした。湿った空気と柔らかい土を手の平に感じていました。

 そこは前線の端に位置する壕の中でした。洞穴のようになっており、入口から階段を使って壕に降りてくるようになっていました。

 今だから壕の中は様子を語れますが、あの時はそこがいったいどこなのかなんて皆目検討がつかなかった。

 どうしてここにいるのか、直前の記憶がおぼろげでした。放心状態で暗闇を見ていると、次第に断片的ですが記憶が形を成してきました。

 戦場、塹壕、高台、仲間と血、はっとして体を勢いよく起こしました。すると、頭に鋭い痛みが走りました。

 痛みに顔をしかめながら、恐る恐る手をやるとこめかみあたりに包帯が巻かれていました。といっても自分の手すらも見えないほどの暗闇でしたので、手に触る感触でそうわかりました。


 少佐に殴られたことを思い出しました。きっとその時に昏倒したのだろうということもわかりました。

 あの時は焦りましたよ。もう戦いは始まっているのか、もしかして終わってしまったのじゃないか、と。


 壕の中を見回しました。暗闇に目が慣れ始めており、内部の輪郭がわかるようになっていました。

 四方3メートルほど、天井までは1.5メートルほどの小さな壕で、左右に粗末なベンチがありました。光源となるものは木戸の隙間から入ってくる光のみで、かろうじて部屋の奥の壁が見えるくらいの薄暗さでした。


 飛びつくようにして木戸まで駆け上がり、強く叩きました。


―おい、誰かいないのか。ここを開けてくれ。


「起きたか。頭は痛むか?」


―よかった。人がいたか。ここを開けてくれ。どういうわけか開かないんだ。


「かんぬきがかかっているからな。悪いことは言わないからそこで大人しくしておけよ」


 聞き分けのない子供に諭すような口調でした。

 それは出来ないんだ、と僕は声を荒げますが、そんなことで事態が好転するとは思いません。

焦ってはいましたが、いくらかものを考える頭は残っていました。


ー誰の指示だ。目的はなんだ。


「それは言えない。君はそこにいて居れば良い」


ー話を聞け、誰がこんなことをしろと言ったんだ。貴様の上官を呼んで来い。


「上官は関係ない。私は軍医だ。現場を預かっている。大将、中将だろうがこの場では私の指示に従ってもらう」


 この馬鹿野郎め、と僕が吐き捨てると同時に地響きが壕を震わせました。

 暗闇の天井、いや、恐らく天井と思える高さもわからないところからパラパラと土が降ってきました。

 それから数瞬の後、雷鳴のような音が何度も何度も途切れなく聞こえてきました。


 それは砲兵陣地の砲が火を吹いた音でした。始まったのです。奪還作戦が。

 砲音が僕の理性をじわじわと削っていきました。

 中隊の皆は今頃、あの高台に向かって突撃しているのだろう、そう思えばただ、棒のように突ったていることもできなくなり、木戸に突進しました。

 

 何度も何度もそれこそ気狂いのように痛みを感じても怯むことなく、体を木戸に打ち付けました。

 そんな僕の様子に軍医は今までとは違い、少し慌てた声をあげました。


「おい、おい、何をしているかわからんが、私は行かなくてはならない。君はそこで大人しくしておくんだ。決して、死なせはしないから」


 それでも、軍医は木戸を開けず、走り去っていく音が聞こえました。

 それからも何度も何度も僕は木戸に体をぶつけました。


 


