第九話 【相談】
「江戸行きが決したからには、一刻も早い方が宜しいでしょう。」
「そう急くでない。そもそも其方はまだ何も支度が出来ておらぬではないか。」
「しかし時を失しては取り返しがつかなくなるやもしれませぬ。」
「まあ聞け。まずは東海道と中山道、どちらを使うかを決めておるのか?」
「どちらも百三十里余りと聞き及んでおります。」
「江戸までの隔たりだけなら其方の申す通りじゃ。だが東海道は山道が少ない。この時期、大井の川止めが気になるが、通い慣れている江戸詰めならともかく、其方にとっては初めての江戸入り。東海道の方が良かろう。」
「承知仕った。」
大膳が言う通り、福井から江戸までは、東海道を辿れば百三十二里、中山道であれば百三十七里である。
距離だけであれば両者に大差は無く、どちらを使っても良さそうなものだが、参勤交代を始めとして実際には殆どの場合、東海道が選ばれた。
この場合、まずは福井から今庄まで北国街道を南下し、中河内まで進めばそこはもう近江国である。
さらに北国街道を進んで木之本から北国脇往還に入り、小谷を経て関ケ原から中山道、垂井から再び脇往還である美濃路を通り、伊勢湾最奥に位置する熱田から東海道に入ると、そのまま東進し江戸に上るという道程になる。
「常ならば福井から江戸までは十三日か十四日といったところだが、初めての其方がこれを十二日で踏破出来れば上出来だと儂は思うておる。」
「早籠を使えば、もっと早く着くのではございませんか?」
「早打ちは江戸に着くまでがお役目。故に早籠を使うのが道理であろう。
されど其方は違う。江戸に着いてからがお役目じゃ。それ故早籠という訳には参らぬ。」
大膳が言わんとするのは、こういう事だ。
常に激しく揺れる早籠での移動は、一言で言えば苦行であり、旅人に尋常ならざる負担を与える。
それだけの犠牲を払って数日の時間を節約出来たところで、役目が果たせる状態まで気力・体力を回復させるのに数日を要するのであれば、結局は同じであり、それならば徒歩で移動した方が余程良いだろうという訳だ。
道筋が決した後も、江戸行きの路銀や通行手形の支給、江戸に持参する書状の作成、城代家老への報告など、一通りの手続きを済ませた頃にはとうに日は暮れていた。
下城を前にした右近は暇乞いのため、再び大膳の許を訪れる。
用語解説
【脇往還】
五街道以外の主要街道の事。
【路銀】
交通費・宿泊費・食費等、旅で必要となるお金の事。
【暇乞い】
別れの挨拶をする事、別れの言葉。
次回は3月5日(金)20時に公開予定です。