 喉は枯れ、いつしか拳の感覚がなくなっていました。あれだけ叩いても頑丈な扉はびくともしていません。

 段差に腰を下ろし、僕は項垂れていました。

 暗闇は人間の心を暴きます。何も見えない世界では、感じるのは自分の心の声です。

まるで、自分の体から魂が抜け出て、宙から自分を見下ろしているような感覚、今の心の動きを外側から眺めているような錯覚を持つのです。

 だから、あの時の自分の心の有り様を、今もしっかりと覚えているのでしょうね。

 あの時の僕の心は荒んでいました。

 戦場で神の存在を知った僕は、何もかも上手くいくと信じていたんです。

 万能と恍惚、まるで無双の怪力と比類なき知恵を持ったかのように感じておりました。

 ですが、現実はそう上手くは行かなかった。

 簡単な誘惑に惑わされ、初心を失い、戦友と肩を並べて戦うことすら出来ない、壁一枚すら破れないちっぽけな存在が自分だと、身に沁みて味合わされました。

 焦燥と自己嫌悪、嘲りと無力感がないまぜになり、僕の心情は荒れていました。


 少佐の言った風見鶏という言葉がその通りだと思いました。

 着任してからは牧師として屁理屈を捏ね欲を満たし、塹壕を追い落とされてからは軍人として皆とあろうとし、そして、今はまた牧師としての立場に逃げてしまった。

少佐の言葉は正しかったのです。僕は自分にとって都合がよくなるようにしか動いていなかったのです。

 塹壕で死んでいった仲間の言葉を思い出しました。

「生き残ったものたちの代わりに死ぬのさ」その言葉を頼りに、彼らの命に報いようと、己にできることをしようとしていました。

それこそが彼らの本願であり、僕の使命なのだと信じ切っていました。ですが、もう僕にはそれが本当に彼らの願いだったのか確信を持つことが出来ませんでした。


 風見鶏の僕には何かを信じる権利はありません。それは己すらも、です。

 己を信じられない人間が他人を信じることなんて出来ません。

 他人を信じているのではなく、自分のためのお題目に変えてしまうのが僕ですから。

 愚かな僕の思い一つで、仲間たちの命を弄び、汚してしまうくらいなら、もう何も考えず、ただ消えてしまいたいと心の底から願いました。


 どれくらい経ったんでしょうか。扉を背に項垂れていました。感情とは不思議なもので、時間の流れを変えるのです。

 あなたも経験があるでしょうが、楽しい時は一瞬で、辛い時は永遠のように感じられる。


 僕はあの時、何分くらいあそこでああしていたのか具体的な時間は分かりませんが、とてもとても時間の流れが遅く感じられた。

 外から聞こえる爆音や銃声が遠い世界のことのようで、どうしてあれほど必死に出ようとしていたのか、わからなくなっていました。

 ただ、何も出来ない自分を呪い、蔑み、自分の責任を忘れかけていました。

 そんな時、僕は悪魔に会ったのです。

 

 聖書で悪魔は暗闇の支配者として書かれています。キリストも暗闇の荒野でサタンと対峙していますよね。仏教の生みの親であるブッタは、暗闇の洞窟で悪魔からの誘惑を受けています。

 暗闇の壕で1人打ちひしがれている僕は、悪魔にとってかっこうの獲物だったに違いありません。

 今だから言えますが、きっと悪魔とは己の心のうちの葛藤なのだと思います。極限までの肉体や精神の疲労から、己の心を守るために幻覚や幻聴を生み出し、自分で自分を許す理由を作ろうとするのです。

 だから、僕の目の前に現れたのは僕の心が映した偽物だったんでしょう。

 暗闇の中にぼうっと浮かび上がったのは、高台で死んだはずの兵士たちでした。皆、体の一部を欠損しており、ボロボロの軍服を着ていました。皆が僕に向かって体を揺らして近づいてきていました。


 きっと、彼等は怒っている。己が身代わりになって繋いだ命を、何一つ正しく使えないままの僕に。

ぼんやりとした頭でそう考えていました。ですが、兵士たちから聞こえた声は僕の知らない言葉でした。

 片腕の無い兵士が言いました。まるで、迷子の子供に声をかけるかのような声音でしたが、肝心の内容はわかりません。僕は背中に冷たい汗が流れました。

 僕は声をかけました。


ーお前達、何でここにいる。死んだんだろう。


 脚の付け根から下が吹き飛んだ兵士が小馬鹿にするような笑い声が聞こえました。笑っているということだけで、それが芯からの笑いなのか、それとも僕を嘲笑っているのかもわかりません。

 それから、彼らは僕に向かって意味のわからない言葉を次から次へとぶつけ続けました。

 僕は耳を塞ぎたかった。打ち切るように叫びました。


ー早くあの世に行け、俺はまだやる事がある。それとも笑いに来たのか。


 目の前に佇む兵士たちに声をあげましたが、とても彼等の顔を見る気にはなりません。


 声が聞こえました。その声にはよく聞き馴染みがありました。

 ハッとして顔を見ると、僕が最後に看取った兵士の姿がありました。両足は膝から下が無く、その傷口を下にして直立していました。

座り込んだ僕と同じような目線の高さでした。顔や体には戦塵や泥がついていました。死んだ時と同じ姿でした。

彼の姿を見て、僕は言葉を失いました。懺悔する相手を目の前にして、思いが詰まって声にならなかったのです。

 僕の手は無意識に首元のマフラーに手を伸ばしていました。ですが、その感触はなく、ベタついた汗が流れる首に手が当たりました。

 また声が聞こえました。目の前にいる彼が声を出しているのがわかりました。

 他の兵士たちと同様に、声は聞こえるのに、言葉の内容はまったく聞き取れませんでした。

 しきりに口を動かしている兵士達の声はしっかりと耳に届いているのに、内容ばかりがわからず、僕は混乱しました。

 まるで物を言わない石塊にでも話すような、一方的な物言いでした。口を挟む隙間を与えてくれませんでした。

 彼が何かを言うたびに、後ろにいる兵士たちから声が飛んできました。内容がわからないので檄を飛ばしているのか、それとも怒号なのか判断がつきません。

 ただ、どこか皆、楽しそうに見えました。


 突然、彼が僕を強く抱きしめました。それから、踵を返して離れていきました。


ーおい、どういう意味だよ。なんて言ったんだ。何を考えているんだ。


 地面を蹴って立ち上がりました。四方数メートルしかないはずの壕なのに、既に彼等は遙か先にいました。

 追いかけようと走りますが、どうやっても足が動かず、彼等との差は開く一方でした。


ー教えてくれよ、一体、お前達は何が望みなんだ。俺は何をすれば良いんだ。


 嘆きに似た絶叫をしました。

 すると、ずっと前を歩く彼等は振り向き、

 僕に指を刺しました。彼らが怒っているのかそれとも穏やかなのかそれすらもわかりません。

 呟くような声が耳にしました。


「お前が決めろ」


 それは僕にとって絶望の一言でした。

 だってそうでしょう。僕が幻覚を見るまでに追い詰められているのは、自分の理想と現実があまりにかけ離れていたから。

苦しむ僕ですが、神を知ってしまった以上、神意を無視することなんて出来やしなかった。それがどれ程の険しい道のりであっても、自分を許す理由にはならなかったのです。

 だって、神のご意志に反する事は、大きな罪ではないですか。きっとこの苦しみは神に殉ずるための禊ぎのようなものだと思っていました。ですが、僕は弱いからすぐに逃げたくなっちゃうんです。


 理性と本能の狭間で苦悩し、ついには幻覚すらも生み出すほどに神経衰弱してしまったんです。

 僕が僕自身を許すためには、神からの赦しを得るしかない。お前の考えは間違っている。そんなものではない、そう神から言ってもらえれば僕は納得してこの苦しみを忘れる事が出来るのです。


 ですが、僕の生み出した幻覚は底意地が悪かった。

 迷い苦しんでいる僕に対して、自分で決めろとしか言わなかったんです。せめて、何か一言助言が貰えれば踏ん切りがついたのかもしれませんが、そんなものはなかったんです。


 今考えても何で自分が作り出したもので、自分に都合良く出来ていなかったのか不思議でなりません。もしかしたら本当に悪魔がいたのかもしれませんね。


 結局、彼等から貰った言葉はそれだけでした。気がつけば目の前にいたはずの兵士たちの姿は何処にもなく、暗闇の壕の中でした。

 いつの間にか眠っていたのか。荒れる心中とは別に、頭の中はすっきりとしていました。


 もう何も考えたくはなく、考えようとする力も残っていませんでした。

 彼らが話した言葉のほとんどは意味のわからない言葉でありながら、彼らの想いが込められていると思いました。

 ですが、一体全体、何を伝えたかったのかわかりません。彼らの言葉には無限の意味が込められ、真意を図ることは出来ませんでした。

 僕には何も出来ませんでした。考えれば考えるほどどん詰まり、良くあろうともがけばもがくほど、沈んでいく底なし沼にいるような暗澹とした気分でした。

 最早、決断する勇気はなく、物事を貫徹する度量もなかったんです。

 もうこのまま壕の中にいれば、戦争の趨勢によって嫌でも自分の行く末は決まります。運命というとひどく子供っぽく聞こえますが、運命に抗うのではなく、運命に身を任せて流されようと思いました。自分は変わらず、世界から変わってくれるのを待つことにしたのです。

 すると、重かった心は軽くなり、荒んでいた気持ちは凪いでいきました。


お読み頂き、ありがとうございました。


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